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【報告】「川端康成と水」

2018.04.20 中島隆博, 武田将明

 2018年4月13日、「水と文学」のテーマのもと川端康成の小説を主な検討課題とする討論会が行われた。参加者は作家の平野啓一郎氏、田中慎弥氏、東京大学の中島隆博氏、武田将明氏、同大学院生の平井裕香、場所は川端康成が作家活動の初期において極めて長い時間を過ごした天城・湯ヶ島温泉の「湯本館」である。
 討論会に先立って、同館館主の案内のもと、川端が宿泊したという五畳の部屋を見学した。天井が高く、特徴的な造りで、火鉢は当時のままだという。同館において執筆された「伊豆の踊子」関連の貴重な資料だけでなく、「絵志野」(現在は「千羽鶴」を構成する一編)の原稿という意外な資料にも出会えた。積もりに積もった宿泊費(その全ては結局払われていないそう)の代わりか、川端自ら箱まで準備し、当時の館主に贈ったという。数ある旅館の中でなぜ川端が同館を選んだか問うと、学生の一人旅が珍しかった当時、他であまりいい扱いを受けなかったのだろうと館主は答えた。「私」自身の疎外感が背後に潜んでいると思うと、「伊豆の踊子」の読み方もまた変わってくるかもしれない。

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 討論会では、「水と文学」のテーマに関する中島氏の説明に続き、大学院で川端を研究する平井から「温泉宿」(1929—30)という連作についての報告を行った。伊豆を舞台とする同作は、特に川と温泉が隣接する空間設定が湯本館と響き合う(勿論その時も川の音がしていた)。それら二つが冒頭で対比されるところから、時間設定を異にする様々な出来事が語られるにつれ、それぞれがより複雑な、かつ濃密な意味を持ち、読者の意識に迫るという大まかな見取り図を提示した。これに対して武田氏は、川と温泉に境界がなく、行き来が可能であることと、中心的に描かれる宿で働く女性たちの立場の曖昧さ、流動性、さらに一つの明確な物語に収斂していかない「温泉宿」という小説の断片的なあり方が照応すると指摘した。他方で中島氏からは、まるで「現代詩のような」斬新な日本語表現に注目する論点が出された。以上に応じて田中氏は、山奥という閉鎖性と都市ではないという開放性を併せ持つ空間の両義性が、孤独で危うくはあるけれども虐げられるばかりではない、居場所のないことの両義性に通じていると述べたうえ、中島氏の言う捉えどころのなさも、「これはこう」と言った途端にそうでなくなる川端の大きな魅力の一つと語った。加えて平野氏が論及したのは、平井が朗読した冒頭のある種の「固さ」、観念性、特徴的な文体の翻訳との関連や、川端の長いキャリアにおける「温泉宿」の位置づけと、同時期に活躍した他の作家、特に谷崎潤一郎の小説との関係だった。「伊豆の踊子」から「温泉宿」、そして「雪国」、さらに田中氏が取り上げた「みづうみ」へという展開や、東京からの遠心力が強まった時代状況は、川端の読み直しへ繋がる重要な視座と思われる。
 続いて、川端康成を最も好きな作家の一人と公言してきた田中氏から、戦後の長編「みづうみ」(1954)を起点に、川端文学と「水」について朗読を交えた発表があった。あらゆるモチーフが主人公の連想で繋げられるという同作にある「息苦しさ」は、物語の中で主人公が跡をつける/つけられるという出口のない循環性、湖の動かないありよう、どこへも通じてゆかないような閉鎖性と重なっている。「息苦しさ」を生じる「水」には、他にも「片腕」(1963—64)の霧などがある。他方「水」(1944)という掌編は、大陸勤務の夫に嫁ぎ内地の水を懐かしむ女性を主に描いており、時局との密なかかわりを示す。田中氏の発表を受け平野氏は、主人公の観念的な不安が水(湖)に映ることで実体的な重みを持ち、女性たちへの執着も母親の代理を求めるに過ぎず、だからこそ跡をつけることへの罪悪感がないという「みづうみ」の読みを提出した。また武田氏は、宿命的とも思われる書き方がある一方で、主人公の妄想と考えることもできるという「みづうみ」の語りの不安定さが、人間関係が繋がってゆく物語の展開と合わさって、同作の恐ろしさと魅惑とを形作っていると論じた。他方で中島氏からは、「水」に表れた時局への川端の反応への関心と、「みづうみ」の父親の不審死も時代とのかかわりを踏まえることで意味づけ直せるのではという、解釈の見通しが述べられた。以上への応答で田中氏は、イメージを重ねることまでは作者・川端の意図だとしても、その先は果たしてどうかと問い、小説の効果と書き手の意図との関係の複雑さを強調した。これに加えて平井からは、物語の本筋から逸れ、連想されたイメージを追って膨らませるという文章の展開のさせ方が「みづうみ」に既に見られることは、後の「片腕」や「眠れる美女」を評価するにあたっても留意すべきとの考えを呈した。
 創作と研究という異なるフィールドからの知見を、そもそも多様性を孕んだ川端康成の小説において、触れ合わせ、交わらせることのできた大変貴重な機会であった。二時間半ほどに及んだ白熱した討論の後、それぞれが狩野川と隣り合う湯本館の露天風呂にて、音となり、温度となり、景色や匂いともなる「水」の、文学に対する喚起力を味わうこともできたと思う。

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(文責:平井裕香)

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