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【報告】江戸の読書方法と訓読法

2017.07.18 林少陽

去る7月15日、東京大学駒場キャンパス18号館にてUTCPワークショップ「江戸の読書方法と訓読文」が開催された。本ワークショップは「明治日本の言文一致・国語施策と中国をはじめとする漢字圏諸国への波及についての研究」プログラムの一環として開かれたものである。今回の発表者は愛知教育大学の前田勉氏であり、氏は『江戸後期の思想空間』、『江戸教育思想史研究』など、江戸研究の分野において様々な業績を挙げて来た。今回の発表内容について、以下に記したい。

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まず、氏は江戸の学問はなぜ盛んだったのかについて検討した。立身出世を学問の目標とする中国や朝鮮と違い、江戸時代には、学問=読書はあくまでも家業の余暇に行う嗜みに過ぎず、必ずしも奨励されていなかった。にもかかわらず、江戸の世襲身分制社会に埋没することを拒否し、生きる意味を探すために学問を志した人は多くいた。そこに、江戸において多様で個性豊かな学問が盛んになった一つの理由があると前田氏は主張した。

続いて、前田氏は江戸の独特な読書方法である会読について詳しく紹介した。会読とは一定の学力のついた上級者が集まって、所定のテキストを中心に、互いに問題を持ち出したり、意見を闘わせたりする共同学習の方式であり、生徒同士の切磋琢磨の場である。会読は江戸時代の藩校だけでなく、明治になっても各地の漢学塾で続けられていた。会読には三つの原理があったと氏は分析した。1)相互コミュニケーション性。会読では口を開いて討論することを勧めていた。2)対等性。先生、弟子をとわず、会読参加者全員が対等であった。3)結社性。複数の人々が一定の期日と場所で自発的に集会する。こういう対等な場面で討論しあう会読の場は、一方向的な上意下達を基本とする江戸身分制社会の中では別次元の異空間であったと氏は強調した。また、会読のもう一つ特徴として注意すべきのは、それは物質的な利害とかかわらない一種の遊びの場であり、それと対比に、科挙の国の中国や朝鮮では会読の方法は生まれなかった。異質な他者を認め合う寛容な態度と精神を育成する場としての会読という読書方法に、公議輿論を提唱する明治維新の精神とのつながりを見出した前田氏の指摘は興味深い。

次に、題名にあげられたもう一つの問題である訓読体に関し、氏はそれを候文と比較しながら検討した。江戸時代の公用文書は候文体で書かれていたのに対し、幕末維新期には幕政・藩政に関する上書・建白書は漢文訓読体で書かれることが一般的になっていく。候文は本来書簡に用いられたものであるゆえに、相手との上下身分関係を示す敬語表現が盛んに使われた。それに対し、漢文訓読体においては敬語の使用は極めて少ない。また、候文による上書は主君と家臣のパーソナルな関係において書かれたものであり、どこまでも謙った文体だった。一方、敬語を排した漢文訓読体の建白は主君に向けているのではなく、広い世界に向けて自己の意見を表明する、公開性のある文体として、自由民権期の民間建白書の文体に繋がっていくのである。以上を踏まえ、身分や地域の違いを超え、対等な立場で学びあう会読と、敬語を排除した漢文訓読体は、幕末から明治にかけて四民平等の理念を体現する、極めて清新で革新的なものだと、氏は高く評価した。三時間ものの講演会において一時間半ほどの討論時間が設けられ、聴講者と講演者との間に盛んな議論が交わされた。

以上が本ワークショップの大まかな概要であるが、詳しい内容については氏の『江戸の読書会』、「敬語をどう表現したか」(中村春作他編『訓読から見直す東アジア』)、「明治前期建白書の文体」(同上)をご参考ください。

文責:趙琪

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