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【報告】AAS2017Annual Conference

2017.03.24 川村覚文

2017年3月16日から19日にかけて、カナダはトロントにあるシェラトンセンターにて、AAS(Association for Asian Studies)の2017年年次大会が開催され、川村覚文が参加してきた。

AASは世界最大規模のアジア学会であり、母体は北米にあるものの、全世界からアジア研究の研究者や大学院生が集まり、様々な発表およびディスカッションが行なわれている場である。本報告者は、これまで参加しようと思いつつもその機会をついつい逃しており、今回が初めての参加となった。しかし、初参加にもかかわらず、二つものセッションに結果として参加発表することになり、どのような雰囲気でなされているのかということを知ることができた。また、思わぬ形で多くの知り合いが参加しており、旧交を温める良い機会ともなったのであった。

本報告者が参加した最初のセッションは、17日に行なわれた、ハーバード大学のヘレン・ハードエイカー氏が最近出版された大著Shinto(『神道』)の書評会である。この書評会は、Society for the Study of Japanese Religion (SSJR) 主催の書評会であり、主として日本の宗教研究をしている研究者を対称にしたセッションであった。本報告者は、本書における主に近現代の議論について、コメントを行った。具体的には、ハードエイカー氏が「国家神道」という論争的な概念について、その再評価を試みられていることについて言及し、その意義についてコメントした。また、さらには、ハードエイカー氏による「国家神道」の定義を鑑みた上で、自然性を強調する言説という特質が、現代日本のメディアやポピュラー文化において神道が扱われる際に、再び復活しているのではないか、ということを指摘した。

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そして日を改めて、19日に行なわれたセッションRefiguring the National Body: Towards a Conceptual History of Kokutai in Modern Japanにおいて、The Return of Kokutai in Contemporary Internet-Right Wing (net-uyo) Discourseと題した発表を本報告者は行った。本発表においては、国学から戦前期そして今日に至るまでにおいて、国体をめぐる議論がgovernmentality of the kokutaiと名づけうる統治性の基に展開しているという仮説を建てた上で、その変遷と今日的な問題について議論した。すなわち、この統治性は人々の欲望や感情、あるいは情動といった内在的な原理を認めつつ、制御する形で機能するものであり、そのような原理がどのように論じられてきており、そしてそれが今日におけるインターネットを介した言説構築においてはどのような制御原理あるいは統治性として現れているのか、ということについて議論したのであった。

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全く異なった地域から来た多くの参加者とともに、様々な見地から議論しあうことは、大きな刺激となった。これからも、継続的に参加できればと思う次第である。

文責:川村覚文(UTCP)

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