Blog / ブログ

 

時の彩り(ラスト・ラン) 168

2014.08.06 小林康夫

★猛暑が続きますが、みなさま、いかがおすごしでしょう。じつは、わたしはこの暑さは、あまり堪えない。もちろん汗びっしょりで、ふうふういっているのですが、いかにも「太平洋高気圧の夏」というこの猛烈さが嫌いではありません。蝉がなき、空が青く、暑い風が皮膚のうえをわたっていくと、気持ちが晴れ晴れとしますね。この強度が毎年、わたしの身体に「年輪」として刻まれている、と口走ったら、笑われましたけど。かつて留学中に、ヨーロッパの澄んだ乾いた夏の光(clarté)に陶然となりながら、しかしどこかで東京の非人間的なまでの強度を惜しんだことを思い出します。
ともかく、この暑さのなか、資料の本を読みながら、進まない原稿(「絵画の哲学」、あるいは戦後文化論、ほか)を書こうとし、届いたゲラの校正を行い、また昨夜のように、昔、わたしの本をつくってくださった懐かしい編集者の方々と久しぶりにあって楽しく会食したりと、休んでいるわけではけっしてないが、「夏休み」らしい時間が流れていきます。開かれて解放される時間ですね。

★でも7月いっぱいはいろいろあって、試験や採点は当然ながら、星野太さんの博士論文審査(7月28日)もあったし、語り下ろしでつくっている本があって、その吹き込みのためのセッションもあった。いつもそうですが、結構、「待ったなし」の危うい綱渡り。そんななかで、7月25日には、ニューヨークのシティ・ユニヴァーシティのMarnia Lazreg教授が訪ねてきてくれました。ミシェル・フーコーにおける日本(東洋)のインパクトの問題を研究していて、それについてのわたしの考えをわざわざ聞きに来てくれた。フーコーの2度の来日のどちらにも一聴衆として参加していたし(最初のときは、駒場の2年生でなにもわからなかったけど、二度目のときは質問までしたりした)、わたしの知的キャリアにとってとても大きな存在だったフーコーについて語るのは楽しかった(日本じゃ誰もそんなこと聞きにこないものね)。フーコーの全体像、とりわけ最後の位相についても意見交換できて有益でした。わたしのほうは、「フーコーにとっての《東洋》というのは、結局、カリフォルニアだったと思うな」とか、勝手な暴言をつぶやきましたが、これが結構、賛同を得られてなかなかスリリング。(いつもそうですが)立石はなさんに撮ってもらった写真を掲げておきます(Hana-Penguin、いつもありがとう)。

168_1.jpg

Recent Entries


↑ページの先頭へ