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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度第6回セミナー

2011.11.25 └セミナー, 齋藤希史, 柳忠熙, 近代東アジアのエクリチュールと思考

中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第6回目は「『万歳前』の改稿と二つの読み方」と題し、柳忠熙氏(発表者:比較文学比較文化・博士課程・UTCP)、宮田沙織氏(ディスカッサント:比較文学比較文化・博士課程)を中心に行われた。(発表の部:10月7日、討論の部:10月14日)

【テキスト1】廉想渉「万歳前」(白川豊 訳、『万歳前』、勉誠出版、2003年)
【テキスト2】白川豊「第1章:廉想渉の中篇「万歳前」小考」と「第2章:「万歳前」の人物形象と人間認識」『朝鮮近代の知日派作家、苦闘の軌跡―廉想渉、張赫宙とその文学』(勉誠出版、2008年)

◆発表の部(10月7日):韓国近代小説における代表的な作家の一人である廉想渉(ヨム・サンソプ、1897~1963)の初期代表作「万歳前」は、四つの版本が存在する。白川豊氏の「廉想渉の中篇「万歳前」小考」は、韓国での「万歳前」の研究動向を検討し、「万歳前」の版本間の内容における差異について整理したものであり、「「万歳前」の人物形象と人間認識」は、1924年の高麗公司版を中心とし、「万歳前」の登場人物の描写の特徴を検討した研究である。柳忠熙氏は、この白川氏の先行研究を踏まえ、1924年高麗公司版と1948年首善社版を分析対象とし、植民地朝鮮の「万歳前」と解放後の「万歳前」との内容の変化を問題とした。特に、大幅に改稿された最終章(高麗公司版は8章、首善社版は9章)を中心的に検討し、「万歳前」の間の異種性について論じた。
 柳氏は最終章の「静子の手紙」と「静子への手紙」が「万歳前」の改稿意図を克明に表すと指摘する。この二通の手紙の内容を通じて、柳氏は、二つの版本における静子との別れの理由が異なることが分かると強調する。植民地下で出版された高麗公司版の「万歳前」の主人公李寅華(イ・インファ)は、朝鮮民族の現実を嘆きながらも、個人としての人生を追求するという理由で、静子との別れを決意するのに対し、開放後、大幅に改稿された「万歳前」の李は、植民地下日本と朝鮮民族の現実の差異を理由として、日本人である彼女との別れを宣言したという。柳氏は、「万歳前」のこうした内容の差異の発生は、作者廉想渉が処した時代の状況との関連性を考えることが必要であると述べる。最後に、改稿された「万歳前」は、民族言説が前面化された結果、主題が鮮明化したと評価できるものの、読者の多様な解釈の可能性が無くなってしまったと付け加えた。
柳氏の発表に対して、まず「万歳前」の中心イメージと言える「共同墓地」について質問があった。次に、植民地朝鮮の検閲と「万歳前」という題目との問題について指摘があった。最初に1922年雑誌『新生活』に「墓地」というタイトルで掲載された小説が検閲の問題で中断されたのだとすれば、1924年『時代日報』に「万歳前」で最後まで掲載されうる理由についての説明を聞きたいということだった。当局の検閲という観点から考えれば、直接的に民族運動を思い出させる「万歳」という語の前面化は問題になりうるという疑問から出た質問である。また、李寅華の厭世主義的な現実認識は当時日本の青年像とは異なることで、朝鮮近代文学における植民地全般の青年像と日本近代文学における青年像との差異についての検討が求められた。

 
◆討論の部(10月14日):討論部はディスカッサントである宮田沙織氏の「万歳前」についての感想から始まった。宮田氏は、前回出た「共同墓地」のイメージを問題とし、李寅華の朝鮮への発言から朝鮮人への彼の愛憎を読み取り、朝鮮に対する李の視線が「土へのユートピア」とその崩壊が重なっていると述べ、その現実を象徴するイメージが「共同墓地」である解釈した。また、李は単なる「死の空間」として「共同墓地」を認識しているのではなく、土から新しい生命が生じるように「新生」のイメージへの転換がテキストから読み取れると述べた。それと関連して、死んだ妻からの教訓を述べながら「新生」への願望を語る李の発言の意味と、作品との関連性についての質問をした。また、コメントを準備しながら発見した韓国ホラー映画『月下の共同墓地』(1967)で共同墓地が素材になったことが興味深いと言い、「共同墓地」に対する韓国人のイメージについても質問をした。
柳氏は、「共同墓地」についての質問は東アジアにおける葬式文化の差異を示す点において興味深いとした。なぜなら、この質問は現在の日本では一般的な葬式方法として火葬が定着しているからこそ生じうる疑問であるからだ。朝鮮では親族単位で土葬が一般的に行われ、その管理を親孝行と見なす考えが存在し、総督府の葬式管理制度に対する朝鮮人の文化的な抵抗感が存在したと述べた。また、1918年前後に総督府の共同墓地施行令の改定が問題になっており、「万歳前」はこの時代的な状況を反映していると答えた。そして、「共同墓地」をめぐるお化け物語あるいは恐怖感の誕生は、具体的な根拠を提示てきないものの、共同墓地という「匿名の死の空間」、つまり従来の「親族のお墓」という馴染みが前提とされた空間ではなく、見知らぬ死人への恐怖感が「共同墓地」と絡み合って生じたイメージではないかと答えた。
「新生」と「妻の死」との関連性については、「妻の死」は、第一次大戦で大勢な参戦者の死と重なるイメージである同時に、無数の死から生への希望という発想転換を与えた体験的な契機であると答えた。しかし、このような解釈は、高麗公司版の「万歳前」に対するものであり、首善社版は、「妻の死」の発言が削除されており、第一次大戦の終戦による「新生」の雰囲気は植民地朝鮮には及ばないという否定的な認識が語られている点に注意を求めた。
最後に、前回の「検閲と「万歳前」というタイトル」についての質問に対して、まず1920年代から始まった総督府の文化政治は出版・言論活動を許可することであり、その初期段階では、検閲制度の施行とそれによる強圧が存在していたと時代状況を説明した。しかし、次第に当局検閲に対する朝鮮人文学者・出版界側の問題提起と抗議などが生じ、検閲する側もこうした抗議行動を意識せざるを得なくなったという。つまり、植民地朝鮮下の検閲は、検閲する側と検閲される側との間に生じた緊張感の場であり、相互の妥協によって成り立てられていたと言う。1924年『時代日報』に「万歳前」というタイトルが当局の具体的な規制を受けていたのかについては明確には言えないものの、こうした「相互の妥協」の産物として捉えられると答えた。

(文責:柳忠熙)

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