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【報告】駒場祭での哲学対話イベント「こまば哲学カフェ」(2)

2015.03.04 梶谷真司, 稲原美苗, 小村優太, 川辺洋平, 松山侑生, 土屋陽介, 佐藤麻貴, 宮田舞, 神戸和佳子, 崎濱紗奈, 安部高太朗, Philosophy for Everyone

駒場祭で開催された「こまば哲学カフェ」、以下は1日目のセッションについての報告である。1日目は、「朝の哲学対話」「環境をめぐる哲学対話」、「キュン♡コスプレだらけの対話大会!〜恋がはじまる音がした〜」、「さらば我が愛!〜終わってしまう愛をめぐる哲学対話〜」の4つのセッションが行われた。(第4セッションについては、前回の報告をご覧いただきたい。)

朝の哲学対話:「お金をもっても人が不幸に感じるのはなぜか?」(安部高太朗)

11月22日の「朝の哲学対話」は芥川龍之介の『杜子春』の一節を題材にして〈お金とひとの幸せ〉をめぐってなされた。朝一番ということもあってか、参加者は決して多くはなかったものの、「お金があっても人が不幸だと思うのはなぜか」あるいは「『幸せ』の尺度はひとによって異なる」など興味深い論点が出された。

アンケートでは、もう少しゆっくり話したかったというご意見もあり、ファシリテーターとしての至らなさも実感した。限られた時間ではあったが、私自身にとっても初のファシリテーションで得られた経験は貴重であり、今後の糧としたい。

(安部高太朗)

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環境をめぐる哲学対話(佐藤麻貴・宮田舞)

テーマ:「隠されたもの、見えなくなったものから環境を考える―ウンチを中心に」

環境をめぐる哲学対話ということで、我々の生活環境の中から見えなくなってしまった夜空に瞬く星からウンチの話を中心に、見えなくなってしまったものや隠されてしまったものから環境を考える、というテーマで哲学対話をした。ウンチを活用した事例として、実際に牛糞堆肥やゾウ糞から作られた紙に触れてもらいながら、導入として10分程度、共同主催者の佐藤がプレゼンをした。初日の午前中ということで、お子さんに来てもらうことを期待していたのだが、むしろ環境問題についてマジメに日頃から考えている大人の参加者が多く、途中出入りがあったものの、10名程度の丁度良い規模での哲学対話だった。

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導入の話を聞いてから、まずは、一人ひとりの自己紹介に続いて感想を言ってもらった。「汚いもの、恐ろしいものを露骨に出すか、隠すかの両極端な現代において、汚いものとの適切な付き合い方は何か」「最近、犬のウンコを見かけない!」「雪が減るのは悪いことなのか」等々、参加者の皆さんは思い思いに感想を述べてくれた。「見えなくなるものと無くなるものの関係は何か」「見えなかったものが見えるようになることで、世界観が広がる」「加工するとは嫌悪感があって、隠そうとすることなのか」「関心があるから加工するのではないか」と、話が尽きない中、一端、休憩し、問い出しをする。

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問い出しでは「何を守りたいのか」「環境とは何か」「誰にとっての環境か」「汚いもの、危険なものも含めて環境か」の4つに絞られ、「誰にとっての環境か」がテーマとして選ばれた。この問いが曲者で、むしろ、非常に示唆に富んだ質問であり、対話を通して、「環境とは、常に誰かにとっての環境、が前提にある」「何らかを中心におかないと環境は語れない」という気づきに至り、結局、環境を語る際に、我々は人間中心主義的、エゴ的欲求に基づいてしか環境について語り得ないのではないか、といった発言がでてきた。対話の終盤には、環境を離れ、人間のエゴについて、エゴをどう乗り越えれば、環境問題に適正にアプローチできるのか、といった非常に深い話へと展開していった。「環境とコミュニケーションをとることでしか、非エゴ的な行動にはならないが、では環境とコミュニケーションをとるとはどういうことだろうか」といった問いが出てきたところで、残念ながら終了時間となってしまった。

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主催者の一人としては、環境問題という、ともすると薄っぺらい話、すなわち人間中心主義的エゴと個人のエゴを満足させることに終始してしまう話題が、ここまで深く、核心をついたものに展開されたことに、感銘を受けた。個人的には、参加者の方からの「ウンチだけをテーマにしても良いのでは?」という感想に勇気づけられた。是非、機会があれば、ウンチだけをテーマに哲学対話をしてみたい。

(佐藤麻貴)
 
 
 
 
キュン♡コスプレだらけの対話大会!〜恋がはじまる音がした〜
 (松山侑生・小林実可子・山村洋・原田亮)

「服を着替えて対話してみるとか、どうだろう?」
駒場祭でのてつがくカフェ企画を考える会議で、メンバーの山村洋氏が口にしたひとこと。それを、去年行われた演劇を用いた対話企画に「“着る”というアイデアを一緒に組み込んでみたら」と、同じくメンバーの小林実可子氏がアイデアを出したことから、本企画は生まれた。

本企画は、略して「コスプレ対話」。演劇×哲学対話企画では恒例の「恋愛」をテーマにしつつ、男女がそれぞれ性別を入れ替えたコスプレをし、その立場で演じたり、対話したりする企画である。強制的に身体を変化させたら人は思考が変化するのか?どういった知覚や思考の変化が生じるのか?哲学対話における身体性を検証するといった、研究的テーマがふんだん盛り込まれた対話企画だ(と、私は信じている)。なお、今回は劇団「間」の俳優・原田亮氏にお手伝い頂いた。

では、実際にはどのような内容だったのか。構成としては、まずナンパをしてもらい、次に合コンをしてもらい、最後に自分自身の性別を入れ変えた状態で哲学対話をした。どうだろう、文章にするともうカオスだ。いや、実際も相当カオスであった。でも、それは今自分に現れている現実がゆらぎ、新な地平が生まれようとしていた結果だと思う。ただ、これだと飲み会と間違われかねないので、以下具体的に説明しよう。

①ナンパ
これはまず「役になる」ためのワークである。つまり、演技に親しんでもらうことが目的だ。ワークとしては、2人の役者にナンパがうまくいかない場面を演じてもらう。そこで、参加者からアドバイスをもらい、それを受けて演技を変更していく。慣れてきたら、参加者が役者と入れ替わって演技をしてもらった。

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②合コン
次は「ふるまい」のワークである。これは、身体表現を縛るということを目的としていた。まず、男女4名ずつ出てきてもらい、カードを引く。そこで指示された役柄(ex.セクシーな女性、すごく面倒くさい男性)にあったコスプレをしてもらい、その役の立場で合コンの場面を皆で演じるというものである。皆思い思いに衣装を身につけ(特に、男性の多くが果敢にもスカートに挑戦してくれ、中には香水をつけた人もいた)、悪戦苦闘しながらもその役を演じ、会場に笑いの渦に包まれた。

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③コスプレ哲学対話
最後、これが本企画のメインテーマである「思考/身体」のワークである。別の視点で発言する、思考するということを体験してもらうため、男女それぞれ自分とは違う性別になりきってもらい、「恋はいつはじまるのか?」という問いで哲学対話を行った。なお、今回は敢えて「男/女」という極端なカテゴリー、ヘテロセクシュアルの場面を設定したが、理由は「男性らしさ」「女性らしさ」(と呼ばれるもの)を纏った時に、どう自分の思考が変化するのか、見え方が変わるのか、振る舞いが変わるのか、それを体感しやすくするためであった。そして、その体験を通して感じた差異なり違和感なりを、最後の哲学対話において問いとして探求してもらいたかったからだ。最後の対話ではそうした違和感を持ち寄り、「恋の始まり」について大いに話に花を咲かせた。(もしかしたらその後、誰かの恋の花も咲いたかもしれない。)

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こうして大盛況に終わったコスプレ対話だが、いろいろ課題点もあった。特に、コスプレした立場で問いを探求すること。理由は、匿名の男性、女性をすぐに演じることが難しかったからだ。端的に言うと、キャラができていなかったからである。これは、当日役者として参加した原田氏と話して見えてきたことだが、男性的・女性的といった思考はなく、むしろ思考とはキャラクターであり、キャラクターの中に性別があるのではないか、という発見である。自分とは別の思考をするには、性別や職業といった属性の一部だけを得ただけでは難しく、キャラクターとして出来上がっているもの(ex. 不二子ちゃん、ジャイアン)でないとできない。しかも、それを“表現”として表にだしてもらうという縛りを効かせないと(=身体行為を縛る)、思考の変化を体感できないのである。これは反省であると共に、哲学対話に身体性を用いるためのヒントとして、大きな収穫にもなった。

このような企画を通して下さったUTCP、そして一緒に創りあげた小林実可子氏、原田亮氏、山村洋氏へ、感謝申し上げます。なによりご参加頂きました皆様へ、心からの感謝と御礼を申し上げます。

(松山侑生)

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