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【報告】Jakob Hohwy 連続講演会報告(後半)

2013.03.06 信原幸弘, 太田紘史, 佐藤亮司

予測する心。これが今回の連続講演会のテーマだった。脳はとにかくまず予測する。世界がどうなっているのかを。しかし、ただ予測するだけではなく、世界から与えられる感覚入力と予測とのずれ(誤差)を計算して、その誤差を最小化しようとする。そうやって世界の正しい表象に到達しようとするのだ。この「予測誤差最小化モデル」はじつに野心的である。それでもって心に関わるいっさいの現象を説明しようというのだ。

知覚も、信念も、欲求も、さらには、感情も、行為も、注意も、意識も説明してしまう。それどころか、予測誤差最小化メカニズムの何らかの異常・変調として、自閉症や統合失調症などの精神疾患も説明してしまう。じつに包括的なモデルである。もちろん、それだけに課題も多い。しかし、魅力的な課題を次々と惹起することもまた、この野心的なモデルの魅力のひとつだ。心に関するこれだけ包括的なモデルの出現を喜ぶとともに、今後のさらなる発展を期待したい。

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報告前半

第4回 (2013.2.16)
佐藤亮司
“Attention, consciousness, and perceptual unity”テーマで講演が行われた。注意の本性と知覚的意識の統一はともに、近年活発に議論されているテーマであるが、この講義では、その両者に対して、予測誤差最小化の枠組みから統一的な説明を与えることが試みられた。
注意はその直観的な自明さとは裏腹に、極めて多くの現象に関わっているために、定義を行うことが非常に難しいと言われている。しかし、Hohwy によれば、注意とは正確性の最適化に過ぎない。現実の世界において脳が受けとる刺激は、環境によってその質が様々であり、脳はどの刺激がより高い信号/ノイズ比を持っているのか、すなわちどの刺激が正確であるのかを見積もる必要がある。Hohwy によれば、注意とは高い正確性の予期であり、このような枠組みを用いて、内因性の注意、外因性の注意、随意的な注意を説明することができる。また、現在大いに議論されている注意と意識の関係についても、無意識的な注意を認める形で、Hohwy は議論を行う。
他方で意識の統一は、彼が能動的推論 (active inference) と呼ぶ概念によって説明される。能動的推論とは、脳が無意識的に行う二つの推論過程の一つである。Hohwy にとって、意識の統一とは、意識内容の「単一性」(おそらくは整合性)のことである。もう一方のタイプの推論過程である知覚的推論においては、脳は現在受けとっている刺激を最もよく説明する仮説を形成するのに対し、能動的推論においてはむしろ、現在保持している仮説に適合する刺激を求めて脳は行為を行う。Hohwy によれば、能動的推論において保持されている(意識的な)仮説は、それに基づいて行為を行うようなものであり、それに基づいて身体を持った生物が行為を行う場合には、その仮説は整合的なものでなくてはならない。このように彼の枠組みにおいては、意識の統一は、行為の観点から説明されることになる。
私は講義内では、主に注意と意識についてコメントを行ったが、ここでは意識の統一について若干のコメントを記しておきたい。Hohwy は意識の統一を意識にとって、必須の特徴であるとしているが、意識の統一を内容の単一性として捉えるのであれば、統一性は彼が想定するよりも、壊れやすいものであると言わざるを得ないように思われる。というのも、一見して、能動的ではない知覚的推論における仮説内容も意識の内容になりうるように思われるからである。能動的推論と異なって、知覚的推論による意識内容は行為との直接のつながりが無いため、単一性への要請が無く、整合性を持たない内容の知覚が可能背であるように思われるのである(現に彼は最近の論文で、そのようなことを認めていたように思われる)。ここで彼はさらに踏み込んで全ての意識内容が能動的推論であると主張するか、あるいはそのような知覚内容も別の意味(例えば、共に経験されているという意味)で統一されていると主張することなどができるかもしれないが、それはまた別の議論を必要としよう。
このような疑問はあるものの、彼の枠組みは、注意や統一に関連する様々な事象を単一の視座から説明できる魅力的なものであり、この枠組みについての更なる議論の活発化が望まれることは疑い得ないだろう。

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第5回 (2013.2.18)
太田紘史
“The nature of the fragile mind”と題し、心の内的な性格についての理論的見解が提案された。まず、人為的に身体位置に関する錯覚を誘発する実験的研究が紹介され、それに基づいて自己や私秘性についての理論的見解が提案された。ここでの自己についての見解は、いわゆるナラティブアプローチを科学的に具体化するものであり、しばしば見られるこの種の思弁を実証的なものへと展開する見解だと言えよう。さらに私秘性についての見解は、それがむしろ社会的コミュニケーションにおいて意識の証拠としての有効性を高めるという斬新なものであり、強い関心を引き寄せるものであった。
聴衆との討議においては、予測誤差最小化というメカニズムがこれらの理論的見解においてどのような役割を果たすのかという点だけでなく、意識の私秘性についての見解が哲学的ゾンビといった関連する諸概念とどのように関わるのかなども議論され、彼の提案するアプローチの深みと広がりが存分に披露された。

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第6回 (2013.2.19)
片岡雅知
最終回は「社会的認知、共有知、自閉症」と題うたれた。ここまで知覚や行為に則して展開された脳/心の捉え方「予測誤差最小化枠組」を、社会的な領域へ接続することを構想する、取りを飾るに相応しい講演であった。鍵は「共有知」だ。共有知については既に社会科学が蓄積してきた知見があるが、それはいまや脳科学の実験に利用され始めている。Hohwy はこうした経験的探求の今後の方向性を示唆し、また「社会性の障害」といわれる自閉症を知の共有の困難から捉えなおしてみせた。
質疑応答では、予測誤差を抑える人間の性向は「徳」であることや、Hohwy の議論と「社会存在論」との関係が示唆され、予測誤差最小化枠組はより展望の広いものとして我々の前に現れた。
Hohwy がこの6日間で示した心の新たな理解を、それぞれの分野で研究を行う我々がどう受け止めていくかを考えさせる一日となった。

飯塚理恵
最終回の講演はこれまでに論じられて来た予測誤差最小化の考え方が今後どんな分野に拡大されうるかという点に関して示唆的なアイディアをまとめた回だった。具体的には人の合理的な行動をモデル化した Chwe (1999) の論文を元に我々の行為における共通知の重要性を強調し、階層的な予測誤差最小化プロセス内の共通知が関与している部分の障害と ASD 患者の持つ障害の関与を示唆した。
私はコメントで、Hohwy の参照する合理的行動のモデルが単一の信念ベースであり、複数の信念や欲求や情動の結びつきが重要な人の行為を捉えるモデルとして致命的に不十分で改良が必要ではないかと訴えた。
予測誤差最小化スキーマの利点の1つは、無意識・意識下の知覚を連続的に単一のモデルで捉えることができることだ。知覚能力の善し悪しがあるように、より良い誤差最小化の学習の可能性が示唆されるが、それが規範性の問題とどう絡むのかが今後の問題となるだろう。

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