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梶谷真司「邂逅の記録77:P4T(Philosophy for Teachers)研究会決起大会「哲学は部活だぁ!」(2) 裾野を広げる」

2015.07.27 梶谷真司, 土屋陽介, 神戸和佳子, 阿部ふく子, 安部高太朗, Philosophy for Everyone

IPOから帰ってきて、やはり学校に関わってほしいと思った理由は、他にもある。IPOに引率している教員は、高校の先生が多い。なかには自分の教え子を連れてきている人もいる。とにかく日本のように、二人とも大学の教員というほうが珍しい。そして彼らと話をしていると、とにかく彼ら自身が普段から高校生と接していることがよく分かる。

ここから私が感じたのは、IPOで活躍するような高校生を育てようと思ったら、当の高校生を教えている現場の先生が関わらないといけないということだ。現在のところ、1月に日本代表に決まった高校生に対しては、3か月ほど課題を出して添削するという指導をしているが、彼らは勉強、こちらは仕事と両立しないといけないから、オリンピックの準備にそれほど集中することはできない。もう少し工夫も努力もできるが、数か月の訓練というのは、どうしても限界がある。

IPOのエッセイライティングは、哲学的な内容の文章に関して、自分なりに問いを設定して、それについて論理的で一貫した文章を、母語以外の英独仏西のいずれかの言語で書く、というものだ。参加国は英語が母語でない国が大半なので、ほとんどの高校生が英語で書くわけだが、日本人にとっては英語力で書くという点だけでも、相当にハードルが高い。

だから、まずは日本語でできるようになってもらわないといけない。そこでIPOの国内一次予選にあたる「倫理哲学グランプリ」では、同様の形式で日本語のエッセイコンテストを行っている。だが、テーマが哲学であることを除いても、自分で問いを設定して論理的な文章を書くということじたいが、そもそも日本の高校生にとっては未知の領域である。おそらくほとんどの高校生にとって、そのような文章は一度たりとも書いたことも習ったこともないだろう。応募作品として送られてくる作文の大半が、自分の体験や世の中の出来事について自分の思いや気持ちを綴ったいわゆる「生活作文」か、さもなければ「小論文」である。

では、生活作文は哲学エッセイとどこが違うのか。哲学エッセイには、議論すべき問いがなければいけない。自分の見解を批判的に吟味しなければいけない。そのために様々な立場を検討し、その中で自分の立場を明確にしなければいけない。論理性や首尾一貫性が要求される。そして、生活作文にありがちな、自分のためになったとか、先生や親、友達に感謝するとか、今後の人生に向けて決意表明するとか、そんなものは哲学エッセイにまったく必要ない、というか、あってはならない・・・要するに、全然違うのである。

では小論文なら近いのではないかと思うかもしれない。確かに生活作文よりは近い。しかし小論文とて、自分で問いを設定するわけではない。テーマはあらかじめ与えられていて、それについて既存の知識を使って問題点などを指摘し、一定の結論を導けばいい。他方、哲学エッセイは、問いの立て方は自由である分、落としどころがどこにあるかはまったく決まっていないし、いわゆる結論が出ていなくてもいい。既存の知識もその前提を問い、吟味しなければいけない・・・やっぱり、かなり違うのである。

もちろんエッセイコンテストで、それほど高いレベルを求めているわけではない。生活作文の中には、とても内省的で自分に批判的な目を向けつつ書かれたものもある。小論文のようであっても、哲学的に見て優れたものもある。コンテストでは、"センス"を見ているのであって、きちんと哲学エッセイが書けているかどうかは、必ずしも重要ではない。

だが、ずっとこのままでいいとも思っていない。哲学エッセイをはじめからある程度でも意識して書く高校生が増え、全体のレベルが上がっていき、層が厚くなっていくことが望ましい。そのためには、まず日本語での哲学エッセイの書き方を学ばなければいけない。だから、夏に開催される「高校生のための哲学サマーキャンプ」で、院生をチューターにつけて、それを教えているのだが、定員は30人のみ。1月の選考会でも同様の指導はするが、参加者は十数人。結局1年に2回、ごく限られた高校生に教えられるだけである。もっと普段からこういう機会があったらいいのに、と思う。

もちろん、いきなりこれを高校でやってほしいというのは、無理な相談だろう。それでも、その土台となるような活動が学校の中にあれば、そこから始めることができる。それが部活なり同好会である。そこで哲学に興味をもつ高校生が増え、せっかくだからエッセイコンテストでも応募してみよう、だったら、どうやって書いたらいいか工夫してみよう、誰かに教えてもらおう・・・そんなふうになったらいい。

IPOもエッセイコンテストも、いろいろある哲学の活動の一つの目標であれば、とりあえずは十分だ。甲子園に出なければ、野球をやる意味がないわけではないように、ただ楽しんでやれる場が必要なのだ。だからまずは気楽な部活なり同好会なりで、哲学の裾野を広げたい。そして合宿をすればいい。他校との交流もあっていい。そこで対話、ディスカッション、グループワーク、ゲーム、読書会など、いろんなことをすればいい。そう、楽しいのが一番だ! そういう積み重ねの中から、よし、エッセイコンテストで賞をとってIPOに出てやる!という野心をもった高校生が出てくる――そんな展開を期待したい。

(続く)

文責 梶谷真司(UTCP)

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