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【報告】駒場祭での哲学対話イベント「こまば哲学カフェ」(5)

2015.03.08 梶谷真司, 稲原美苗, 小村優太, 川辺洋平, 松山侑生, 土屋陽介, 佐藤麻貴, 宮田舞, 神戸和佳子, 崎濱紗奈, 安部高太朗, Philosophy for Everyone

駒場祭で開催された「こまば哲学カフェ」、以下は3日目のセッションについての報告である。
3日目は、「朝の哲学対話」「しかくさんかくまる」「落語×哲学カフェ」の3つのセッションが行われた。なお、「しかくさんかくまる」は、特定非営利活動法人こども哲学おとな哲学アーダコーダの協力により実現したものである。

朝の哲学対話:「大人になるってどんなこと?」(安部高太朗)

11月24日の「朝の哲学対話」は「大人になるってどんなこと?」という問いでなされた。参加者には残念ながら小学生などの年齢的な「子ども」はいなかったが、かつては「子ども」だった「大人」たちが対話をした。

企画者が教育学をまなんでいることもあってか、この種の話題でぜひ哲学対話をしてみたい、と思って今回の企画をした次第であるが、実際、対話でも教育の話や社会で役割を果たすことといったことへと話題が転換していった。

アンケートの感想によれば、もう少し哲学的な対話をしたかった(卑近な例に飛びすぎたり、社会機能の話で盛り上がりすぎた)あるいは「問いをしぼってもよかったのでは?」というご指摘や、展開がはやかったというご感想をいただいた。ファシリテーションをしながら、(テーマへの親近感も働いてか)私自身が話題の転換や議論の流れをきちんと読みとれておらず、少々対話に没頭した感もある。対話に参加しつつ、全体を見通せるような視野を持てるようにしていきたい。

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(安部高太朗)
 
 
 
 
しかくさんかくまる (川辺洋平)

駒場祭最終日の午前中、2時間の哲学対話を実施しました。
テーマは、「しかく、さんかく、まる」。対象は3歳から大人まで。

前半は大人も子どもも楽しめるクイズ・ゲームを行いました。
あらかじめ用意されたくじを引き、くじに書かれたものを、紙に書きます。
ただし、何が書いてあるかは誰にも見せないこと。
そして、紙には、しかく、さんかく、まる、の基本図形で構成した絵を書くこと。
開始から10分ほど、参加者は黙々と配られた紙に、絵を描きました。

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全員が絵を描き終わると、丸くなって、それぞれが書いた絵を発表します。
自己紹介とともに、一人ずつ絵を見せ、他の参加者が手を上げて描かれたものが何かを意見します。
意見する際には、「なぜそう思ったのか」を言ってもらうようにし、後半の哲学対話の練習になるように構成しました。
全員の絵が発表されていく間に、「なぜこうなるのか」「どうしてだろう」と思ったことを心に留めておいて、あとで発表して下さいと事前にお伝えし、全員が発表を終えたところで休憩時間をとりました。

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後半は、クイズ・ゲームを通して感じた疑問を上げてもらい、それをファシリテーターである私が、黒板に板書していきました。
10分ほどで8つの疑問が出てきたので、それを1つの疑問にまとめていき、「伝わる/伝わらないの違いは何なのか?」をテーマに、哲学対話を30分実施しました。
対話の中で、子どもたち(未就学児から小学生)も積極的に手を上げて意見を言う場面が目立ち、大人もまた、子どもに配慮しながら言葉を選ぶシーンが多く見られ、年齢を超えて、同じ体験を共有したグループのフラットなやりとりが感じられる対話となりました。

この対話は、結論を出さず、時間でバッサリ切って終了となりましたが、「はなしている人の話をきく」「はなしたいときはボールを持ってはなす」「考えている人をまつ」「わからないときは、わからないと言おう」「意見をいわなくても大丈夫」という約束の通り、最後に"何も意見を言わなかった人"にも全員で拍手をする温かい哲学対話になりました。

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(川辺洋平)
 
 
 
 
落語×哲学カフェ
 (進行・ファシリテーション:土屋陽介
/落語の口演:くちばしやきいろ)

パソコンのスピーカーから打ち出される一番太鼓の音とともに、2014年こまば哲学カフェのトリを務める「落語×哲学カフェ」は始まりました。高座が設えられ、寄席囃子が流れる会場は、午前中までと打って変わってすっかり寄席の雰囲気に。池袋演芸場とまではいかずとも、上野広小路亭ぐらいなら十分にタメを張れるキャパシティ。落語と哲学という異色の組み合わせに、いったいどれだけお客さんが集まってくれるのか最初は(いや、開始5分前まで)だいぶ不安でしたが、演者のきいろさんが高座の上でマクラを振りながらお客さんを巧みに呼び込んでいるうちに、気づけば会場はほぼ大入り満員と相成ったのでした。

落語×哲学カフェは、落語のライブを素材にしてみんなで哲学対話をしようという、なんとも贅沢な遊びでした。もちろんこれは、落語も哲学も大好きな担当者の「完全な趣味」から始まった企画(大学祭なんだから、僕だって遊びたい!)。企画が通ると、担当者は人生初の「席亭」役にうかれっぱなしで、さっそく学生時代の後輩のアマチュア落語家であるくちばしやきいろさんに声をかけて、名古屋での公演前のお忙しい中を無理を言ってスケジュールを空けてもらいました(きいろさんは現在、東京と名古屋を中心に、セミプロの落語家・コメディエンヌとして活躍中です)。当日は、きいろさんの十八番の演目の中から、哲学的な問いの萌芽がたくさん含まれている「品川心中」を演じてもらうことに決定。この演目の打ち合わせでメールのやりとりをしていたときが、担当者が「席亭きどり」と哲学カフェの「マスターきどり」を両方同時に満足できて、いちばん楽しかったひと時だったかもしれません。

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イベントは、いきなりメインディッシュのきいろさんの落語のライブから始まりました。話の背景を説明する丁寧なマクラから、本編はたっぷり30分の長講!いやあ、本当にお上手な、すばらしい高座でした。「そこらの前座には負けない」との本人の言葉以上で、そこらの二つ目とも十分に渡り合える内容の高座でありました。これだけのライブをタダで楽しめたのだから、もう哲学対話なんて野暮なことはしなくていいんじゃないかと内心思いつつも、後半は担当者がきいろさんとバトンタッチして哲学対話のファシリテーション。遊女としてのプライドと見栄のために心中を決意するお染と、なりゆきでそれに巻き込まれて、いつの間にか死ぬことになってしまった金蔵のやりとりを中心とした物語から、「死ぬ名誉(見栄)と生きることのどちらに価値があるのだろうか?」「死ぬのに適した状況とはどのようなものなのだろうか?」「自殺するとしたら、どういう人と一緒に死にたいだろうか?」「死にたいと思って死ねるのだろうか?」などの、たくさんの問いが参加者から挙げられて、グループに分かれていくつかの問いについて探求を深めていきました。(「品川心中」の詳しい内容はこちら

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この企画を思いついたとき、担当者の頭の中にあったのは「粋」と「野暮」という一対の言葉でした。江戸前の落語とは、粋であることをよしとして、余計な説明をそぎ落とし、話の本質だけをこざっぱりと伝えようとするものです。この価値観は、とにかくしつこくねっちり言葉を重ね、細かいことにこだわってうじうじ考え続ける哲学の価値観と真逆である(野暮の極み!)ように担当者には思われたのです。それならば、この両極端の価値観を持つ営みを同じ場所で同時に行ったら、いったいどのような化学反応が起こるのか。担当者にとって今回の企画は、そういう実験のつもりでもありました。しかし、実際にそれをやってみると、担当者の感想は極めて単純で、落語は落語の粋がよいけど、哲学は哲学の野暮さがまたよいなあ、というだけ。なんだかバカみたいだけれど、落語のよさと哲学のよさはお互いをまったく殺すことなく両立しうるもので、「それをかけあわせるとどうなるか」とか考えること自体がいちばんの野暮天だったんじゃないか・・・ということに気づけたことが、担当者にとっての収穫でした。

(土屋陽介)

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