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【報告】2015年度東京大学-ハワイ大学比較哲学夏季インスティテュート(8)

2015.09.29 梶谷真司, 中島隆博, 川村覚文

引き続き、2015年8月に行われたハワイ大学と東京大学の比較哲学インスティテュートについての報告です。今回は、8月17日に高野山蓮華定院で行われた講義の模様について、東京大学文科一類の大畑毅志さんに執筆してもらいました。

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ハワイ大学との合同summer institute、高野山では二日目に初めての講義が行われた。綺麗な庭のそばにある畳敷きの和室で行われ、寺小屋を彷彿させるものであった。
午前中は竹内信夫先生(東京大学名誉教授)の講義で、高野山開創の祖である空海の生涯と空海の言語観にフォーカスした講義・議論が展開された。まず、空海にとって言語とは単に考えを他人に伝えるという意味であるだけではなく、真言(mantra)である。manとは曖昧な思考、traは活動の道具とサンスクリット語文法で解されるため、mantraは身体全体のはたらきとしての思考に言及していると解される。従って、それは語る者と語られる者の二項対立に依拠する言語観とは完全に異なる。次に空海の有名なテクストである「声字実相義」については元々漢文で語られているため中国及びインドの言語が念頭にあったと解するのが相当である。殊に空海は梵語の音と文字に並々ならぬ興味があったことが推察される。空海の解釈においては、声字(言語)は実相、即ち全宇宙の存在そのものであるという主張がなされている。議論では、全ての言語が実相・真実であるという空海の世界観に対して間違っているものや妄言と言ったものの存在が矛盾を孕むことが指摘された。また、竹内先生のご専門であるフランス哲学の、ベルクソンによって提唱されたLa Vie及びélan vitalという概念と空海の生命に対する考え方の差異が、時間性の有無にあるという面白い議論もあった。更にそれに関連した形で、自然との一体化というガイア思想に言及した議論もあった。

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午後は小林康夫先生(青山学院大学特任教授)による講義で、小林先生なりに理論から離れてよりプラクティカルに「声字実相義」を解釈するという試みがなされた。空海の言語観は我々が日常使用するそれとも、西洋哲学におけるそれとも異なり、世界は言語であるという解釈をする。声字実相の関係を探る際に問題となるのは、実相の解釈である。声字に関しては、現象的な世界の表象と言えるだろうが、実相とは恐らく我々が到達し得ない現実、リアリティーではないかと考える。そこで空海にとっては如何に実相に到達しようとするかが重要となってくる。そして、空海の成し遂げたこととは、この声字と実相の橋渡しであると言える。声字と実相の間には確かに間隙が存するが、不可分で、謂わばコインの裏表である。現象により知覚できる世界としての声字と、決して到達し得ない真理としての実相の間の橋渡しのような関係性は即と呼ばれる。このような関係性はサンスクリット語のグラマトロジーと関係し、声字実相は複合語として把握される。結局のところ、声字は我々のletterによって表現される我々のrealityであり、実相は大日如来のrealityであると解されるべきだが、同時にそれらは一体であり、従って世界は大日如来によって語られ得るのである。
報告者(大畑)にとっては、どちらの講義・議論共非常にレベルが高かったものの、高野山という場所において空海、とりわけその言語観の真髄に迫ろうとする哲学的探究の追体験ができとても有意義なものになった。同時に空海の原典解釈に未だに多くの余地が残されていることも実感した。

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文責:大畑毅志(東京大学文科一類)

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