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【報告】Sophisms, Puzzles and Paradoxes in Ancient China: From the Perspective of Comparative Philosophy

2014.07.16 石井剛, 川村覚文, 筒井晴香, 佐藤空

陳波教授の講演は、予定通りの日程で行われた。講演は陳波教授の快活な人柄とともに和やかな雰囲気を保ちながらも、教授の研究に対する情熱によって聴衆は講演に引き込まれていったように思われる。

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陳波教授は秦王朝期以前の中国の哲学者たちによって提唱されたソフィズムとパラドックスを6つのグループに分けて分析した。そのグループとは、運動と無限についてのパラドックス、分類区分に関するパラドックス、意味論的なパラドックス、認識論的パラドックス、、相対性のパラドックス、そして、その他の論理的パラドックスである。そして、中国の哲学用語と古代ギリシャ、今日の西洋哲学の用語が比較され、様々な類似性が指摘された。
 エレアのゼノンがそうだったように、古代中国の思想家たちも運動と無限の神秘に当惑した。動き続けるものと静止し続けるものをどのように定義し、分析すれば良いのか。様々な分類をどのように定義すればい良いのかという問題もある。古代中国の思想家たちはこの問題に対しても様々に提起していた。意味論的なパラドックスについての思索も彼らの間では盛んだった。古代中国哲学者たちは言語的な表現の意味と関係にも興味を示し、言語の持つ不思議な機能と隠れた危険性についても意識していたようである。

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 認識論的な分析にも優れたものが看取できる。感覚と知覚は多くの要素の協調によって生み出される。そして、時に「火は熱くない」だとか「目はものを見ない」といった一見不可思議とも言える主張をしたのだが、そのような外界と人間の知識に関する逆説のいくつかはソクラテスやメノ、デカルトら西洋哲学が提起したパラドックスに通じるものがある。相対性についてさえも、中国哲学は古くから鋭い分析を行っていた。我々の観点が変われば、世界観そのものが変更される。「空は地上と同じくらい低く、山は沼地と接」し、「昼下がりの太陽は日没であり、生まれたものは死につつあるものである」かもしれない。

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 陳波教授の論旨は非常に鋭敏かつ明快であり、古代中国哲学の持つ潜在力と、西洋哲学との親近性について鮮やかに描き出していた。講演後、石井剛氏(UTCP) から、他の中国哲学者と陳波教授との違いが指摘された。中国哲学のみを分析の対象にする他の研究者と比べて、西洋哲学との比較を通じて、中国哲学の特徴を分析する方法には独自性があるように思われる。陳波教授は、ある時期から意識的に、英語で論文を執筆し欧米の専門誌に投稿を続けてきた自らの研究人生について触れた。それは非常に興味深い話であったが、筆者には、外国で英語で研究発表を行ない、精力的に英語論文を執筆する陳波教授のような研究者が中国哲学の分野で存在すること自体、時代を象徴しており、世界的なグローバル化と人文学における国際化とが並行して起こっている現状について改めて考える機会となっった。
 (文責:佐藤空)

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