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【報告】セミナー「日本哲学と翻訳―西田幾太郎の「場所」を英訳から読み直す」

2014.11.29 梶谷真司, 中島隆博, 石井剛, 川村覚文, 佐藤空, 神戸和佳子

 ジョン・クランメル氏を迎えた今回のセミナーは、2014年11月8日(土)に東京大学・駒場キャンパス18号館にて予定通り実施された。

 最初に、中島隆博氏(東京大学)より開会の挨拶があったあと、上原氏(京都大学)から今回の合同セミナーの趣旨説明があり、京都大学と東京大学の大学院生による報告に引き継がれた。

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 第一報告者のシモン・エベルソルト氏(京都大学)は、西田「場所」、第一部の箇所を担当し、原書、仏訳(Le lieu, trad. Reiko Kobayashi, Bordeaux, Éditions Osiris, 2002)、さらにはクランメル氏の英訳を対比しながら、「場所」、「非論理的」、「超論理的」、「包論理的」、「でなければならぬ」、「無限」等の語の問題性について述べた。この報告を受けたあとの全体討論では特に「場所」の翻訳に焦点が当たり、bashoとそのままにして訳さなかったクランメル氏に対して、エベルソルト氏はこれを適切に英語に訳す必要があるのではないかという提案がなされた。

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 次に、杉谷氏(東京大学)が英訳「場所」の第二部についての報告を行なった。そのなかでは、一つの誤訳を手がかりに西田の「場所」をどう捉えるかの点での「ズレ」について焦点が当てられ、詳細な報告がなされた。この点について、誤訳は技術的問題にすぎず、西田「場所」の内在的なロジックや西田が意識していた同時代的な脈絡をより重視せねばならないといった参加者からの指摘があった。
 さらに大田裕信氏(京都大学)は、西田哲学を専門とする立場から、クランメル氏の翻訳について詳細な報告とコメントをした。そのなかでは「日本語では書かれて居らず、勿論外国でも書かれてはいないという奇怪なシステム」(小林秀雄「学者と官僚」)とも言われる西田幾多郎の難解なテクスト「場所」を英訳したクランメル氏に対する敬意が表されるとともに、「場所」「於てある」といった語意レベルから「なければならない」といった西田が反復する言い回しのレベルまで、どのように翻訳することが適切か、突っ込んだ指摘がなされ、これに対しても、クランメル氏を囲んで活発な議論が展開された。また、大田氏からは日本人だけでなく中国、フランス、アメリカの研究者、それも専門外の研究者を交えてなす研究会は、専門の研究者内部だけの研究会・学会とは違った視点から議論がされる点で非常に興味深いものであるとの指摘もなされた。

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 つづけて八坂哲弘氏(京都大学)は、「場所」の第六部の翻訳について報告を行なった。そしてそのコメントを受けて、“(grammatical) subject,” “predicate” and “particular,” “universal.” などの翻訳とその概念について活発な議論がなされた。また、「判断の矛盾」という用語を“contradiction in judgment”と翻訳したクランメル氏の訳語について八坂氏は、”contradiction of or amongst judgments” という訳語の方がふさわしいのではないかという提案をした。これに対して、クランメル氏は、この「判断の矛盾」は全ての包括的な判断に内在する矛盾を意味し、これを英訳する場合には “in judgment” という訳の方がふさわしいと解答した。
 張煒氏(東京大学)の報告は、日本語と英語版の「場所」のテキストとともに、中国語の「場所」のテキストとも比較することによって、クランメル氏の翻訳を分析するという手法を示した。そして、張煒氏は中国語訳と英語訳とのあいだに存在する様々な差異を指摘した。また、これと関連して、異なる言語で、同じテキストを読むことによって、そのテキストに対する理解が一段と深まることが示された。

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 最後の中島優太氏(京都大学)の報告によれば、西田は日本語を用いてはいるが、多くの場合、単語のレベルでは西洋語での哲学用語を念頭に置きながら論文を書いていたように思われるのであった。それにもかかわらず、多義的な文章や表現が多く理解と翻訳は困難であるといえる。たとえば「性質的なるもの」という語はある時には英語でいうqualityを意味し、別の時には「qualityを含んだもの」等々、を意味するのだが、こうした曖昧な表現は幾通りもの解釈を可能にしてしまい哲学論文には相応しくない。翻訳の試みは西田のテクストのこうした曖昧さに気づかせることを指摘し、偶然にも張煒氏と類似した指摘がなされた。

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 各々の報告は、個々人の異なった視点から多様な指摘がなされるとともに、互いに共通の問題を扱っている場合も多く、報告全体としては、多層的とも評されるべき内容であったと思われる。そして、それぞれの報告、指摘、質問に対して、クランメル氏が一つ一つ丁寧に耳を傾け、自らの考えを懇切に説明している姿が非常に印象的であった。

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西田哲学を題材にして、日本語と英語の両方で哲学の意味と言語表現を考え、それを異なる言語を母語とする討論者たちが互いに熱心に、しかし、懇切に、そして礼儀正しく議論している姿は、グローバル化の進む今日にふさわしい研究の現場であったといえるだろう。閉会の挨拶を行なった石井剛氏(東京大学)の言葉にあったように、このセミナーを通して参加者たちは国境の垣根を越えて「英語で互いにコミュニケーションしながら哲学ができることを示した」のであった。このような試みが今後も継続されることが哲学、人文科学の発展のためにも、グローバルな世界における相互理解のためにも必要であるように思われる。

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(文責:佐藤空)

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