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マドリード出張報告(NYU-Madrid)

2013.07.05 星野太

6月7日から30日までの約三週間、UTCPの出張でマドリード(スペイン)に滞在する機会をいただいた。滞在の目的は、ニューヨーク大学が同地で主催するサマープログラムへ参加するためである。

私が三週間のあいだお世話になったのは、ニューヨーク大学(NYU)が同地に持つ施設「NYU-Madrid」である。NYUは、ロンドン、パリ、ベルリン、プラハ、上海、アブダビをはじめとする世界各地の都市にサテライト・キャンパスを持っている。これらの多くは小規模な施設ながら、同大学の学生が数ヶ月から一年のあいだ、海外で学ぶ機会を提供するための重要な拠点となっているようだ(なかには、アブダビや上海のように学位を出す大きなキャンパスもある)。従来これらのサテライト・キャンパスは、主に大学院生のフェローシップ(同地での語学教育機会の提供)と学部生の短期留学のために活用されていたようだが、近年これに博士課程・ポスドクレベルの研究プログラムを追加する動きが出ている。私が参加したワークショップも、GRI(Global Research Initiative)と呼ばれる、もっぱら研究を目的としたNYUの国際研究プログラムの一環をなすものである。

このGRIは、原則的にNYUの教員・大学院生のみを対象とするプログラムなのだが、今回のワークショップは例外的に、NYUの張旭東教授が中心となって運営されているICCT(International Center for Critical Theory)とGRIのジョイントというかたちで実施された。ICCTとは、NYU、北京大学、華東師範大学、東京大学の四大学による国際コンソーシアムであり、過去には北京大学などで国際ワークショップが開催されたほか、その成果の一部がUTCPブックレットの「ICCTシリーズ」として刊行されている。

以上のような経緯により、今回のマドリードでのワークショップは、以下のメンバーによって構成されることになった。まず、NYUの比較文学研究科に所属するジャック・レズラ教授(アドバイザー)と、同研究科の大学院生10名。そして、ICCTの枠からは、張旭東教授の指導学生である東アジア研究科の大学院生が2名、そして、さらにそこに東京大学(UTCP)からの参加者として私が加わった。よって私はNYUの外部からの唯一の参加者ということになったのだが、普段なかなか立ち入ることのできないNYUのサテライト・キャンパスで三週間を過ごせたことは、それだけでも貴重な経験であったと言える。

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やや前置きが長くなったが、ここから肝心のワークショップの内容に触れていくことにしよう。欧米の大学が主催するサマープログラムには、おそらくその性質も規模もさまざまな種類のものがあると思われる。先述のように、ヨーロッパ各地で開催されるサマープログラムには学部生を対象とするものが少なくなく、実際NYU-Madridでは同地でホームステイをしながらスペイン語を学ぶ学部生が大多数を占めていた。そのような中で、今回のワークショップはやや異色なものであったと言えるだろう。というのも、今回のサマープログラムの応募資格は、2013/14年度に博士論文を提出予定の博士候補生(ABD)に限られており、滞在期間中は各自の博士論文の執筆に専念することが条件として定められていたからである。よって、私たち参加者に課された課題は、毎日朝から夕刻まで、NYU-Madridの所定の部屋でひたすら論文の執筆を行なうこと、これだけであった。

具体的なスケジュールは次の通りである。毎朝10時にNYUに集合し、昼食を挟んで18時まで執筆を続ける。キャンパスが19時(金曜日は14時)には完全に施錠されてしまうため、それ以後に余力がある場合は、夜アパートに戻って執筆を続ける。私たちが三週間のあいだ行なったのは、基本的にこれだけである。よって、全員で共通のセミナーや講義を受けるということはなく、日中は、各人がそれぞれの研究計画にしたがって執筆に専念することだけが義務づけられていた。他の参加者にも聞いてみたところ、合衆国の他の大学でもこのようなプログラムはあまり類例がないのではないか、ということだった。

三週間のあいだ、同じメンバー、同じ部屋で(時折意見を交わしながら)毎日執筆をする。私にとっても、それはきわめて奇妙な、しかし充実した体験だった。もちろん博士論文の執筆という長期的な仕事を完遂するためには、孤独な執筆の作業と、学会/研究会をはじめとするフォーマル/インフォーマルな集団的作業の双方が不可欠となる。しかし私がこの三週間のあいだに体験したのは、そのどちらとも言いがたい、なかば孤独で、なかば集団的な執筆の時間である。なおかつ、海外滞在中のため手元に置ける資料にも限りがあり、否が応にも「書く」ことに専念せざるをえない環境に身を置いたことによって、あらためて論文の執筆に弾みをつけることができたのではないかと考えている。

三週目に入ると、それぞれの執筆にやや余裕が出てきたこともあり、日中の仕事が終わったあとに読書会を何度か行なう場面もあった。課題文献となったのは、アウエルバッハの“Figura”と、バリバールの“The Nation Form: History and Ideology”であり、この選択に合衆国の比較文学科で共有されているバックグラウンドの一端を垣間見ることができたように思う。また、同じく最終週には全員が博士論文の内容を5分以内でプレゼンテーションする機会があり、それにともなうディスカッションを通じて、いくつか示唆的なコメントも受け取ることができた。

今回のワークショップが滞りなく行なわれたのは、NYUのスタッフの方々のサポートはもちろんのこと、アドバイザーとして参加していたジャック・レズラ教授の強力なリーダーシップに負うところが大きい。氏は、イェール大学でポール・ド・マンらの薫陶を受けた人物であり(ド・マンの『盲目と洞察』のスペイン語訳者でもある)、『ワイルド・マテリアリズム』と題された政治哲学に関する著作のほか、シェイクスピアやセルバンテスを論じた著作・論文をこれまでに数多く刊行している。レズラ氏は現在、主にマルクスに依拠しつつ、「媒介」と「翻訳」の政治哲学を主題とする新著を準備中であり、今回のマドリード滞在中も、参加者たちと同じ部屋でその執筆を行なっていた。そして正規のプログラムの時間外にも、マドリード大学で開催された講演会や、滞在期間中に開催されていたブックフェアへの招待、近隣の土地への訪問、さらには夕食会のセッティングにいたるまで、今回の滞在中は何から何までレズラ氏のお世話になった。この場を借りてあらためて御礼申し上げたい。

先述のように、今回の滞在の主要な目的は博士論文の執筆であった(ワークショップの開始時に目安として提示されたノルマは、そのうちの一章を滞在中に完成させることである)。この点については、事前の期待以上の成果が得られたのではないかと思う。同時にその副産物として、今回NYUの同世代の研究者たちと交流をもつことができたのは、それに劣らず貴重な収穫だった。彼らも私も、これから数年後には新たな環境で研究を続けていくことになると思われるが、UTCPやICCTのネットワークを通じて、今回培ったものをこれから何らかの仕方で発展させていければと考えている。

報告:星野 太(UTCP)

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