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梶谷真司「邂逅の記録62:熊本での出張対話(1) その始まり」

2014.01.23 梶谷真司, Philosophy for Everyone

2014.1.23 熊本での出張対話(1) その始まり

12月6日と7日、熊本への哲学対話の“出前”をしてきた。一つは南阿蘇での農業に従事する人たちとの対話、もう一つは、婚活イベントでの「愛についての対話」である。そもそもなぜこのような出張対話をすることになったのか。それは、東大の社会人向け講座EMP(Executive Management Program)で知り合った熊本県庁東京事務所の今村智さんとの出会いに始まる。この始まりから出張対話に至るまでは、いささか複雑で長い経緯がある。それを説明しておかないと、熊本でしてきたことの意義がよく分からず、たんに奇抜な試みにしか見えないかもしれないので、まずはこの点について書いておこう。

今村さんは私と知り合う以前から、自治体においてまともな話し合いがなされないまますべてが決まり、進行していくことに強い危機感を覚えていたという。これは何も自治体だけではなく、日本のあらゆるところで起きていることだろう。話し合い、タウンミーティング、説明会と称して、結局のところ、結論ありきの誘導がなされ、ある程度の“ガス抜き”が“活発な議論があった”ということにされ、それがアリバイとなって「合意」を取り付けたことにされる。学校での話し合いも、おおむね同じだ。“正しい” “望ましい”結論は最初からあって(学校ないし先生が決めている)、そこに向けて話し合いが着地するように誘導され、また子供が自らそこに行くように教育される。自治体で起きていることは、その延長線上にある、至極当然の光景と言える。

今村さんの危機感は、私たちが学校教育について抱いていた危機感と通底していた。だから私が雑談の中で哲学対話の話をした時、彼がすぐさま反応したのも偶然ではない。必要なのは、考えることを人任せにせず、自らが考えること、その権利と責任をきちんと自らのものにすることである。私たちは疑問をもっていいのであり、考えていいのであり、それを言葉にしていいのであり、実際にそうすべきであり、そうしなければならないのである。

それで一度今村さんを私のP4E研究会にお誘いしたところ、さっそく来てくださった。その時は、学生がハワイへ行ってP4Cを見学して帰国した後の報告会であった。そこでも私たちは哲学対話のやり方で、コミュニティーボールを使って、いろんな意見を言っていた。その場に居合わせ、話に参加した今村さんは、対話の自由さと心地よさに、彼が必要だと考える話し合いの可能性を見出してくれた。私も今村さんの話を聞き、地方自治に哲学対話が生かせるのであれば、それは私たちにとっても新たなチャレンジだと思った。それで意気投合して「何か一緒にやりましょう!」ということになった。

折しも私は、京都の総合地球環境学研究所に「地域性と広域性の連関における環境問題 ~ 実生活への定位と哲学対話による共同研究」というプロジェクトを申請したところであった。これは、環境問題を都市と地方の問題(多くの場合格差)との連関で捉え、そこに哲学対話によるアプローチを図る、というものである。それにしても、なぜこのような奇妙な研究をすることになったのか。この地球研には、私の大学院時代の友人である鞍田崇君が務めており、彼もまた哲学を専門としていた。この研究所は、名称から予想されるように、理系の人を中心とする機関であるが、「総合」ということで人文・社会科学系の研究者も所属していた。しかしやはり人文学、とりわけ哲学が関わる学際的ないし文理融合的な研究は、なかなか成立しない。それも、従来のように文献研究を中心とするような哲学では、なおさら難しい。そこで鞍田君が既存の枠にとらわれずに活発にいろんな人が動いているUTCPに目を付け、そこで私が行っている哲学対話のプロジェクトに関心をもって声をかけてくれた。

「都市と地方」というのは、その彼から提案されたテーマであった。彼自身は、これまで主に「民芸」の領域で地方の問題に取り組んでいた。そこで彼もすでに現地の人と話をするなかで、「対話」の重要性に思い至っていた。それで私と彼で一緒にあれこれ考え、上で述べたように、環境問題、都市と地方、哲学対話を絡めたプロジェクト案を練って、地球研で申請することになった。申請のためのプレゼンでは、理念中心で具体性に欠ける構想にやはり理系の人たちから多くの疑念が寄せられたが、結果的には採択。今村さんと「何か一緒にやる!」のにいいチャンスとなった。

それで実際に何をすればいいのか、いろいろと話をして紆余曲折あって、8月のある日、今村さんが上天草市役所の大野公二朗さんと水俣市役所の宮本裕美さんを連れて私の研究室に来てくださった。二人とも2年の任期で東京に出向中であった。皆であれこれ話をしていたが、そもそも地方自治体に町や村の将来について対話するなどと言って、東京から、それも東大から研究者が来るなど、向こうからしてみれば、何ともいかがわしい話。誰も興味をもたないか、警戒するかのどちらかだろう。

何かいい形で入れないかと話をしていたが、どうにも埒が明かない。もうそろそろ今日はこれで終わりにしようかという感じになり、余談で駒場祭の合コン企画「愛をめぐる哲学対話」のことを話したら、上天草市役所の大野さんが急に「それなら協力できます!」をおっしゃった。話を伺うと、毎年市役所の主催で婚活パーティーを12月にしているという。そして最後は「それはいい!熊本を愛の国にしよう!火の国の火は愛の炎だ!」ということになった。その上天草市役所の職員の方は、その夜のうちに見事な企画書を作ってくださり、一気に動き出したのであった。

(続く)

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