【UTCP Juventus】吉田敬
【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2011年度の2回目は特任講師の吉田敬(科学哲学・社会科学の哲学・脳神経科学の哲学)が担当します。
UTCP Juventusを執筆するのも今年で4回目となり、最多執筆記録を残念ながら更新中です。未確定の部分もありますが、昨年と同じように現在進行中のことがらについて記したいと思います(プロフィールやこれまでのことについては、UTCP Juventusの2008年版、2009年版、2010年版、そして私自身のウェブサイトをご参照下さい)。
まず、脳神経科学の哲学に関しては、推薦してくださる方があり、海外で出版を予定している、とある哲学系百科事典の神経経済学の項目を担当することになりました。短い項目ですが、8月末の締め切りに向けて、鋭意執筆中です(2013年5月追記 この百科事典はByron Kaldis編、Encyclopedia of Philosophy and the Social Sciencesとして出版されました)。また、海外のジャーナルに投稿していた神経経済学に関する論文がmajor revisionで返ってきましたので、そちらの改稿作業も並行して行っています。レフェリー2人からの要求が多岐に渡っていることもあり、うまくまとめるのは難しく、頭を悩ませているところですが、今夏中に何とか再投稿したいと考えています。脳神経科学の哲学に関しては、UTCPに来てから研究を始めたこともあり、国際的な成果を出すのに苦労していましたが、何とかめどがつきつつあるところです。
また、科学哲学については、海外の別のジャーナルから特集号への寄稿依頼がありましたので、その準備を進めています。依頼が来たときには正直驚きましたが、上に挙げた方とは別の方が推薦してくださったようです。こちらについては、以前にも触れた話題ですが、科学哲学と政治・社会哲学の関係について執筆する予定です。あまり詳しいことを書くとネタバレになってしまうので簡単に触れますが、この10年ほど、20世紀後半、特に冷戦期の科学哲学史の読み直しが英語圏で進んでいます(代表的なものとしては、ジョージ・ライシュのHow the Cold War Transformed Philosophy of Scienceやスティーヴ・フラーの『我らの時代のための哲学史――トーマス・クーン/冷戦保守思想としてのパラダイム論』などがあります)。この背景には、1980年代以降、政治的・社会的なことがらから距離を取って、科学に関するテクニカルな問題を研究するようになった科学哲学が一般市民から顧みられなくなり、科学と社会の問題を考える際に、科学技術社会論などの後発分野がむしろ参照されるようになったということがあります。ところが、20世紀前半に活動を始めたオットー・ノイラートやハンス・ライヘンバッハ、あるいはカール・ポパーといった科学哲学者は政治的には共産主義、あるいは社会民主主義を支持しており、特にノイラートやポパーの場合には、その科学哲学にも政治・社会哲学的な側面があったことが知られています。つまり、ヨーロッパで始まった科学哲学がアメリカに流入し、発展する過程で一種の脱・非政治化が生じたわけですが、その理由として冷戦が科学哲学に及ぼした影響が注目されているわけです(その意味で、ライシュの前掲書の題名『冷戦はどのように科学哲学を変容させたか』は極めて示唆的です)。もちろん、このような読み直しは単なる哲学史的な関心というよりは、本来科学哲学が備えていたはずの政治的・社会的な機能を取り戻す必要があるという危機意識から進められています。執筆予定の論文では、このような動向を検討しながら、科学と社会に関する問題に取り組むには科学哲学と政治・社会哲学を再統合する必要がある、と論じるつもりです(2012年12月追記 この論文は"Re-politicising philosophy of science: A continuing challenge for social epistemology"としてSocial Epistemologyの25周年記念号に掲載されました。詳細はこちらを御覧ください)。
それから、社会科学の哲学に関しては、何もしていないというわけではありませんが、まだご報告できるような段階にはありません。いずれご報告する機会もあろうかと思います。
以上のように、掲載が確定しているわけではありませんが、このところ海外からの寄稿依頼が来るようになり、今まで積み重ねてきたことが少しずつ評価され始めているようです。日本から少しでも海外に発信できるよう、今後も努力していくつもりです。