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【報告】P4Eワークショップ:「母」をめぐる哲学対話

2013.04.11 梶谷真司, 清水将吾, Philosophy for Everyone

4月6日の土曜日、“「母」をめぐる対話”をテーマに、哲学対話のワークショップが行われた。対話のファシリテーターは、大阪の「カフェフィロ」副代表の松川絵里さん。ゲストとして、河野哲也先生と土屋陽介先生をお迎えした。

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参加者は60人を超えた。主役の「母」にあたる方がおよそ半分で、夫婦で来られた方もいた。会場の隣のスタジオ・クラスルームはカラフルな託児スペースに姿を変え、子どもたちが遊んでいた。

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大学での催事であることを忘れさせるようなワークショップは、梶谷先生のお話でスタートした。「出入りは自由です。お子さんがお母さんに会いたくなって、こちらに来るのもいいです。そのときは、子どもが泣いているなかで対話をしましょう。」(実際に、後半の対話では、会場にいる赤ちゃんが泣きだす場面もあった。)梶谷先生はご自身の社交経験から、母親たちは子どもを通して社会を見て、10年、20年のスパンで考えていると指摘する。これから、「母」を含めた参加者たち自身で、そうした考えを深めていくところである。

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前半:松川さんによる哲学カフェの説明と、「自由」をめぐる6人グループ対話
松川さんは、育児サークルのメンバーのための「お母さんの哲学カフェ」を始め、そこで2年間ファシリテーションをしていた経験をもつ。共感しあう母親どうしの会を、意見を言って対話する会に変え、さらには母親でない人たちも来る会に変えたという話は、哲学プラクティスの関係者ならずとも興味を引かれるだろう。そんな松川さんが掲げる哲学カフェの目的はいたってシンプルだ。それは、「他人とともに考え、議論そのものを楽しむこと、楽しめるようになること」である。

さて、いよいよ哲学対話の時間だ。アイスブレイクは河野先生の進行で、「自分の知らない人、自分と似てない人を、5人探して自己紹介しましょう」というもの。こうして会場内がよくかき混ぜられたあと、「6人のグループを作って座ってください」という松川さんの声。6人の輪がいくつもできると、テーマの紹介。テーマは、「自由」。「したいこと、なんでもできる?」「みんなでいると自由にできない?」「自由って何の役に立つ?」など、事前に用意された7つの問いがスクリーンに映し出され、多数決で問いを1つ選ぶ。選ばれた問いは、「自由だと感じるのはどんなとき?」

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この問いを使って始まったのは「質問ごっこ」だった。「質問ごっこ」では、グループの1人が質問に答える人になる。ほかの5人は、多数決で選んだ問いから始めて、あれこれ質問をする人になる。1人5分間ずつ、質問に答える人になる順番が回ってくる。

グループの輪のなかで私がまず感じたのは、この対話が単純にものすごく楽しいということだった。私だけでなく、グループの全員が心から楽しそうに質問し、答えている。人工的な状況で、初対面の人どうしで、個人的なことがらを話していることを考えると、これは驚くべき体験だ。また、回答者がときおり考え込む瞬間もあった。自分自身のことであるにもかかわらず、あらためて反省的に考えるよう自然と促される。そしてこの対話は、次の対話のための素材を準備する役割も果たしていた。

「質問ごっこ」が終わると、そのまま同じグループで、「自由って何?」という問いを考える対話に移る。私のグループでは、次々に新しい問いが出てきた。「自由と幸せの違いは?」「自由を感じるのに束縛は必要?」「不自由って何?」など。また、「好き勝手をする自由と、没頭する自由の、2種類がありそうだ」という話も出てきた。「自由って何?」という抽象的で大きな問いから、対話の力で思考がたしかに前進した時間だった。グループのなかにファシリテーターが入っていないにもかかわらず、である。

後半:「母」をめぐる哲学対話
休憩のあとは(私が入ったグループは休憩時間にも夢中で話を続けていた)、60人近くが大きな輪になって立ち、土屋先生によるアイスブレイク。「わたし、あなた」と言いながら体を動かすゲームで、自然とたくさん笑いが起こる。失敗しても構わないと思わせる効果もあるアイスブレイクだ。

参加者全員が輪になって座ると、松川さんが、「母について考えてみたいことはどんなことですか?ほかの人の意見を聞いてみたいことはありますか?」と問いかける。すると、「母の役割は何か?」「母親を1人の人間として感じることはあるか?」など、9つの問いが参加者から出され、松川さんによって、対話中に傷つく人がいる可能性の高い問いが省かれる。(「あなたが母親にかけられた呪いは何ですか?」という問いが省かれた。)また、「どうして母になろうと思ったのか?」という問いは、母親でない人も含めて話し合うのが難しいという理由で省かれた。そのうえで多数決をとり、選ばれたのは、「母になる資格は何か?」という問いだった。ところが、参加者全員で目を閉じ、松川さんが「この問いはきついという人はいますか?」と参加者たちに尋ねた結果、この問いは採用されなかった。「母」のようなテーマの対話には、個人的な悩みをもって参加する人が少なからずおり、参加者全員の安全(安心・セーフティ)を確保する慎重な配慮が不可欠であることが窺い知れた。

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話し合うことに決まったのは、多数決で次点だった「子どもが幸せを感じるような子育てはどうしたらいいか?」という問いだった。対話が始まり、「子どもの今の幸せと、子どもの将来の幸せが、矛盾してしまって、どちらを優先すればよいかわからない」という問題がさっそく出てきた。対話がゆっくりと進むなかで、松川さんがつかまえて整理したのは、3つの問いだった。「子どもが幸せだってどうやってわかる?」「幸せとはそもそも何?」「親は子どもに何ができるか?」すると、「子どもが幸せと思えばいいというものではなく、幸せの感受性を高めてあげなければいけない」という意見、それに対して、「どんな状況でも幸せと思えるようにしてあげたい」という意見、また、「幸せは持続する?」という問いも派生して出てきた。ここでも思考はたしかに前進したが、1時間に満たない対話では、発言していない人のほうが多いし、対話を続けようと思えばまだまだ続きそうである。松川さんの締めくくりの言葉によれば、もっと考えたいという気持ち、自分が感じた疑問、ヒントになると思った切り口は、参加者がそれぞれもち帰る「おみやげ」である。梶谷先生の言葉では、それは「時間をかけて育つ種」である。

おみやげをもち帰った人は、次の対話でそれをもってくる人になるだろう。なぜその人が再び対話の場所に来るかといえば、その目的は「楽しむこと」である。考えることを楽しみに来て、考えるためのおみやげをもち帰る。そのようにして思考と対話を誰もが涵養できる空間を備えた社会が、よい社会であるということに反論はあるだろうか。もしあれば、哲学対話のテーマになるかもしれない。

(清水将吾)

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