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【報告】Opening up tetsugaku: the making of the Journal of Japanese Philosophy

2014.02.04 石井剛, 川村覚文, 井出健太郎, 神戸和佳子

去る2014年1月10日から11日にかけて、東京大学駒場キャンパス101号館研修室にて、APFワークショップ「Opening up tetsugaku: the making of the Journal of Japanese Philosophy」が開催されました。以下、コメンテーターとして参加した者による報告を掲載いたします。

1月10日 13:30-15:30の発表

「日本哲学」を多言語間の対話へと開こうとするワークショップの始まりに相応しく、最初の発表者である上原麻有子氏(京都大学)は、哲学的思考における翻訳の本質的な意義を議論の俎上に乗せられた。

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“Translation as Creation―In the Case of Nishida Kitaro”と題された発表は、翻訳の本質を「創造」と「模倣」のキアスムのうちに見出し、そうした相補的な関係が西田幾多郎の哲学、あるいは哲学一般の言語を構成していることを示すものであった。ヴァルター・ベンヤミンの翻訳論に言及しながら、上原氏は、翻訳という営為がある言語で為された哲学的思考に異なる、より完成された「生」を付与しうることを強調する。そもそも哲学そのものが、自らの言語にとって「異質な」(foreign)ものを横切ることをその本質とするからだ。このように、「翻訳の観点から哲学を探究」しようとすれば、哲学的な「創造」はつねにある種の「模倣」を通じて為されることになるだろう。

そして、こうした観点から西田幾多郎の哲学が再検討された。西田自身は翻訳に携わることはなかったものの、上原氏は、西田哲学に頻出する「意識」の動詞型のうちに翻訳の痕跡を追究された。特に「意識せられた」という表現の文法的な構造の分析を通じて、西田が、ドイツ語の “mir bewusst” という表現――フィヒテが「反省」を定式化する際に決定的な役割を果たす――からこの受動態へ翻訳した可能性が指摘された。それによって西田は、反省的-再帰的な意識における自発的で、絶え間ない運動をより強調しようとしたということである。上原氏は、こうした「創造」的な翻案こそが、「場所の論理」の構築へと西田を導いたことを示唆して、発表を締めくくられた。

続くコメントにおいて筆者は、ベンヤミンが翻訳者たる者に要請した「隔時性」の感覚の必要性を再強調し、「場所」を追究していった西田がこうした感覚を十分持ちえなかった可能性について問いかけた。それによって、「西洋」哲学の相関物を、無反省に「日本」に見出そうとする傾向一般に対する注意を喚起しようとしたのである。

植原氏に続く発表者、Wing-keung Lam氏(東京大学)は、言語をめぐる視点から “Japanese philosophy”の「日本性」とは何か、そして “Japanese philosophy”(「哲学」)の名のもとで何が探究されうるのかという根本的な問いを提起された。今回創刊された “Journal of Japanese Philosophy” のエディターのひとりとして、Lam氏は「日本哲学」の下にある「異種混淆性」(“hybridity”)を力強く語られた。

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発表の前半部、Lam氏は、“philosophy” の相関物としての「哲学」という言葉が発明された歴史を批判的に再訪し、哲学において日本語の性格が果たす役割についていかなる言説が生み出されてきたか遡求された。(ギリシア語やドイツ語と異なり)日本語が哲学に相応しい言語であるという主張はほとんどなされなかったが、一方で、日本語のユニークさが、「西洋」哲学とは異なる哲学の仕方を可能にするという主張もくり返しなされてきた。こうした言説が多かれ少なかれ日本語の「純粋さ」を前提としており、それゆえ文化本質主義へ陥らざるをえない点を批判しつつ、Lam教授は、そうした言語の性格は哲学的思考において必ずしも不可欠な役割を果たさず、それゆえ “national philosophies”を構成するわけではないことを確認する。また、「西洋」哲学に対するオルタナティヴを探究することは、一見思考の「多様性」(“diversity”)を認めるようでありながら、実際はそれを固有化し、期待される対話を打ち切ってしまうことにも改めて注意が喚起されたのである。

こうした省察に基づき、Lam氏は、日本語と「日本哲学」そのものが他なるものとの邂逅を通じ形成されたのであり、それゆえすでに「異種混淆的」(“hybrid”)であることを確認された。「日本哲学」の名のもとに探究することは、そうした言語的・哲学的な「異種混淆性」へ身を開き、他との対話を実現することである。この力強い提言によって発表は締めくくられた。

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発表後、筆者は二つの観点から質問を提起させて頂いた。第一に、「日本哲学」の「異種混淆性」を認めた後に、「日本」という形容詞が意味するものは何か。第二に、この「異種混淆性」を実現するために、いかなる制度上の設計が可能なのか。これらの問いを通じて、「哲学」を対話の「場所」とするための実際の条件を明確にしようとしたのであった。

文責:井出健太郎(東京大学)

1月10日 15:30-17:30の発表

まずホバート・アンド・ウィリアム・スミス大学のジョン・クルンメル氏は、”Philosophy and Japanese Philosophy in the World”と題して、「哲学」なる営みのどこに「日本哲学」が位置しており、いかに日本哲学は哲学一般に寄与しうるのか、という問題について発表された。まず、哲学とは単なる文献学や思想についての歴史叙述ではなく、いまを生きる我々が、自身の生において直面する問題に取り組み続ける営みであることを強調された。そして、そうした視点からみれば、過去の哲学者たちの取り組みはすべて、時代と地域とを超えて、豊かな知恵と思索の宝庫なのであり、日本哲学は西洋中心的な哲学の付置に変更を迫りながら、哲学一般に寄与することになるのだと述べられた。

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そしてヘルシンキ大学のレイン・ラウド氏は、”What is Japanese about Japanese philosophy?” と題し、「日本哲学」はいかなる意味で「日本的」なのか、という点について述べられた。西周による哲学用語の翻訳の試みを参照しながら、「哲学」とは西洋で生まれたある特定の学問なのではなく、それぞれの文化的状況から生じる実践であると主張された。その上で、日本哲学というのも、純粋な日本性をもった哲学という意味で日本的なのではなく、日本の文化的状況において独特の仕方で生じてきた、混合的な哲学実践なのだとされた。さらに、そうした実践に、言語という要素がどのように影響するか、ということについても合わせて検討された。

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いずれの発表も、ひろく哲学といういとなみの一つの現れとして「日本哲学」を捉えておられたのが印象的であった。そのことから、さまざまな文化的背景をもった哲学が触発しあう、より豊かな哲学の次元が垣間みられたように感じられた。しかし、もしそうであるなら、なぜあえて日本の哲学に焦点を当てるのかということを、もう一度改めて考え直さなければならないのではないか。特に、西洋哲学を相対化する、ということ以上の理由が、いかに語れるのかということが問題になるように思われた。

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文責:神戸和佳子(東京大学)

1月11日の発表

2日目にあたる11日は、香港中文大学の張政遠氏と、グアム大学のカーティス・リグズビー氏が発表された。まず、最初の発表者であった張政遠氏の題目は、Fukushima and the Future of Japanese Philosophyというものであった。張氏は、2011年の3月11日に起こった東日本大震災を、どのように哲学的に問題化することができるのかということをテーマに、とりわけ福島における原発のメルトダウンの問題に焦点を当てつつ、発表された。そこで張氏が注目されたのは、巡礼(pilgrimage)という概念であった。

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張氏は巡礼の持つ意味に関して、東浩紀氏が提唱するダークツーリズムとの比較を通して明らかにしようと試みられた。張氏は、東氏のダークツーリズムが資本主義的な論理に従って、福島原発をテーマパーク化するべく新しい施設へと変えることを目指すものであり、そこにはローカルな人と訪れる人との具体的な交流が欠いている、と分析された。それに対して、張氏の提唱する巡礼は、宗教的および美学的なアプローチをとるものであると主張された。すなわち、それは失われた共同体の記憶や人々同士を思い起こすことを目的とし、ローカルな人々との具体的な交流を通して初めて可能になるものである、とのことであった。張氏によれば、このような巡礼概念は、和辻哲郎の『古寺巡礼』における日本文化の失われた側面を思い起こすという試みの読解を通じて、得たものであるとのことであった。

次に、リグズビー氏の発表は、Japanese Philosophy & the Opening Up of Tetsugaku Everywhereと題されたものであった。リグズビー氏は、日本がどのように諸外国との交渉を通じて自らを開いてきたかを確認することで、日本哲学をどのように開いていくことができるのかという可能性を再考しようと提唱された。それは、象牙の塔にこもりがちな哲学を社会へと開くことであり、しかもそれをどのように金儲けのための小間使い(handmaiden)に陥ることなく達成するかを考えることが、重要であるとのことであった。

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二人の発表者に対し、川村がディスカッサントとしてコメントさせていただいた。いくつかコメントを行ったが、私にとって印象的なやりとりになったものをピックアップしてここに記したい。まず、張氏に対しては、巡礼を通じて思い起こされるような共同性が、震災ナショナリズムの高揚へとつながる危険性はないのか、という質問をさせて頂いた。それに対する張氏の解答は、思い起こされるべき共同性は、日本文化が本来そうであるように、ハイブリッドでトランス・カルチュラルなものであるはずで、その意味でナショナリズムには結びつかないとのことであった。また、リグズビー氏には、日本や中国あるいは西洋などが、実体的なものと想定されているように見えるが、その境界は明瞭なものなのか。例えばアイヌや沖縄の人々の存在や文化はどうなるのか、という質問をさせて頂いた。それに対して、リグズビー氏はアイヌや沖縄の文化が日本文化に包摂されるかどうかは、難しい問題だ、と解答された。

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この後、Journal of Japanese Philosophyをどのように発展させていくべきかということに関する、全体討議が行われた。今回のワークショップのタイトルにもあるように、どのようにOpening up、つまり開かれたものにするようにするにはどうすればよいのかということが話し合われ、様々な意見が参加者から出された。そして最後に、UTCPの石井剛氏があいさつをされ、二日間にわたるワークショップは幕を閉じた。

文責:川村覚文(UTCP)

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