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【報告】Ethics of Expression: A Japanese Response to Modernity

2014.02.06 石井剛, 川村覚文, 神戸和佳子, 杉谷幸太, 那希芳

2014年1月14日、東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室で、ルーサー大学(アメリカ、Luther College)教授のゲレオン・コプフ(Gereon Kopf)氏による講演、" Ethics of Expression: A Japanese Response to Modernity "(表現の倫理:モダニティに対する日本の対応)が開催された。

コプフ氏はテンプル大学にて宗教学の博士号を取得し、南山大学南山宗教文化研究所のPD、香港大学仏教研究センターの客員准教授を経て現職に至り、仏教学を中心に幅広い研究を展開している。この講演はUTCP-APFワークショップ一環で催され、学内外から多くの参加者が訪れた。

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この講演でコプフ氏はまず禅仏教の哲学(京都学派)とモダニズムの関係とは何かの設問を出している。これは重要な問題提起であり、禅哲学とポストモダニズム間の類似性、異文化間における哲学・多様性・生態理論の基盤等の問題につながる。

モダニズムの定義について、コプフ氏は諸家の説を参照しながら、「超越的主体の仮定」、「理性の普遍性」「壮大な物語」「起源の探究」「本質の探究」などの要素を挙げている。このようなモダニズムについて、日本ではどのような応答がなされてきたか、コプフ氏は三種の応答を挙げた(西周の肯定的応答、井上哲次郎等の拒否的応答、井上円了等仏教哲学者の応答)。その中でコプフ氏は特に仏教哲学者の応答を重要視し、詳しく論じた。コプフ氏によると、井上円了の思想には一種の「バイナリ」が見られる。井上において物質と精神、現象の世界と神の世界、科学と哲学、学問と宗教の関係は、二つの解釈(二元的なと非二元的な解釈)が可能、というコプフ氏の指摘は興味深い。また、前記諸関係を説くキーワードとして「実体」が重要である。井上において「実体」は自性(svabhava)と結びづけて論じられた。その捉え方はユニークである。

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続いて、コプフ氏はデカルト、アリストテレス、スピノザ、ライプニッツ等西洋思想家による「実体」の定義を紹介し、仏教哲学の「実体」論との比較を試みた。井上以外に、仏教哲学からさらに西田幾多郎の「多と一の絶対矛盾的自己同一」論、龍樹「実体」批判の縁起思想、金剛経の論理などを取り挙げて論じた。仏教哲学における「実体」の捉え方のユニークさは、その「一」と「多」の関係論と深く関連する。コプフ氏は西田幾多郎の「一即多多即一の絶対的矛盾的自己同一」思想を分析し、それをライプニッツの議論と比較して、表現倫理(西田等)とモダニズム(ライプニッツ等)の相違を論じた。両者には実体の捉え方、因果関係、普遍と特殊の関係、知のあり方等について、異なる理解を示している、とコプフ氏は指摘した。西田以後の研究者の一人――務台理作は、「一」と「多」の関係論を「世界」・「個体」・「種」の関係論に発展させた。務台は自分の造語である「種の媒介」によって三者を結びつけ、一つの理論体系を作り上げようとした。コプフ氏はこれをも「表現の倫理」の一つと捉えている。

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氏は最後に「モダニズム」と「表現の倫理」の相違を指摘した。前者は物質、本質的なアイデンティティ、孤立、「真」「偽」の判断、「我等」「彼等」の区別、正義の追究、判断の倫理を特徴とし、後者は縁起、暫定的なアイデンティティ、関係性、叙述、平等なる個体の連帯性、存在の曖昧さ、理解の倫理を特徴とする。講演後会場では質疑応答がなされ、モダニズム定義の問題、西田理論における翻訳の問題、本テーマと道元学説の関連、西田における「表現」の中身、西田における「場所」論理の可能性、西田の思想と実行動や時代背景との関係、などにまつわって活発な議論がなされ、講演は盛況の中で終了した。

文責:那希芳(東京大学)

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