【報告】2013年度ハワイ大学―東京大学夏季比較哲学セミナー(1)
2012年、東京大学とハワイ大学はハワイにて共同で夏季比較哲学セミナーを開催した。両大学からの参加者は、3週間に渡って毎日二人の講師の授業を2時間ずつ聴き討論するという非常に密度の高い時間を過ごすことができた。大きな成功を収めたこのハワイでのセミナーを受け、2013年は東京大学が幹事校となり、1週間の研究旅行を含めたプログラムを用意し8月5日に無事日本でのセミナーの初日を迎えることになった。UTCPブログでは今後このセミナーの様子を順次伝えていく予定である。今回は、初日の様子について元RAの文が報告する。なお、去年と同じく今年も上廣倫理財団から格別のご支援を賜ったことを記しておく。
(去年のセミナーについては、リンクを参照されたい。)
2週間の東京での講義は東京大学本郷キャンパスの東洋文化研究所の一室において行われた。朝の10時から12時まで午前の講義を行い、1時間の昼食休憩を経た後に、13時から15時まで午後の講義を行うというスケジュールである。
セミナーの初回は、中島隆博先生(東京大学東洋文化研究所・UTCP)による開始の挨拶とともに始まった。中島先生は去年のセミナーにおいては主に中国哲学における倫理の問題を集中的に論じられたが、今年度は西洋近代を背景に誕生した科学や技術といった概念がアジアにおいてどのように受容されたかを考察することから講義を始められた。これは、3・11以後の哲学の役割を反省するという去年の問題意識を引き継いだものである。初回の講義においては、特に梁啓超や胡適といった中国の知識人たちが科学と人間の生の意味という難問に対してどのようにアプローチしていたのかが、実はこの問題を論じるために非常に重要な役割を担っている宗教概念との関係のもとで論じられた。
昼食後は、ロジャー・エイムズ先生(ハワイ大学マノア校哲学部)の講義が行われた。エイムズ先生もまた、現代という状況のなかで中国哲学を論じることの意義について論じることから議論を進められた。問題となるのは、それぞれの文化がもっている固有の文脈を無視するような仕方で他者の文化を理解しようとする試みであり、そのような傾向は中国哲学を研究してきた多くの西洋の学者たちの仕事にも一定程度認められる。エイムズ先生はまずいくつかの中国哲学の中心概念に対してなされてきた重要な誤解を指摘し、続いてご自身の読解の方針を丁寧に示された。詳細に関してはご著書を参照する必要があるが、主な論点となっていたのは、中国哲学をいかにキリスト教やギリシア哲学の(劣った)類似物としてではない仕方で理解するかという点であった。今後の講義では、儒教の倫理学や(中国にそれがあるのかが往々にして疑問視される)形而上学のテキストの具体的な読解を通じて、エイムズ先生の中国哲学読解を地道にたどりなおしてゆくことになるだろう。
講義が終わってからは、東京大学の学生が中心となって本郷キャンパスを案内した。大変な暑さだったが、ハワイからの参加者の多くにとって有意義な時間になったと思う。まだまだセミナーは始まったばかりで緊張がぬけないが、多彩な参加者たちとキャンパスを散策しながら気軽に話す機会をもてたことで、互いにより早く和むことができた。
(文責:文景楠)