【報告】徳をめぐる二つの冒険
UTCPでは現在幾つもの研究プロジェクトが同時に進行しているが、そのうちの一つがS1「徳とVirtueの比較構造論的研究」である(詳細はプロジェクトの紹介ページを参照)。オックスフォード大学と交流を進めるなど、去年度から着実に準備されてきたプロジェクトだが、UTCPの講演会としては2013年5月30日に開かれた「徳をめぐる二つの冒険」が初回となる。講師には、岩田靖夫先生(文化功労者・東北大学名誉教授)と、韓国からAhn Jaewon先生(ソウル大学校人文学研究院HK研究教授)をお招きした。
岩田先生はアリストテレス研究において日本の学会を牽引してこられた重鎮である。今回は「アリストテレスの徳論――その論理構造」という題目で、主に『ニコマコス倫理学』におけるアリストテレスの徳概念について講義していただいた。岩田先生は、まずアリストテレスの倫理学の基礎概念である幸福や、そのアリストテレス的な説明である魂の働きといった内部的な文脈と、ソクラテスやプラトンにおける徳論といった歴史的な文脈を丁寧に辿り、続いてアリストテレスの徳概念がもつ特質を解説された。講義はカントとアリストテレスの比較といった興味深い論点にも触れながら進められ、常に明晰さを失わない議論からは未だ研究の最前線におられる先生の迫力を感じることができた。
続いて、韓国ソウル大学校で西洋古典学を教えておられるAhn先生は、「Cicero's Orator Perfectus and Confucius' Rex Perfectus (聖君) : A Comparative Study」という題のもと、キケロにおける完成された弁論家(orator perfectus)と儒教における聖君(rex perfectus)を比較する講演を英語で行った。弁論家と君主を比較することは、一見唐突に映るかも知れない。しかし、キケローにとって理想的な弁論家像が政治的な力量と深い関連をもっていたという点を踏まえれば、両者を比較することが、異なる二つの社会を理解するにおいて大きな意義をもつということが理解できるだろう。また、どのような徳目を政治家に求めるかという問題は、恐らくその社会がどのような人間像を社会の基本として理解していたのかを表すものとして考えることができる。Ahn先生の発表の主旨は、弁論の能力という徳目を特に重視する社会とそうでない社会という視点から、ローマと古代中国を考えるためのもう一つの座標軸を与えることであった。
質疑応答は日本語と英語が飛び交う空間のなかで行われた。依然として哲学全般におけるインスピレーションの源となっているアリストテレスの徳概念と、弁論という日本や韓国では十分にその社会的意義が考察されてこなかった主題についてのさらなる議論の展開を期待するとともに、発表に関連する両先生の著作を紹介することで報告を終えたい。
・岩田先生のアリストテレス理解に関しては、以下の二つの著作が何よりもまず参照されるべきであろう。
岩田靖夫(1985)『アリストテレスの倫理思想』岩波書店.
-----. (2010)『アリストテレスの政治思想』岩波書店.
・今回の講演と関連するAhn先生の論文は、以下のものである。
AHN, Jaewon. 2010. A comparative research on Cicero's orator perfectus and Confucius' rex perfectus (聖君). In Papers on rhetoric, Vol. X, ed. Lucia Calboli Montefusco, 1-22. Roma: Herder.
(報告:文景楠)