Blog / ブログ

 

【報告】国際力動的心理療法学会(IADP)第22回年次大会(第1日目)

2016.12.07 梶谷真司, 中島隆博, 石井剛, 川村覚文, 金景彩

UTCP上廣共生哲学寄付研究部門と国際力動的心理療法学会(IADP)の共催で行われた第22回国際力動的心理療法学会は、大会テーマを「危機介入―心理療法と中国哲学―」として、2016年11月3日から6日の会期で、東京大学駒場キャンパスと東京工業大学田町キャンパスで行われた。参加者は心理療法家、カウンセラー、精神科医師、看護師、教師、大学院生、そして哲学者で構成されていた。

IADPの組織と招聘ファカルティについては、梶谷真司氏の「邂逅の記録87:心理療法と哲学の出会い」に詳しい。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2016/11/post-846/

本稿では、学会1日目と2日目について、私が心理療法家として哲学から刺激を受けたことを中心に、概要を記したい。
 
提言『不測の衝撃に向けて』では、まずオーガナイザーの小谷英文氏(IADP理事長・PAS心理教育研究所)から行政・政府機関、関連諸団体に対する提言を起草するに至った経緯が説明された。次に、司会の中島隆博氏(UTCP)が、これまでの思想・哲学は、地震や災害に対する応答―地震や災害にどのような意味を見いだし、そこからどのような社会を作っていくべきか―が乏しかったという問題を提起した。そして、福島震災復興心理・教育臨床センター所長であり、主筆である橋本和典氏が、提言草案『日本におけるメガ災害PTSDの予防および心理療法トリートメントシステムの構築の必要性』を読み上げた後、宮城県のライオンズクラブ心の復興プロジェクト「震災復興心理・教育臨床センター」代表の足立智昭氏、熊本の震災支援に携わる宇佐美しおり氏(日本専門看護師協議会 代表)と、高橋教朗氏(むさしヶ丘クリニック 院長)がそれぞれの臨床における現状と課題を報告した。

宇佐美しおり氏は、医療が、災害後にPTSDの予防と治療に向けて動けなくなってしまう理由は、現在の医療の枠組みでは人に診断をつけないと対応できないからだと指摘した。大規模災害に対するPTSDの予防と治療のためには、医療、看護、心理、教育といった各専門領域を全体的に包括する枠組み―例えば「災害支援コミュニティ」―を作り、明確な実施主体がそれを運営する必要があると主張した。哲学者の梶谷真司氏が、災害後にどこに行ったらよいか分からない人が行ける場所とコミュニティ・ビルディングの必要性を指摘し、子どもに関してはその枠組みは「学校」になるのではないかと発言した。橋本和典氏が福島における心理療法によるコミュニティの底支えを行っている事例を報告し、高橋教朗氏も、熊本地震において行われた、大勢の被災者がクリニックに集うコミュニティ・ミーティングの活動を紹介した。これら地域レベルのコミュニティをも包括する枠組みが必要であろうし、明確なトリアージュを行う組織の設立が待たれる。提言は近く発行される予定である。

IADP1.JPG

大会会長講演『危機介入の本質―災害・困難患者心理療法』では橋本和典氏が、危機介入の定義と特徴について論じる中で、危機介入は、危機状態にある人の以前の平衡を再び保たせると同時に、危機の直後は変化に対して開放的になっているため、より積極的な成長・発達をするための機会である可能性を指摘した。そして、災害・困難患者に対する心理療法の事例を紹介した上で、橋本氏が考える危機介入の要諦とその成果が示された。

IADP2.JPG

小谷英文氏による大会基調講演では、トラウマ反復抵抗の根の力動がモデルとして呈示され、力動的な危機介入の妙は「当人のその瞬間の場の安全空間(物理的安全空間および心的安全空間)を確保することにある」と述べられ、小谷氏はこれを「微分介入」と呼んだ。トラウマの反復的な再体験に対して微分介入を行うことで、今の体験と過去の経験が分かれ、患者は「自我の奉仕によるトラウマ再体験」をすることができる。そして危機介入において治療者が「渾沌」になることの意味が論じられた。これを受けて、中国から李樺氏(中山大学)、米国とイスラエルからセス・アロンソン氏(ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所)、哲学者から中島隆博氏がリプライした。

IADP3.jpg

中島隆博氏は、「言語と精神のよりよい関係について-心理療法と中国哲学」と題して、荀子の「性悪」について、「荀子は人の性そして情は、そのままにしておくと乱に至るので、それを作為(偽)によって変化させなければならないと考えている。(中略)自然を完成させるためにこそ、作為による介入が必要なのだ」と述べた。聴いていた私達は、荀子の考え方が我々の実践する力動的心理療法の発想にあまりに近いことに驚いた。さらに中島氏は「この作為による性の変化を導くものが礼である」と述べ、マイケル・ピュエットを引用しながら、「〈かのように〉の礼」はいったん現実の世界から人々を引き離し、別の役割を演じることによって、自分たちの行動パターンを変化させる。それが現実の世界にも何らかの効果をもたらす、と言及した。まさに心理療法は「〈かのように〉の礼」であると言ってよいだろう。私達は、患者が治療の場で体験している事柄に「微分」と呼ばれる別の時間を差し込み、患者の人格構造内の種々の審級の声を語らせ、自らに検討させることで、その事柄における患者の欲を養い、情を養っている。そして中島氏は、小谷氏が呈示した微分介入は、中国哲学における「道」ではないかと言及した。報告者の理解では、微分介入は患者のトラウマの再体験が浮上した点にスペースが作られ、現在進行の再体験に治療者が参与することで、患者に一時的な時制の混乱が起きる。しかし治療者がその混乱にさらに参与し、ミクロな体験の差異を覚知させることで、過去と現在の経験の差異を作り出す。つまり、患者が日常で経験した事柄に、微分介入によって、差異と交錯がもたらされ、経験した事柄は「道」になるのではないか。紀元前3世紀の中国哲学と現代の心理療法理論が響き合っているのを感じている。

参考文献
中島隆博編著 (2015) コスモロギア―天・化・時. 法政大学出版局.

文責:荻本快(PAS心理教育研究所/相模女子大学)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】国際力動的心理療法学会(IADP)第22回年次大会(第1日目)
↑ページの先頭へ