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【報告】<現代作家アーカイブ>文学インタビュー第四回:谷川俊太郎氏

2016.02.16 中島隆博, 武田将明, 川村覚文, 筒井晴香, 佐藤空

 2015年12月20日、東京大学本郷キャンパス総合図書館にて、<現代作家アーカイブ>文学インタビュー企画第四回となる、詩人・谷川俊太郎氏への公開インタビューが開催された。聞き手は東京大学教授のロバート・キャンベル氏である。

 UTCP、東京大学附属図書館、飯田橋文学会の共同企画として開催されてきた文学インタビュー企画も、今回で四回目を迎える。企画の詳細や過去のインタビューについては、本サイトのイベントページや過去の報告記事(※)を参照されたい。

(※)
第一回報告(高橋源一郎氏)
第二回報告(古井由吉氏)
第三回報告(瀬戸内寂聴氏)

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 今回は、自身も谷川氏のファンであるというキャンベル氏の進行により、和やかな雰囲気でインタビューが進んでいった。以下ではやりとりの全体を記すことはできないが、いくつかのキーワードを軸にしつつ、報告者にとって特に印象的だった部分を紹介していきたい。

・商業詩人として
 谷川氏は、詩作の際の意識において、商業文学誌からキャリアを始めたことが大きく影響していると語る。高校を卒業後、生計の手段として詩の執筆を始めた氏にとって、キャリア当初は単によい詩を書くというよりも、よい商品としての詩を通して金銭を得て、きちんと生活するという意識が強かったという。そのため詩にこだわらず、注文に応じて書けるものは何でも書くという「受注生産」のスタイルでやってきたと氏は語った。

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・「ひとりっ子」
 谷川氏が自身を語る上で、度々登場したのがこの言葉であった。先述の商業詩人としてのスタイルとも関連する形で、谷川氏は「ひとりっ子なのでひとりでやっていきたかった」「詩壇というものに距離を置いた」と述べる。 キャンベル氏は、このような谷川氏の姿勢が詩の内容世界にも投影されていると見る。谷川氏の詩における、他人にべったりしないディタッチメント的なあり方が、その現れであるという。

「ひとりっ子」的な谷川氏の精神性は「二十億光年の孤独」(1952)における「宇宙の中の自分」という自己観にも現れている。恋愛や友人関係など、人間関係を通した自己の捉え方よりも、宇宙の中に一人いるという自己観に関心があったことを谷川氏は述べる。

 この点は、しかし、ごく単純な意味での内向性を表すものではない。内向的でありつつ他者に言葉を送るという、詩人に求められる相反する要素についての考えをキャンベル氏に問われた際、谷川氏は次のように述べた。自分は十分に愛されて育ち、自足していたため、戦後の多くの若い詩人とは異なって、内面に傷を抱え、その自己表現として詩を書くということはしなかった。むしろ他者との関わり方として詩を考えていた、と。

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・生活者に向けて伝える
 この言葉を受けてキャンベル氏は、詩の中に登場する「あなた」という存在について問う。谷川氏によれば「あなた」と書くときに意識されているのは、具体的なひとりの人がどう受け取るかということだという。ごく普通の生活者に伝わる、生活に根差した詩を書くよう心掛けてきたことを谷川氏は述べた。
谷川氏の「生活者」としての観点は、日常的な言葉を用いたナンセンス詩作品へと繋がっていく。「かっぱ」(1973)等に代表される一連の日本語ナンセンス詩は、日本の現代詩が「意味」に偏重していく中で、言葉遊びを通じて「音」や「声」を取り戻す試みであったと谷川氏は語る。

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・言語以前の存在へ
 デビューから現在までの振り返りを経て、インタビュー終盤、話題は「死」へと移っていく。谷川氏は、いまでは死ぬのが「一種楽しみ」であるという。死によって言葉がついえることをどう考えるかと問われると、氏は「ぼくは言語以前の存在というものにできるだけ近づきたい気持ちがある。意味で勝負するだけではなく、言語以前の存在に触れるような詩が書きたい」と口にした。谷川氏にとっては、死もまた「言語以前の存在」に触れられるかもしれない機会なのである。

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 全体を通して、谷川氏の温かなユーモアとペーソス、そしてあっけらかんとした態度が、独特の明るさを生み出していたひとときであった。

 質疑応答では「合唱曲を通して谷川作品に親しんだ」「短歌を作っている」「触覚研究をしている」等々、様々なバックグラウンドを持つ質問者が、自身の観点から谷川氏の作品や詩作の姿勢について問い、谷川氏が応じるといったやりとりが印象的だった。氏の言葉通り、まさに「一対一として」の応答が実践されたといえる。

 報告者は幼少期に谷川氏の児童詩集を愛読し、10代の頃からは谷川氏の合唱曲に慣れ親しんで育った。文学や詩がどうという以前に、自身の言語表現の根幹の一部を谷川作品が占めているという思いがある。そのため今回のインタビューの聴講は非常に感慨深いものであったが、感動というより「腑に落ちた」という感覚が大きい。あの詩の世界はこのような人となりから生まれるということが、非常に腑に落ちて感じられるインタビューであったと思う。

 インタビューの内容についていま少し付言したい。谷川氏は「ごく普通の生活者」に伝わる詩を書きたいと述べた。しかし「普通の生活者」とはいったいどのような人か。この問いに答えることの困難さは、おそらく今日においていっそう増している。だが、谷川氏の作品は「普通」を志向することで個々人の生の差異を捨象しようとするものでは決してなく、むしろその徹底した素朴さゆえに、読者個々人の生において、それぞれの仕方で親密な位置を占めうるものであろう。その点は、インタビュー会場に漂う、静かな熱気と愛着に満ちた空気にも現れていたように思われる。

報告:筒井晴香(UTCP)

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