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梶谷真司「邂逅の記録8:国際哲学オリンピック2012 オスロ大会 視察報告(7)」

2012.07.17 梶谷真司

5月19日(土)「参加することに意義がある」という当たり前の真実

 今日は9時からムンクについてのレクチャーを皆で受けた。その後、ナショナル・ギャラリーへ行き、ムンクの作品を見た。有名な「叫び」や「マドンナ」もあって、実物を見られたのは良かったが、「病の少女」という作品になぜか強烈に惹きつけられた。また、ノルウェーを代表する彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品を集めたヴィーゲラン公園をみんなで散策した。ブロンズや花崗岩でできた荒々しくも柔和な彫刻群に圧倒される。そんな彫刻の間を、いろんな国の先生たちと語り合いながら歩いた。

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 午後は4時からオスロ大学の講堂でClosing Ceremony。最初に大会のテーマであるLimits of Freedomについて、オスロ大学の哲学の先生が講演をした。また地元の高校生のバンドによる演奏もあった。そして最後に受賞者の発表。入賞が10人、銅メダルが3人、銀メダルが4人、金メダルが2人。金メダルはリトアニアと韓国。銀メダルは、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、インド、銅メダルは、ドイツ、インド、ノルウェー。佳作には10人が選ばれた。
 結果はこちら→http://ipo2012.no/?page_id=489

日本から出場した二人は、入賞しなかったが、本当によくやった。とくに女の子のほうは、体調が悪く、当日は熱も出していたが、最後まであきらめず、頑張ってくれたし、それ以外のプログラムもほとんど参加していた。有り体に言えば「参加することに意義がある」のである。これは、負け惜しみでも何でもない。当たり前でありながら、まさに真実なのだ。世界各国の高校生どうしが一堂に会し、打ち解けておしゃべりをし、またグループワークやセミナーで哲学的なテーマについて議論できたこと、そして友情の絆を結んだこと、そういうことこそが何よりの成果であり、文字通り彼らの人生の宝になるに違いない。日本から行った高校生のみならず、すべての参加者にとって(実際私にとっても、各国の哲学教師との交流は非常に楽しく有意義であった)。
写真はこちら→http://ipo2012.no/?page_id=432 

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今後のUTCPとして果たすべき課題は多い。けれども重要なのは、若い人の間に哲学的に考える機会を提供すること、そうした動きを広げていくこと、そしてIPOへ連れて行き、今年の二人と同じような経験をしてもらうことである。世界大会で順位を上げることは、そうした積み重ねの先にしかないし、その結果でしかない。あまり焦らず、近視眼的にならず、腰を据えてやるしかない。

 それから、高校生だけでなく、教員についても言えることだが、英語でコミュニケーションできるということは、必須であるばかりでなく、何よりただ素晴らしいことなのだ。変に身構えたり躊躇したりする必要など、どこにもない。IPOにはむしろ英語圏の人はほとんど来ていない。参加したすべての国の人たちが、高校生たちも先生たちも、英語でコミュニケーションをとる。流暢な人もいれば、たどたどしい人もいる。しかし、それによって得られるものを考えれば、妙なこじつけももっともらしい言い訳もいらない。上手下手に関わらず使えばいいし、使うしかないのだ。根強い英語への抵抗感、苦手意識から若い人たちを解放することも、大きな課題の一つである。

 このような活動に携わることができるのは、教育と研究に携わる者として、存外の幸せである。そして今回のIPOへの参加を通して確信したことがある。それは、今後「哲学教育」というのは、哲学の大きな一分野になっていくだろうし、そうしていかなければならないということだ。たんに研究者の余技でも、食い扶持でもなく、正面から取り組むべき課題、それもきわめて将来性に富み、社会的意義のあるフィールドとなっていくだろう。

 今回、IPOについてまったくの素人だった私を世界大会に参加できるようにしてくださった北垣先生、上廣倫理財団に心より謝意を表し、ひとまず報告を終えたい。

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