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梶谷真司「邂逅の記録23:ハワイ大学との共同夏季比較思想セミナー報告(14)」

2012.10.09 梶谷真司

《Free Thinkerとしての子供》

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8月15日(水)続き

 続いて参加したのは、Johnという先生が担当する4年生(8、9歳)の20人のクラスである。そしてKailua高校と同様、今日話し合うテーマ(問い)を何にするかについて投票が始まった。子供たちが用意してきた質問はすでにホワイトボードに書いてあって、コミュニティボールを回しながら順に自己紹介をしながら、どれがいいか、一人につき一つずつ問いの番号を言っていく。どんな質問があったかと言うと、

「100万個のホットドッグを食べて太ったら、どうするか」
「幽霊が本当にいたら、どうするか」
「もし超能力がもてるとしたら、どういう力がいいか」
「みんなの心が読めたらどうするか」
「DSやビデオゲームのなかに入ってしまったら、どうするか」
「世界はいつ終わるのか」

など、子供らしくも、興味深い問いが多かった。結局今日のテーマに決まったのは、

「夢から抜け出せなくなったらどうするか」

である。いよいよ議論に入るわけだが、その前にJohnは「P4Cで大事なことは何?」と聞き、子供たちは手を挙げ、ボール受けとると、「人が話しているときはちゃんと聞く!」、「他の人が言ったことを笑わない!」、「大きな声で話す!」と次々に答えた。最後に先生が今一度まとめ、みんなでルールを確認した。そしてP4Cの授業で必要な質問を表すGood Thinker's Toolkitと呼ばれる英語のアルファベットを書いた紙を見せて、それが何を意味するのか、答えさせた。例えば、

 W:What do you mean by that?(それはどういう意味か?)
 R:Reason(どうしてなのか?)
 E:Examples, Evidence(具体的どんな例、証拠があるか)

という具合だ。これはおそらく毎回やっているのだろう(子供の答え方がかなりルーティン化しているように見えた)。こうやって小学生のころから、問いの立て方、思考の組み立て方のポイントを学ぶ。

 さて、ここから本格的に子供たちが語り始める。自分がどんな夢を見るか、とくに悪夢について話をする子が多かった。いろんな夢の話が出たところで、Jacksonさんが手を挙げ、ボールを受け取ると、「もしこの学校に、夢をコントロールする方法を教えてくれる授業があったら参加するか、参加するとしたらなぜか」という質問を出した。そこからは、彼から順に時計回りにボールを渡して答えていくことになった。もっとも、ジャクソンさんの質問に正面から答える子供はほとんどおらず、むしろ話題は、どんな時に悪夢を見て、どんな時にハッピーな夢を見るのか、になった。ずれてはいるが、そういう授業で習う内容ではありそうなので、子供なりに彼の質問を受け止めたということだろう。先生のジョンもとくに軌道修正することはなかった。

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 ボールが一周してみんな(一緒に行った神戸さんと私も)意見を言うと、Johnが「夢が現実かどうか、どうしたら分かるんだろう」という次の問いを立てた。これはおそらく神戸さんがそういう意見を言って、みんなにどう思うか聞いたのを、あまりそれに答える子がいなかったので、Johnが改めて取り上げてくれたのだろう。するとまたあまり関係のない答えをする子もいたが、目覚めているときと夢を見ているときの状態の違いに言及する子も結構いた。中には、持続する記憶の長さが違うとか、夢で起きた変化に対応することが実際には起きないとか、突然びっくりするようなことを言う子がいる。でも、たぶん子供たちにとっては、どの意見も大きな違いはないようで、意見を言いながらキャッキャッと笑ったり、恥ずかしがったり、たんなるおしゃべりをしているのと変わらない様子だった。そこで私たちが帰らなければならない時間が来て、授業も終了(申し訳ない!)。最後に今日のトピックについて家で書いてくるという課題が出た。

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 いい発言は褒め、ピント外れであれば注意しなくていいのかという意見もあろう。しかし、どういう発言がいいとか優れているとかいうのは、大人の勝手な視点だ。いちいちそれを言う必要もない。とりあえずは、もっと自由に語っていいのだ。これはいつも思うことで、学生たちにもそう言って励ますのだが、彼らは何かいい意見を言わないといけないというプレッシャーが大きく、なかなか発言できない。成長するにつれて、遠慮や見栄が邪魔をするのだろう。しかし、何事も最初からうまくはできない。問うことであれ、語ることであれ、まずは的外れでも、初歩的でも、要領を得なくてもいい。語るなかで共に思考を育て、問い、語ることを学んでいく。誰でもそこに参加し、それぞれが必要なものを受け取る──そういう自由さ、寛容さが学生や大人にも必要なのではないか。子供たちの考えの自由さを見ていると、そんな思いが強くなる。

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