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【報告】アントワーヌ・ドゥ・ムナによる講演「山中貞雄の映画と戦争体験の記録」

2013.11.11 マーク・ロバーツ

11月6日、映像作家アントワーヌ・ドゥ・ムナによる講演「山中貞雄の映画と戦争体験の記録:帝国の語りへの抵抗の一例」が行われた。

ドゥ・ムナ氏は現在、自身の研究およびドキュメンタリー作品において、日本帝国下における対立と抵抗をいかに視覚的に表象するのか、という問題に取り組んでいる。ドゥ・ムナ氏は講演の中で、現在氏が製作中の山中貞雄に関するドキュメンタリー作品から抜粋映像を上映した。

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講演は、まず山中が日本の歩兵連隊の一員として中国に徴集された、生涯の最後の年を想起することから始まった。山中が戦争日記を書き続け、数多くの写真を中国で撮影したのはこの時期、すなわち1937年9月から、その早すぎる死が訪れる1938年9月までの間である。山中が体験として伝えているのは、この時期に起こった戦地での衝突―前線、南京戦、部隊の前進、言葉にできない戦争の残酷さ―や、この体験が含み持つあらゆるものとしてしばしば連想されるものである。これは、離れた場所にいる読者に対して、山中自身の非人間化の経験を描いてみせる、一つの証言である。

ドゥ・ムナ氏は次の事実へとわれわれを注目させる。山中の戦争体験は、彼の映画実践を考察する上で、これまでほとんど着目されてこなかったし、1930年代の軍国主義への抵抗のなかで殉教者のようにして亡くなったヒューマニスト映画監督というイメージ形成に役立つような仕方以外では、山中のドキュメンタリー実践を彼のフィクション映画と関連させようとする批評はこれまで存在しなかった、ということである。

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山中についての古典的なイメージから出発して、ドゥ・ムナ氏は、日本初のヌーヴェル・ヴァーグの一員という、蓮実重彦による山中評を想起し、山中の作品をこの精神において考察しようと提案する。ドゥ・ムナ氏の議論によれば、山中の劇映画、フィクション映画と、彼が生前最後の年に中国で記録したドキュメンタリー資料との間には、驚くべき連続性を認めることができる。より正確に言えば、そこには、山中の映画作品のなかにある眼差しのある特殊な形があるということに気づくべきであり、そのことを考察しなければならない。この眼差しとイメージを理解するために、ドゥ・ムナ氏は、イメージはある特定の時代になって初めて読解可能になるのであって、おそらくイメージが生まれた時代にはそうではない、というベンヤミン的発想を喚起する。

ドゥ・ムナ氏はさらに、山中の作品制作を通じてわれわれが出会う眼差しとは、軍国主義的なプロパガンダと関連づけられる「帝国的眼差し」(le regard de l’Empire)とはっきり対立するかもしれないことを主張する。ミカエル・リュッケンの研究から着想を得ながら、ドゥ・ムナ氏は、この眼差しを、ピエール・ルジャンドルが「鏡」の機能として描くもの―これによって、文化的なものの産業的生産が、東アジアにおける国民的主体、日本人、韓国人、中国人等を分離する機能を果たしている――の観点からこの眼差しを考えてみることもできるのではないかと示唆する。映画という文脈に置き換えてみるならば、この「帝国の眼差し」はまた、たとえば田坂具隆監督の「土の兵隊」(1939年)のなかに現れるある種の語りの論理を含み持つ。こうした読解に関して言えば、山中の映画作品は特筆すべきものである、なぜなら山中の映画はこの論理の「種となるものに反対」しているからだ。

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この眼差しに接近するための別の道として、ドゥ・ムナ氏が示唆するのは、イメージの政治学の問題(la question politiques des images)であり、J.-L.ゴダール風にいえば、映画の失敗、映画が一つの制度としてこの問題に立ち向かえないという失敗である。これを強調するために、山中の写真、山中が選んだ主題、一例をあげれば周縁的な主題への山中の関心へとドゥ・ムナ氏は向かう。ここにあるのは眼差しの「無邪気さ」の問いであり、そこには眼差しの倫理という問いも含まれる。山中の映画実践を詳説するひとつの仕方として、ドゥ・ムナ氏は「フレーム・オフ」[hors champ]、つまり示されない空間、演出(舞台に載せること[mise-en-scene])の実践によって視界からシステマティックに排除されるものを考察する。フレーム・オフの次元は、「帝国の眼差し」との関連で考慮されなければならない。しかし、そこにはまた、われわれに示されていないし、語られていないものが、まさしくそれが不在のままで、いかに示され、語られるのか、という問題がある。

最後にドゥ・ムナ氏はジョルジュ・ディディ-ユベルマンによって描かれた、ゴダールとハルーン・ファルキの対立を想起した。ゴダールは人類の自己破壊を妨げるないし遅らせることに映画が失敗したこと――これは映画の「無邪気さの喪失」の別の表現でもある――に注意を促す。他方でファルキは「映画的イメージの生産が人類の破壊に参与しているのは、どのようにしてなのか、そしてなぜなのか」ということを問い続けるようわれわれに要求する。この対立においてより有益なのは、ドゥ・ムナ氏はこう提案するのだが、ファルキの命法を考慮すること、すなわち映画イメージについての我々自身の批判的問いかけを改めて取り上げることかもしれない。

報告:M.ダウニング・ロバーツ(日本語訳:馬場智一(CPAG))


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