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時の彩り(つれづれ、草) 141

2011.10.21 小林康夫

フリブール午前5時
もう遠くの連山は雪をかぶっているスイス・フリブールのホテル、時差で早く目が覚めてしまい、その無為の時間にブログをひとつ。

今日もまだシンポジウムは続くのだが、わたしの出番は昨日の午後のセッションの司会で終っているので、今週月曜のパリ・コレージュ・ド・フランスのわたし自身の講演、翌火曜の同じコレージュでの中島さんのUTフォーラム・セミナー、そしてここフリブール大学での三浦さんとストイキッツア教授の共同企画のシンポと続いてきた今回の旅もほぼ終わり、継目の時間の空白のなか静かに目を開いているという感じか。

これだけやって、もちろん種々のストレスもあるが、一言で言えば、「楽しい!」というのが率直な感想。コレージュの講演は、30分と短いとはいえ、わたしとしては大げさに言えば人生の決算のひとつと位置づけたもので、それが、対話者だったシャルティエ教授からの応答の素晴らしさもあって手応えのある、とても感慨深いもになったのは嬉しかった。その興奮がちゃんと持続していて、翌日の中島さんーアンヌ・チャン教授のワークショップでも、わたし自身は勝手に「文字は翻訳されない」というテーゼに辿り着けて重要な閃きを得たし、昨日の司会でも19世紀の絵画をめぐる4つの発表を聴いて、標題風にまとめれば、Exécutions et refletsとでもなりそうな、独自のパースペクティブが頭のなかに広がったのがおもしろかった。ほかの人の発表をききながら、それを自分なりにまとめ直すことで新しい展望が見えてくる、というのはこのような学術交流のほんとうの醍醐味。今回は、かなり高いテンションがずっと維持されていて、そうなるとスイスのこの晩秋の空気もかえって内部のはしゃいだ風狂を鼓舞してくれるようで好ましい。「はしゃぎ」をばかにしてはいけない。それこそがほんとうの旅の動力であることを、わたしは芭蕉から学んだのだと思う。いつも「野ざらし」を覚悟したオデュッセイアのつもりなのだ。

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