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【報告】丹生谷貴志: UTCPレクチャー「戦後日本における生と真理」

2011.07.30 前田晃一, セミナー・講演会

丹生谷貴志氏(神戸市外国語大学)による講演会「戦後日本における生と真理」が2011年7月4日に駒場キャンパスで開催された。

講演の冒頭、小林康夫拠点リーダーより丹生谷氏の紹介がなされた。二人はほぼ同世代で、ほぼ同時期に仕事を始めたのだが、そこで小林氏が強調していたのは、その仕事が《書く》ということから始まっているということだった。二人の出会いはそもそも互いの書いたものを読むという経験から始まっている。今回の講演もまた、丹生谷氏が執筆した「敗走者たちの生と真理──大岡昇平をめぐって」(『外国語学研究 第79号 文化交流の視点からの「近代」再検討』2011年、神戸市外国語大学外国語学研究所)を読んで触発された、小林氏の招聘により実現した。例えばフランスの現代思想などに影響されながら様々に思考を重ねてきた自分たちが、68年や三島事件、また広島・長崎・福島へと至る今の時点で戦後日本について考える時、丹生谷氏が大岡昇平における敗走から出発していることに小林氏は興味をもったと言う。

それに応じて丹生谷氏が自らの仕事の前提を説明することから講演は始まった。

丹生谷氏は、例えばデリダやフーコーも読むが、それは研究というよりは、《道具》だとしてだと断言する。そもそも東京芸術大学の出身であり、哲学の専門家ではない。かといって、独学でやってきたというわけでもない。では、何のための《道具》なのか。丹生谷氏は、自分にとって何かを救い出すため、あるいは知るための《道具》だと言う。そのことを説明するために自身の原体験として、氏は小学生の時にアンドレ・マルローの『人間の条件』の処刑の場面を読んで大変な衝撃を受けたことを語る。燃える汽車の罐にひとりひとり投げ込んでいく。ひとり投げ込む度に汽笛がなる。無駄な死であり、そこには何の決着もない。しかし、なぜこれほど無駄なことの上に、例えば美術は構成されるのか。不可能、無意味、つまりは《空虚》に対して表現があるとすれば、それは何か。それを知ってみたいという(後日、マルローが監督した映画『テルエルの山々/希望』の上映とともに神戸映画資料館で行われた講演会でもあらためて論じられた。http://kobe-eiga.net/event/2011/07/#a001391)。

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丹生谷氏たちが仕事を始めた80年代から90年代にかけて《空虚》をめぐる言説が流行していた。ポスト・モダンということも盛んに言われ、例えば、ロラン・バルトの『記号の帝国』に影響されてか、天皇は空虚であり、空虚な権力としての天皇制という言説も流行し。しかし、と、氏は《空虚》について、《真理》とともに注意を喚起する。まず、日本において、「真理とは何か」という問い、つまりは、真理体系が構築されてきたことがない、と。例えば、大和心はあくまで漢意に対するものでしかなく、大和心とは理論的に言うと何なのか、その内実は何かを問うことはなされない。つまり、日本の中枢は、空っぽであり、《空虚》であり、しかも、その空虚が日本の中枢の概念であるかのように機能している。明治維新以降、国家体制というシステムについての議論はあったにしても、日本という国を作ろうとする際に真理体系を作ろうとする動きがない。理論体系がなく、制度論的なものしかない。後に神とまで呼ばれる天皇にさえ理論体系を与えようとした人間がいない。

おそらく日本の体系は空虚を真理であるかのように偽装することによって成立してきた。その偽装は天皇をさらにそこに投げ込むことによって真理の上にカバーをする。天皇はしかも時間軸としての歴史を十分に背負っているので、いかにも様々なものを内包しているように見える。しかし、理論体系である以上は、まずはそれを支える真理という中枢を置く必要がある。つまり、仮に空虚がすなわち真理であるならば、空虚そのものを絶対真理として追求することが要請されるはずであろう。もっとも絶対真理は到達不可能なものとしてしか出てこないが、ところが日本の場合、その到達不可能性を問う以前に、空っぽということが判明した段階で、あたかも真理であるかのように機能させるため、ともあれそれを真理であることにしようとする。それが真理だとわかっていることにする。追求するのではなく、空虚であることそのものをそれ以上問うこともしない。

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戦後日本においても、おそらく日本は真理を追求してこなかった。あるいは、日本は空っぽであること、空っぽであることを情緒的に確認することはいくらでもなされたが、空っぽということに直面したことはない。世界は空虚であるというのは誰にでも言えるが、空虚であるというのはどういうことなのかとは誰も問うてこなかった。しかし、そこにこそ戦後文学におけるいくつかの注目すべき仕事が見られるのである。

例えば、石川淳の『焼け跡のイエス』があり、このイエスというのが重要である。キリスト教においては、空虚に対して、世界は空虚ではないという真理体系を立てる。同時に空虚であることに対しても緻密な論理が存在する。その空虚を埋めないかぎりはキリスト教が、神が成立しない。空っぽであることに直面しなければそこから先には進めないという理論体系を持っている。だから、焼け跡の「われわれ」ではなく、焼け跡の「イエス」と呼ばざるを得なかった。

あるいは、安部公房の『他人の顔』。顔というのはこれも空虚である。何かを表象している。何かの顔をしているように見える。けれどもその何かに内容がある必要はない。怒っているようだ、沈黙しているようだと、顔が落ち着かないのは、何の顔をしているのかわからなくても、何かの顔をしていると見ている側は思うからである。何を意味しているのかはわからないけれども、あきらかに何かを意味している。そして、何かを意味しているような顔は消え去って、文字通り剥き出しの空っぽが出現する。そして、これを、戦後の日本におけるアイデンティティの回復といった物語として読んではならない。空虚と真理という二元論があるわけではないのだ。空っぽになった空虚に対して、逃げたり、その上を何かで覆うのではなく、空虚を暴露して、空虚そのものをどうするのかというテーマを立てるところから始めるしかないだろう。『他人の顔』の最後も女の子に嘘だということがばれてしまう。これはアイデンティティの問題ではなくて、完全な空虚に対してどういう態度を取りうるかという問題であろう。 

もはや、日本の真理は空虚であるという「認識」ではなくて、空虚と判明した以上は、それをどう引き受けるのかという、いわば「態度」あるいは「意志」が問題となる。空虚であることと真理は矛盾しない。それを引き受ける時にはじめて真理となり得る。世界は空虚であるというだけではただ本当のことを言っているに過ぎない。人が死ぬというのと同じである。人が死ぬという本当のことを言うだけではなく、それを引き受けることで初めて真理が立ち現れる。そこでやっと同時に真理の不可能性の問題も立ち現れる。それが戦後文学にとってのさしあたりの課題として存在したはずである。

ここで、とりわけ大岡昇平と三島由紀夫の仕事が丹生谷氏にとって興味深いものとなってあらわれてくる。大岡については近刊準備中で詳しく再考されるだろう。また、三島については既刊の『三島由紀夫とフーコー〈不在〉の思考』(青土社、2004年)などで度々論じられてきたが、本講演で氏は再びアンドレ・マルローに言及しながら、次のように述べていた。

空虚が目に見える。無駄なことが起こっている。目の前でどうしようもない空虚によって何らかの動作が起こっている。しかもそれは或る意志に基づいている。空虚を意志と化している。しかし、空虚なものを美的にするのではなく、空虚を空虚そのもとして提示することは可能だろうか。それはパンドラの箱を開けることになるのかもしれな。われわれが真理だと信じて行動し、数十万人の人々を死に至らしめたものが、実は空っぽなんだと。しかし、中身は空っぽだと暴露するだけなら、それは「認識」であることと変わらない。

ところが、三島由紀夫がやろうとしたのは、この空虚から真理を作り上げることができるかという試みだったと言えるだろう。ヨーロッパが、空虚と抵抗できるほどの真理を探してきたのならば、日本は空虚を抵抗できるほどの真理に変えることができるのか、それが三島の試みとなる。ユルスナールのいう「空虚なヴィジョン」というよりは、空虚そのものを真理であると言い張ることができるかどうか。ヨーロッパの神を笑って,神はいないとするならば、日本では空虚を神と言えるのでなければならない。天皇は空虚を包むことによって真理である振りをすることができる。しかし、その振りはさせない。世界は空虚そのものであることを宣言すること。空虚であるから世界を諦めるのではなくて、まずは空虚の上にあらゆる世界が成立していることを認識することからはじめること。『豊饒の海』は虚無感で終わるのではない。そこに何かしらの現前がなければならない。その現前は、それは例えば、小林氏が『無の透視法』(水声社、1989年)で指摘しているように、《月の法》と、そして、末尾に打たれた六つの小さな黒い点《……》に注目しなければなるまい。「消え失せていく言葉の消失そのもの」であるが、それは同時に、「みずからを徹底して明け開く」ものかもしれない。三島においては、世界が空虚だという認識ではなくて、空虚を引き受けるというのは何かということを示したのであろう。それが自分の死を賭けるに値するかどうかは別にして、値するかのように実演してみせたと言えるのかもしれない。

そしてこれは何も戦後文学だけに限るものではない。この講演の少し前に、丹生谷氏は映画監督の青山真治と神戸で対談をしていた(http://kobe-eiga.net/event/2011/06/#a001376)。その時は最新作『東京公園』の話が中心だったのだが、駒場では『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』について語った。この映画では、昭和天皇や大逆事件で死刑となった幸徳秋水と菅野スガ子の写真や、中野重治(小説「五勺の酒」・詩「雨の降る品川駅」)と夏目漱石(随筆「思い出すことなど」)の朗読とともに、現在の風景として、空に浮かんで飛行するグライダー、あるいはウィークデーの街、人の乗っていないボートが映し出される。中野と漱石の両者ともそれが何であるかということ、その内実を名指すことができない。空っぽだからである。しかし、青山真治は題名「すべてについては何も語らぬために」と、グライダーというそれ自体には動力のない飛行機、ボート、後ろから撮っただけの車、音のない都市によって、すべて空っぽで、しかも実際の日本の風景として、日本は空虚そのものであることを語り、あるいは語らぬとも、青山真治は映画において名指し、空虚そのものを見せる。というか、そこに何が映っているかをわれわれに見させる。例えば、中上健次の特に晩年の作品と同じように、映画を撮ろうとした人間がいる。

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空虚であることを、何も言わずに稼働させるのではなく、空虚そのもののをわれわれに開く。空っぽということを見つめて、なおかつそれを開く。死というものも、われわれがその空虚を引き受けないかぎり、われわれはシニカルにしかなれない。そして、それを引き受けることができなければ、死んでいったものたちの救済の空間を作ることはできない。

その意味で、大岡昇平の仕事は、三島よりもさらに死に関わるものとなるだろう。『レイテ戦記』も『堺港攘夷始末』も、さらには『花影』でも、そこには死について、例えば心理分析のようなものはない。小林秀雄に「魂のことを書け」と言われた大岡昇平が「事実を書く」と言い返したのは有名な話だが、空っぽの世界の上に行動があるとして、その世界は空っぽだと肯定するのではなく、われわれはそこで少なくとも死んできたことに注視しなければならない。生きている人間はともかく、この空虚の上で死んできた人間を無駄だというわけにはいかないのだ。

空虚の上に世界は構築された。しかし、文学者はそこに物を刻み込むことができなければならない。空虚を埋めるのではない。空虚であることにいったい何の意味があったのかと、空虚に直面せずに怒りや絶望へと向かうのではなくて、空虚の上に物を刻むことが文学者の仕事になる。つまりは、空虚の上に物を《書く》という作業であり、この作業全体が大岡昇平の仕事になる。それは三島の割腹と同じように、空虚の上に刻み込むことができなければ何の意味もない。ヨーロッパが体系として神をもち、あるいは超越体系をもち、日本がそのヨーロッパにこの20世紀において対面するならば、空虚を理念まで持ち上げねばならない。

戦後日本が、世界は空虚であるという発見をしただけではなくて、空虚しかその中心にもっていないのであれば、われわれは空虚それ自身を引き受けることができるかどうかを考えねばならない。この時に初めて日本人がデリダやブランショやフーコーを読むということが意味を持ち始める。意味を求める真理体系のなかで空虚や神に出会う体系を2000年かけて作ってきた世界に彼らは対峙してきた。そして彼らは空虚を相手にする本物のプロフェッショナルなのである。だからこそ、彼らが自分の《道具》として必要になるのだ。何もないということに対応するための《道具》として。したがって、自分は外国の哲学として読んでいる気は一切ない。自分が物を書くための《道具》として持ち込んでいるのであって、いうなれば「誰某の思想」という本を書くという気は一切ない。こうして講演では結論づけられた。

講演後に小林氏との対話および会場との質疑応答になった。そこで議論になったのは主に以下のことである。

まず小林氏から、「真理の空虚」が「空虚の真理」にキアスム的に転換されているのではないだろうか。はたしてわれわれに真理に対して関与的であるのか。そもそも空虚である以上、空虚を見つめたり、引き受けたりすることは不可能であるのに、空虚を真理とするから引き受けるという態度が問題となるのではないかという疑問が出された。

それに対して丹生谷氏はそこにはトリックがあるようだと応える。例えば大和心に対して漢意があり、漢意に真理があると日本人はしてきた。つまり、日本人は自分で真理に直面しないかわりに、他人が解決した真理の問題の結果を持ってくる。空虚だと日本人は言うかわりに、常に他人に真理を任せてきた。おそらく日本人も真理を求めはしただろう、しかし、それは自分たちは出会わないように他人に真理を生産させておき、そこに真理が機能している以上はわれわれも関与しているという図式を成立させてきたように見える、と。

さらに小林氏からは、丹生谷氏にはほとんど同意し、同じことを考えていると思うのだが、やはりわずかな差異があるとの指摘がなされた。それは、確かに空虚や死というのは無意味であるが、しかしそのことを真面目に考えるのは同じである。しかし自分としては、その上で死を解除したい。あるいは解除できるという方向に賭けたい。しかし、丹生谷氏はそこに留まることに賭けている。空虚を前にして、見るということに耐える、あるいは死を様々なシニフィアンでふさぐのはやめるべきだ、と。小林氏はそれに同意しながらも、留まるだけでなくそれを解除したいと思う、ここに両者の差異があるとの見解が示された。

さらに会場からは、アウトサイダーと敗走者の違いについて、また、いま現在なぜ空虚が問われなければならないのか、作家論というよりは「ポイエーシス」が問題となっているのかという問いと、美を表現することにおいて、空虚と向き合うことと真理を表現することは結びつくのかという質問がなされた。

それらについて丹生谷氏は以下のように応えた。

小林氏との差異はまさにその通りであり、その先について言うか言わないかの違いであって、これはことにするとフーコーとデリダの思考の差異にも繋がるかもしれないと示唆された。

また、アウトサイダーや芸術家のように空虚を生きることはできる。しかし、それは態度の問題である。戦地の敗走者はアウトサイダーではない。そこで死んでいく人間でしかない。アウトサイダーというのはある種のプロテスト、決意の表明でもあり得るが、しかし戦場での敗走者はそのようなプロテストはできない。また、戦場でなくても、どこでも、自分自身をアウトサイダーという場所に引き詰めざるをえないような存在になる瞬間がある。しかもそこに死んでいった人間もいる。それに対して、われわれがコンパッションという態度を取ることができるか。われわれは誰もが死の瞬間にはある種の敗者になる。それに対する態度の取り方が問題となるだろう。

そして、現在の世界が空虚ということが言いたいわけではない。例えば、フーコーのいう意味で《真理への意志》とは何かを考えてみればよい。世界が空虚かもしれないということが先にあるのではなくて、《真理への意志》という一つの動きのなかで、ヨーロッパではそれが神の遠ざかりということになるかもしれない。しかし、日本の場合は、そこに空虚しか見つからなかった。ならば、空虚は真理の代わりになるのだろうか。

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そして最後に美と真理の問題である。氏は美と真理は哲学概念としては別のものとして機能しているが、美と真理は結びついていると個人的には考えていると言う。ただいずれにしても美に真理は内包されない。美は真理を不可能性として崩壊させるものとして存在していると考える。不可能性という真理に対して美は何かしらの行動を取るだろう。美は何かの断言が不可能である瞬間に機能をはじめる。同じ場所だけれども、違う動きをするだろう、と応えた。

これに対して、さらに小林氏からは次のような応答があり討議は終了した。美も空虚で、もののあはれといってもいいが、もののあはれというものは、真理を超越するかもしれない。しかし、美は、感覚可能な方向に超越する。こちらの手前に超越してくる美、それはつまり世界の側から突き刺さってくるものである、と。

さて、この報告を終える前に、再度、空虚に物を刻むこと、つまり《書く》ということに戻って考えてみたい。

丹生谷氏は討議の際に、「ともかく、自分としては今は以前よりも、空虚なら空虚を、絵画なら絵画を発生させたい。文学でも映画でもいいから発生させたいし、実際に発生しているものがあれば、それを見る側にもわかってほしいと思っている」とも付け加えられていた。

このことを氏が別のところで語った言い方を引いて補足したいと思う。「何もやることがない、或いは出来ないという場、それを狂気とさしあたり言えるとすれば、そこでなお何かの営みであり得るのか」がまず問われていた。そして、その《営み》は、「何もやることがない」からの脱出を夢見ることではなく、いわば絶対的なアンニュイとしてそこに留まることだった(『死者の挨拶で夜がはじまる』河出書房新社、1999年)。先に述べたような、デリダやブランショやフーコーを読むことは、そこに留まるための《道具》として必要だったのかもしれない。しかし、今は、「発生」が問題となっている。これを、留まることから、発生させることへの展開と云ってよいのだろうか。あるいは留まることによって自身を存在論的に道具化し、発生そのものと化することだろうか。それは小林氏のいう「解除」へと繋がるものだろうか。いずれにしてもここには《真理への意志》において変容が見られるのだ。

丹生谷氏と小林氏の交流はそれぞれ互いが《書く》ものを読むことから始まっていた。また講演の冒頭で小林氏が強調されていたのだが、今は亡き中野幹隆という編集者が、大学とは違うところで、まだ若く何も仕事をしていない、余計者のように見える人間に、何かを書かせてきたから可能になったのだと。二人が同時に並んだもののひとつに、例えば『〈かたち〉の時空系 超越と偏移』(講座=思考の関数2、1984年、朝日出版社)がある。ここにはそれぞれ後の著作に収録されることになるが、丹生谷氏が「Voyage en Vain」を小林氏が「Plage, あるいは形について」を執筆し、並んで掲載されている。そして、2006年にはフーコーの『マネの絵画』(阿部崇訳、筑摩書房)に二人は「解説」を寄せる。そのタイトルは丹生谷氏が「砂浜の上に消えてゆく肖像」であり、小林氏は「『空虚の上に足をのせて……』」である。時を距てて四つのタイトルが饗応し、何かが「発生」しているかのようで、これは興味深いのだが、それはともかく、80年代にはそのようにして、何かを書くことが盛んだった。それが小林氏の言う通り、出版や編集の力がそこには介在もしていただろう。しかし、もちろんそれだけではないはずだ。研究論文でも口頭発表原稿でも、とにかく《書く》ことが、われわれには如何なる状況にかかわらず重要なはずだ。「仕事道具」はわれわれそれぞれが自分のものを持っているはずである。それは道具である以上はどんなものでもあっていいはずである。UTCPはとりわけ交流を活発に行っているとして、そこには《書く》という営為がなければならない。《書く》とは何か。そのことが強く刻み込まれた講演であったことを、私見だがあえて付け加えておきたい。

前田晃一(共同研究員)

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