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梶谷真司「邂逅の記録30: P4E(Philosophy for Everyone)への道(1)」

2012.12.12 梶谷真司, Philosophy for Everyone

《出発点としての就活支援》

ワークショップの趣旨を説明すると言いながら、ずいぶん時間が経ってしまったが、そこには、私がその間忙しかったとか、怠慢であったという理由以外に、もう少し格好のつく言い訳がある。
実を言うと、もともと私は、いわゆる「哲学教育」に直接携わってきたわけではない。そういう意味では、今回のワークショップに来ていただいたゲストの先生たちに比べて、キャリアも実績もない「素人」である。そんな私がなぜこのような形で本格的に哲学教育に関わるに至ったのか、その背景を語ることが、「すべての人に」向けた哲学を構想し、今回のワークショップを企画した趣旨を説明することにもなる。またしても長くなって恐縮だが、時間が経ってしまった埋め合わせも兼ねて、「P4E(Philosophy for Everyone)への道」と題して、当日語ったことを補足しながら述べておこうと思う。
ここに至る道程を振り返ると、私の出発点となったのは、かつて働いていた私立のT大学で学生の就活用の書類作成を手伝ったことである。その大学の学生たちは、就活が初めてというだけでなく、もともと文章を書き慣れているわけではないため、とにかく書類が書けない。マニュアルを見ても、露骨に、しかも無理やりマニュアルに合わせているため、ぎこちない滑稽な書類になっていた。彼らにとって、エントリーシートや自己PRは、おそらく生まれて初めて真剣に書く文章であり、したがって大変な努力を要する。というわけで、一回書くと、ほとんど同じものをあちこちの会社に送っていた。
私も研究者、大学の教員なので、いわゆる就活はしたことがないが、これではダメだということくらいは分かる。希望する就職先がいろいろなのに、同じ文面の書類を出すのは、相手かまわず同じラブレターを送るようなものだ。失礼というのもあるが、そもそも勝ち目がない。受け取った方としては、何で自分に送ってきたのか、自分のことをどう思っているのか、送り主と自分の相性はどうなのか、すべて分からない。これではこの人と付き合ってみようという気にはならないだろう。
ここで学生たちを、非常識、世間知らず、マニュアルがないと何もできない、などと言って嘆いたり笑ったりするのは簡単である。けれども、私を含めて、いわゆる就職氷河期以前の人間は、今普通にイメージされるような就職活動なるものは、実は知らないのである。当時はまだ厳然たる学歴社会で、出身大学によって行ける会社ランクはだいたい決まっていた。職種は選んだが、ランクを巡って熾烈な争いをする必要はなかった。だから、履歴書と簡単な志望理由書が書ければよかった。今のようなエントリーシートでいろんな質問に答えたり、自己分析に基づく自己PRなどは、していなかったはずである。
当時は、少々(どころかかなり)非常識で世間知らずであってもかまわない。入社してから数カ月かけて社内研修があり、性根を叩き直される。そこで最低限“社会人”と言える人間になればいい。ところが今は、そんな研修をじっくりやれる会社は少ない。入った時点で使い物になる人材が求められる。今の若者が「ゆとり教育」その他の理由で、知識面、能力面で前の世代よりも下がっているところがあるのは確かだろう。だが、彼らは、昔と違って、社会人として生まれ変わる機会も与えられずに、いきなり裸で放り出される。その最初のステップが就職活動である。まともにできなくても仕方ない。そして身近には、きちんと指導できる人がいない。当たり前だ。大学教員も親もやったことがないからである。そこでマニュアルが登場するのだ。断言してもいいが、今の年配の人たちが学生時代に、今と同じ状況に置かれたら、やはりまともな就職活動はできないだろうし、多くの学生がマニュアルを必要としただろう。
それだけではない。そもそも相手をきちんと意識して文章を書くというのは、そう簡単なことではない。相手かまわず同じスタイルで文章を書いたり話をするのは、会社の人間にも、研究者にも山ほどいる。そういう人にとっては、実際には自分と異なり正面から向かい合うべき他者がいない。他者との関係で自分がどういう存在であるかが決まってくることも分からない。いろんな会社に同じ書類を送る今の学生と何ら変わりはないのである。
私に就活の書類を見てほしいと言って学生が来た時、それはたんに目の前の学生に力を貸してあげるというレベルのことではなかった。もっと重大な課題を突き付けられていたのである。

(続く)

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