Blog / ブログ

 

時の彩り(ラスト・ラン) 159

2014.05.26 小林康夫

★(le sang de la parole) 先週の水曜、劇作家/詩人のヴァレール・ノヴァリナさんの会は、わたしにとっては、素晴らしい経験でした。なにしろ、2年半前に偶然、パリで会ったのが2回目の出会いで、これが3回目(最初は10年以上前に世阿弥のシンポジウムがあったときでした)なのに、わざわざ最新刊の著書『Observez les logaèdres』(なんと訳するのでしょう?)にあらかじめデッサンつきの献辞をかいてもってきてくださった。覚えていてくれたんだ、と単純に嬉しい。かれの書くテクストは、較べものにはならないが、わたし自身がいつか書きたいかもしれないものによく似通っていて、その思考の次元に強い親近感を覚えます。今回もかれの『Devant la parole』を少し読んでいったのだけど、そこに出てくるたとえば「Le sang de la parole」という表現について質問してみると、キリスト教的バックグランドがあることを指摘した上で、それは「offre」だ、「don」だと言ってくる。こちらが降り出した刀に向こうの刀があたってカーンと火花が散る感じ。もうひとつの質問をめぐる対話もそうだったけど、まあ、公案をはさんで、禅僧二人がきびしく問答している感じになる。これがスリリングなんだよねえ。知性というのは、本来そういうふうに働くものなんだよなあ、と嬉しくなる。なかなかこういう問答ってできないんですけどね。一瞬のうちにすべてが見えるというか、こういう瞬間が来ると陶然としますね。その後、奥様もごいっしょに和食をおもてなししましたけど、お酒の酔いよりは、知性の酔いのほうがはるかに強かった一晩でした。

159_02.jpg


★土曜はまたしてもIHSの授業。今回は池上高志さんをお招きして「複雑系の科学」の第2弾。複雑系とアートとのインターフェイスなどをめぐっての授業でしたが、わたしは最初の1コマ分で対話の相手をつとめたところで、本郷のEMP(Executive Management Program)の講義に行かなければならなくて退出。そちらは、フランス現代哲学の講義でしたが、受講者のみなさんに全員「哲学的な問い」を提出させてそれに全部答えるという「乱取り」パフォーマンスをやってみました。哲学の「知識」をいくら講義したって「哲学」にはならない。「哲学」という「行為」に触れてもらうための仕掛けですが、その最後につい究極の倫理について語ったりしたのが、一歩を超えた感じでしたが。これもまたよし。

159_3.jpg


★今週は、ようやく(大学外の仕事はたくさんあるのですが)、特別なイベントのない「ふつうの」週です。駒場博物館の展覧会の展示の入れ替えがあるくらいかな(また来てくださいね)。少しは書く仕事が進むといいのですが。次週6月2日に、わたしが受け入れ教員になっている、リヨンの高等師範学校の准教授エリーズ・ドムナックさんの講演会があります(イベント欄を参照してください)。フランス語ではなく、あえて英語でやってもらうことにしました。福島に関連する映画を哲学的に分析する試みになる予定です。スタンリー・キャベルのところで博士論文を書いたフランス人というなかなか稀なキャリアの方です。どうぞ多数、ご来場ください。

Recent Entries


↑ページの先頭へ