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【報告】 2016年度 駒場祭「こまば哲学カフェ」[2/3]——(2) 2日目編

2017.03.09 梶谷真司, 李範根, Philosophy for Everyone

2016年11月25日(金)から27日(日)まで、第66期 駒場祭が東京大学駒場キャンパスにて開催されました。

今年もP4E研究会のメンバーを中心に「こまば哲学カフェ」を企画しました。以下、初日目の報告に続き、2日目の様子を、各企画の企画者あるいは参加者の方にご報告いただきます[2/3]。

11月26日 土曜日
10:00-12:00 どうする?! 子どもの英語教育 ~親はなぜ子どもの英語教育に不安を感じるのか?~
         企画:はなこ哲学カフェ いどばたのいどほり
13:00-15:00 受けたかった教育 ※対象:学生オンリー(中学生、高校生歓迎)
         企画:インカレ学生哲学カフェサークル Onecafe
15:30-17:30 sing! sing! think! 歌をテーマに哲学対話/『花は咲く』
         企画:小林大輝・佐藤あおい

企画④:10:00-12:00 どうする?! 子どもの英語教育 ~親はなぜ子どもの英語教育に不安を感じるのか?~
(企画:はなこ哲学カフェ いどばたのいどほり)

こまば哲学カフェで親子向けのセッションを…と考えた時にふと思いついたのが「親が子どもの英語教育に対して持つ不安感のナゾ」についてです。ママ友の子どもが英語を習い始めた、と聞くと心がザワザワっとするのはなぜなのでしょう?その不安はどこから来るの?英語を習うのとピアノや体操を習うことは何が違うの?他の外国語じゃダメなの?そんな親の英語教育への不安感のナゾ(個人的な悩みとも言う…)に迫りたい!!そんな思いがこの企画の始まりでした。

大人も子どもも一緒に英語を体験して、そのあとその体験をもとに、大人と子どもに分かれて哲学対話をする、という流れを組みました。まず初めに、英語のお兄さん清水省吾さんによるミニレッスンを楽しみました。レッスンでは、英語と日本語で動物の名前が書かれているカードが1人ずつ配られ、簡単な英語で質問をして相手が何の動物かを当てる、というゲームをしました。そのあとは、英語の絵本を読み聞かせしてもらい、哲学対話に進みます。

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大人の対話では「英語(外国)にあこがれるのはなぜ?」「英語は何歳から学ぶべきか?」「英語教育=国際理解教育なのか?」「英語じゃないとダメですか?」などの問いがあがり、対話が深まっていきました。

一方、子どもの対話は英語のレッスンを振り返りつつ、子ども達の気持ちを問いかけていきました。「上手に出来ることと楽しく出来ること、どっちがいいと思う?」「クイズを英語で答えるのは恥ずかしい、日本語で答えるのは恥ずかしくないのはどうして?」そんな話をしつつ、最後は大きな模造紙にみんなの気持ちをお絵かき。「なんだろなあ~?」と言っている女の子の絵を描いてくれたのが印象的でした。

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「印象的だったのは、子ども達の独特な表情。外国語を聞いて話すのに一生懸命考え、少しおそるおそる言葉を発する様子は、まさに哲学する人そのものだった。外国語との出会いと哲学とは、どこかで深いところでつながっている。そんな予感を強く感じた。」
協力者である清水さんがこんな言葉を綴ってくださいました。

「親が感じる英語教育への不安感」を余所に、ただ楽しそうに英語に触れている子ども達。そんな不思議な空間で「英語教育」を越えた様々な問いを考えさせられた時間となりました。

(報告:はなこ哲学カフェ 尾崎)

・企画⑤:13:00-15:00 受けたかった教育 ※対象:学生オンリー(中学生、高校生歓迎)

(企画:インカレ学生哲学カフェサークル Onecafe)

この「こまば哲学カフェ」で企画を催すにあたって、語りやすいテーマを考えたときに「教育系がいいんじゃないでしょうか」という意見が出ました。そこで、過去のテーマの中から選んだのが、このテーマです。このテーマを東大でやったわけです。

普段ならば少人数で2時間話すのですが、途中退出も参加もありうると予想したので、小さなテーマを3つ設けました。
・習い事の重要性
・アクティヴラーニングは学力向上に繋がるか

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・AO入試は必要か
 
各テーマ毎にファシリテーターから問題を提示してもらい、それについて話し合うやり方をとりました。

「習い事」については、習い事の統計データを見つつ、参加者がかつてどんな習い事をしたかを聞きました。その後に、習い事をやって良かったか、子どもにも習い事をさせたいか、等を聞きました。

習い事は将来必ずしも役立つとは限らないが、将来の選択肢を拡げることになるから良さそう、というのが1意見です。

「アクティヴラーニング」については、グループ学習において、やる気のある生徒とそうじゃない生徒とが同じ班になってしまうと、どちらも同じ評価がつけられてしまい困るとの意見がありました。それから、そんなに学力向上に結びつかないのではないか、とも意見が語られました。

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大学に入れば研究が主なので、アクティヴラーニングに慣れるのは良いことですが、受験ではやはり暗記が大切なので、導入はお試し程度に留まるのではないでしょうか。

最後に「AO入試」です。大学によっては、AO入試で入学した生徒のほうがその後の成績が良い、という例もあるようです。ですが、現実は大学の経営的に、とりあえず生徒を確保しておきたいのが実状だと考えられました。

結論を出す前に時間切れになりましたが、モヤモヤを抱えて帰るというのも、哲学カフェらしい終わり方でしょうね。

(報告: 會田司 )


・企画⑥:15:30-17:30  sing! sing! think! 歌をテーマに哲学対話/『花は咲く』

(企画:小林大輝・佐藤あおい)

哲学対話と出会ってまだ長くはありませんが、自分の高校で対話を主催したり、みなさんの主催されている対話に参加させていただくうちに、哲学対話が色々なものと親和性を持つのではないかという発想に至るようになりました。そのひとつが、今回取り上げてみた音楽です。「花は咲く」を題材に行いました。選曲理由は、まず歌いやすくよく知られた歌であるということ。そして、東日本大震災を機に作曲されたという経緯こそあれ、あくまで詩として言葉を追ったときにどのような解釈が広がるかということを(震災という社会的ファクターに結び付けても、結び付けなくても)実験してみたかったということでしょうか。

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「歌」には「歌詞=ことば」「メロディ」という二つの大きな要素があり、そのそれぞれをまず「感じ」つつ、「言葉の力を用いて思考を秩序立て、抽象化していく」という対話の手法とリンクしていくことを第一に考えて企画しました。名前も知らないような、当日出会った(出遭った)ばかりの人たちと一緒に歌うところから始まるというのは、対話するための場としてセッティングされた「こまば哲学カフェ」にぴったりでしたし、駒場祭という非日常感も相まった良い雰囲気を醸し出していた気がしています。参加してくださったみなさん、僕たちの「無茶ぶり」に応えてくださり、ありがとうございました。(笑)

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メインである対話は歌詞を出発点にしたものとしました。人数の関係から二つのグループに分けて行い、最後にそれぞれの内容を共有して短く全体で対話をするという形式で行いました。二つのグループで全く違う話題が展開されており、興味深く感じました。ただその中で一つ感じたことは、特に一方のグループにおいて「問いが意識されていなかった」ということです。友人からも企画終了後に「『哲学』が流されてしまう場だった」という趣旨の感想をもらいましたが、同じことだと思います。哲学対話において結論を出す必要がないというのは、多くの場所で語られる魅力の一つであると思いますが、一方で、「短い時間内に一つの問いをどこまで共有できるのか」ということが大きなカギである気もしています。

思い返せば、二人で企画を練る際に最も意識したことが「歌詞の解釈が各々語られ、共有されるだけで場としての深まりが浅い対話にならないような工夫」でした。すなわち総括すれば、「いかに問いを共有し、いかにその問いに向かっていけるか」と「音楽(音+ことば)という要素をいかにして活かすのか」という二つの問いかけに対しての両立を目指したのです。そのために今回は、歌い詩を読んでから始めるというところに、「『花は咲く』ってどういうこと?」という、とっつきやすいと思われた問いをあらかじめ提示するアイデアを加えることで、悪く言えば対話の方向性を強制的にセッティングしようとしたわけです。よく言えば、方向性を示すことで短い時間においても「あの場にいなければ考えることができなかった」ということを一つでも考えてもらう体験をみなさんに得てもらおうとしたわけであります。具体的にいくつかの工夫をしたつもりです。実際どうだったのかは、私たちに推測できる範囲ではありませんが……。

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それから、反省として「もっと音楽を意識してもよかった」ということもあります。あくまで対話であるという縛りゆえか、企画段階でも発想として「歌って始まり、歌って終わる」以上のことにはなかなか発展しませんでしたが、もう少し音楽そのものに重きを置いた構成でも面白かったと思います。折角なら……という感じですね。芸術と対話の融合の試みは他の方も実践されていると思いますが、「芸術」と「哲学対話」のどちらのスタイルをメインにするのかという問題で、それぞれの参加者の方が色々なことを考えるようです。もっと考えたいという人もいれば、もっとパフォーマンスをしたいという人もいます。繰り返しになりますが、今回は9割型対話に終始し、音楽は雰囲気づくりにしかなりませんでした。しかし、「詩」や「音楽」そのものにシフトしていける(題材を相対化することで帰納的に芸術という抽象概念へ思考のステップを踏むことができる)ような問いにするであるとか、パフォーマンスの要素をもっと増やした構成を組むといったアイデアも浮かんできているところです。今後も、対話の持つよき雰囲気を、芸術にとどまらず、より多方面に活かしていける方法を考えていければよいなあと思います。

なにより、このような実験的な企画であっても積極的な対話がなされたのは、ひとえに参加者のみなさんと、場を提供してくださった「こまば哲学カフェ」の運営のみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

(報告:小林大輝 )

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