Blog / ブログ

 

【報告】シンポジウム「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」その1

2015.01.13 川村覚文, 國分功一郎

2014年9月21日は日曜日、東京大学駒場キャンパス18号館ホールにて、シンポジウム「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」が開催されました。シンポジウムの登壇者として、樋口陽一氏(東京大学名誉教授・憲法学者)、島薗進氏(上智大学教授・宗教学者)、國分功一郎氏(高崎経済大学准教授・哲学者)を招き、松平徳仁氏(神奈川大学准教授・憲法学者)とUTCPの川村がモデレーターを務めました。

本シンポジウムの目的は、現在危機に瀕している立憲デモクラシーについて再考するということです。以下、二回に分けてシンポジウムに関する報告を掲載いたします。(本シンポジウムは2014年9月22日発刊の朝日新聞「天声人語」においても、ふれられています。)

*********************************

まず、はじめに川村の方から軽い挨拶と企画趣旨の説明を行ったあと、各登壇者から約30分ずつスピーチが行われた。最初の登壇者であった樋口氏からは、まずこのシンポジウムがかかげているテーマが大変大きなものであり、それを自身の観点からどのように受け止めたのかということについて、本シンポジウムではお話しされたい旨述べられた。

樋口氏によると、本シンポジウムのテーマに関連して、二つのことが考えられるとのことであった。一つ目は、「立憲デモクラシー」の基本認識に関わることである。批評家である加藤周一による議論を参照しつつ、立憲デモクラシーの定義を「個人の尊厳と平等を基礎とした社会制度」と述べられた上で、ユーロ・アトランティック圏における立憲デモクラシーの危機と、日本での立憲デモクラシーの危機という、二つの危機的状況が同時に起こっているという認識を示された。そして、日本における危機においては、例えば自民党による憲法修正案が「個人」という言葉を使うのを避け「人」という言葉を使っているのを指摘しつつ、そこには個人を基礎にして考える立憲デモクラシーの理念をトータルに否定しようとする姿勢が現れていると厳しく批判された。

photo_ccd1.JPG

二つ目は、「東アジアの思想文化」に関してである。このテーマに真正面から取り組むのは難しいと前置きされた後、しかし東アジアでの日本近代がどのような意味を持ったのかを考えることは、大変重要なことであると述べられた。日本の近代は1889年に制定された東アジア初の近代憲法体制(1889年体制)に規定されてきたが、その大日本帝国憲法は個人抜きの立憲体制であった。そして、樋口氏が1989年にパリの世界大会で「4つの89年」として述べられたエピソードを紹介されつつ、この89という数字にまつわる立憲主義にかかわる重要な事例として、1689年のイギリス権利章典、1789年のフランス人権宣言、1889年の大日本帝国憲法、そして1989年の天安門事件を挙げられた。このような世界史的な流れの中で、立憲的な体制を構えた国家として、すなわち近代国民国家としての日本が、東アジアに思想的にどう向き合ったのか。たとえば、日清戦争=甲午戦争を通じて中国が日本に向けた関心――たとえば梁啓超など――に日本はどのように向き合ったのか。こういった問題を考えることは比較憲法という観点からも大変重要である、と樋口氏は指摘された。

以上のテーマに関する考察の後、現在の日本における立憲デモクラシーの危機についてへと発題の焦点は移っていった。樋口氏は、立憲デモクラシーの危機は「個人の危機あるいは欠如」として捉えるべきである、と指摘された。そして、よくあるクリシェとしての「(西洋社会に対して)日本には個人が存在しない」というものに対する批判を、次の二つの次元を分けつつ説明された。すなわち、一つ目のレベルとしては記述的レベルの問題であり、この点から見れば西洋においてもかつてのマッカーシズムから近年のティーパーティに至るまで、個人があるようには見られない。それに対し、二つ目のレベルとしては規範的なレベルの問題があり、この点から見ればそもそも理念の問題であり、それが確実に機能しているかどうかは西洋でも危ういが、その一方でこの理念を導入しようという努力は、日本においても少数ではあるが知識人によって確実になされてきた、という。それは、例えば夏目漱石による「私の個人主義」や吉野作造による「国家中心主義と個人中心主義」という議論において見られるが、樋口氏はとりわけ小野梓(早稲田大学創設者の一人)に注目され発題を展開された。

小野は『国権汎論』や『民法の骨』といった論考を通じて、「独立自治の良民」の存在の重要性を説いた。そこには、家族を基礎とした――小野の言葉では「一団の家族」――国家ではなく、平等な個人を基礎とした――同じく「衆一個人」――国家を形成することを求める意志が明白に現れているのである。それは、言い換えれば「家」制度による束縛と抑圧への批判でもあったのだ。こういった小野に代表されるような批判意識を、日本の少数の知識人は継承してきたという問題を無視してはならないと同時に、一般民衆レベルにおいては個人よりも「一団の家族」に基礎を置く方が、常識として今日まで引き継がれているのではないかという問題もあることを、指摘された。

そして、最後にカール・レーヴィットが『ヨーロッパのニヒリズム』で述べた「二階建ての日本人」という指摘に触れ、樋口氏は自身の発題を締めくくられた。ユダヤ人であったレーヴィットはナチスからの迫害を逃れ一時東北帝国大学で教鞭をとっていたが、その経験から日本に関して次のような事を言っていた。すなわち、日本人は二階建ての家に住んでおり、一回では日本式の生活様式を営んでいる一方で、二回ではプラトンからハイデガーまでの学問について議論しており、この間の階段はどのように存在しているのか疑問である、というのである。ここでの含意は、ヨーロッパの学問・思想には批判精神があるが日本人はどこまでそれを理解しているのか、という懐疑であり、樋口氏はレーヴィットのこのいささか意地悪な疑問に全面的に賛同するわけではないが、真摯に受け止める必要が我々にはある、というように述べられた。

続いて、國分氏が登壇された。國分氏は自身の専門が17世紀および現代のフランス哲学であり、本シンポジウムのテーマの直接の専門家ではないということわりを最初に述べられつつ、しかし現在の危機的状況には何かしらの応答をせねばならないと指摘された。國分氏はまず2014年の9月17日の赤旗に掲載されていた樋口氏のインタビューに触れ、そこで1973年に樋口氏が処女作となる『近代立憲主義と現代国家』を発表されたことについて話されていたことに注目された。1973年当時は、全国で革新自治体が続々と誕生し、「民主」が大いに元気な時代であった。しかし、この時代に樋口氏はあえて「立憲」を全面的に打ち出すことで、民主の名のもとで成立した権力であってもそれは制限されるべきであるという姿勢を打ち出した。國分氏はこのような主張は注目されるべきものであると指摘された上で、1974年生まれ――つまり樋口氏の処女作の後を生きてきた――世代として、この主張をどのように理解すべきか考えねばならない、と主張された。

photo_ccd2.JPG

そして、現代(2014年)における立憲デモクラシーの危機に関して、7月1日の解釈改憲、すなわち現行憲法下での集団的自衛権の限定的容認を例に取りつつ、次の二つの視点から分析された。その一つ目は、日米安全保障条約との関係をどう捉えるのかという視点からである。解釈改憲を通して安倍政権は何をしたいのかというと、その一つは有事のための法の改正というものとして理解できる。しかし、このような目的の達成は、改憲なしでも新たな法律を作ることで可能なはずである。それに対してもう一つの目的は、日本への明確な武力攻撃があった場合の対処として集団的自衛権を容認したい、というものである。しかし、これに対しても個別的自衛権で対処可能なのではないか、という異議を唱えることが可能である。これらの考察から得られる結論は、解釈改憲の目的はそもそも自衛力の強化や安全保障の担保ではなく、むしろ憲法解釈の変更それ自体が目的となっている、というものである。

つまり、國分氏によれば、安倍政権の目的はとにかく憲法を変えたい、憲法そのものを変えるのは無理だとしても解釈だけでも変えたい、というものであるというのである。安倍政権はそのような「何が何でも改憲」という欲望によって突き動かされており、憲法を変えること自体が自己目的化しているのである。そしてそのような欲望を支えているものとして、戦後憲法への強い怨念もしくは憎悪が存在しており、そこには論理を欠いた「ニヒリズム」が見られるという。

しかし、なぜそこまで戦後憲法へ憎悪を向けるのであろうか。國分氏は自身と同じ世代が主要な構成人口となっているいわゆる「ネトウヨ」世論を例に取り、そこに戦後民主主義への反発心があることを指摘された。戦後民主主義においては、民主主義もまた立憲主義によって制限されるという前提が存在している一方で、多くの改憲派は反動的な戦後憲法に変わる反動的・保守的な憲法を制定しようという意図を持っているため、立憲主義が民主主義の擁護として機能してきたという事実も存在している。その中で、護憲派の主張がある種の「お札」のように機能し、改憲派の無知を嗤いつつ権威主義的に振る舞ってきたかのように、少なくない人々の目には写っている。それは、言い換えれば権威主義によって民主主義が担保されているというような、ある種の欺瞞として人々の目に写っているのだといえよう。その結果として、戦後憲法体制への反発がうまれてきているのではないか。このように國分氏は問うのである。

このような分析を受けて、國分氏は、立憲主義と民主主義の間にはある種の齟齬が在るということを意識すべきである、と主張された。それによって、現在起きている事態を整理できるようになるという。そのうえで、これまで立憲主義に関しては十分に議論されてきていないのではないか、と國分氏は指摘された。とくに、國分氏が専門とされているフランス現代思想は民主主義をより重視する傾向にあり、たとえばアントニオ・ネグリなどは明確に立憲主義を否定している、と述べられた。

安部晋三による最近の「私が最高責任者」という発言は、最悪なものには違いないが、ある種の民主主義的意識に基づいているといえるのではないか、と國分氏は指摘された。それは、上からの権威主義的な立憲主義に反発するものでもあるといえよう。このような反発意識はワイマール期の民衆においても見られたが、それはこれまで自分たちを導いて来た原理への激しい怨念として生じたのであった。そして、それこそが、レオ・シュトラウスが「ニヒリズム」として分析したものであると指摘され、國分氏は発題を締めくくられた。

文責:川村覚文(UTCP)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】シンポジウム「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」その1
↑ページの先頭へ