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【報告】佐藤将之氏講演会「なぜ『荀子』は21世紀にも読まれなければならないのか?」

2015.12.15 那希芳, 菊間晴子

2015年12月4日(金)16時45分から19時まで、東京大学駒場キャンパス18号館メディアラボ2において、国立台湾大学准教授の佐藤将之氏によって「なぜ『荀子』は21世紀にも読まれなければならないのか?」と題された講演がなされた。

この講演で佐藤教授は、荀子という思想家は現代のわれわれにとって如何なる意味で重要であるかを問い、「歴史的」「哲学的」「人間生活の実践」という三つの角度から荀子思想のもつ意義を語った。佐藤教授によれば、荀子の思想を知ることは「我々東アジア人の思想と価値をトータルに知ること」ともいえるほど重要である。教授は特に荀子における「人間理解の構造」と「礼」理解の二つに絞って詳しく論じた。

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まずは荀子の「人間理解の構造」について。佐藤教授は荀子を「性悪説」主張の思想家と位置づける従来の視点の問題を指摘し、荀子の「性」論を新しい視点から解釈すべきと強調した。荀子にとって人間の「性」とは、生まれる時はみんな同じであり、時間とともに「変化する」、空間的には二人以上の社会と政治集団の中で生きることである。こうした考えは人間の生来の平等性、善くなるよう変化していく可能性、共同体の中の人間のあり方を追求する実践性という三つの特色を荀子の人間理解にもたらしたのである。

荀子において、以上の「人間の本質」の実現は、みな「礼」と深く関わっている。佐藤教授によれば、荀子は一方で学ぶこと(「化性」)によって人間を善くなるよう変化させるための具体的なカリキュラムとしての「礼」を考案し、他方で人間社会を統合するための規範および制度的装置としての「礼治理論」を案出したのである。こうして個人の変化と社会の変化はみな「礼」に基いて行われる。この両者を連動的に捉えるところに、荀子の思想的特徴がある。また、こうした荀子の「礼的な人間」像は後代の歴史に重要な影響を与えたと佐藤教授は指摘した。

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「礼」によって定められた諸制度の規範的体系を国家運営の意識的な大綱とするのは「礼制国家」の構想であり、それはまさに中国漢代の課題であった。佐藤教授は漢代の「礼制国家」建設を「周礼」の継承と捉え、「礼」論の思想的資源をいわゆる「三礼」(『儀礼』、『礼記』、『周礼』)に求める従来の「礼制史」や「礼学史」研究の傾向を批判し、漢朝がほとんどゼロから礼制を整備させてきた歴史事実と、その過程において理論的根拠を与えた荀子の圧倒的な役割を強調し、漢代の「礼制国家」建設は荀子の「礼治理論」を継承・発展したものである、と述べた。佐藤教授によれば、荀子の「礼」論は理論性が高い点、黄老思想や『荘子』の「反礼論」に対抗できるほど思想的内容を有する点からして、漢代における儒学の優勢化のプロセスにおいて重要な役割を果した。また、その「礼」論は漢代の思想家、たとえば司馬遷などにも大きな影響を与えている。

このような荀子の「礼」論は、人間論、国家・社会構想、さらに天下秩序までカバーする雄大なシステムである。その漢代以後の「礼制国家」建設という実践に対する影響も甚だ大きいといえる。この「礼」論もまた荀子自身にとって大切なテーマである。その意味で佐藤教授は、「礼論」よりも「性論」や「天論」を優先して取り上げるいままでの荀子研究の問題を指摘し、「礼」論をきちんと位置づける新たな荀子研究の出現に期待を寄せているとのことであった。

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佐藤教授の講演後、会場では熱烈な議論が交わされた。その中で「礼治」と「法治」の関係、「礼治」の有効性などの問題についての王前氏の指摘や、フランスの社会学者マルセル・モース「贈与」論と関連づけて、国際間の問題解決における「礼」の重要な意義を再度認識すべきとする林少陽氏の指摘は大変興味深いものであった。講演は盛況の中で終了した。

文責:那希芳(IHS特任研究員)

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