【出張報告】「国際精神分析・哲学学会(ISPP/SIPP)」第三回大会(於ブラジル・サンパウロ)(1)
2010年11月22日から25日にかけて、ブラジルのサンパウロ大学で、国際精神分析・哲学学会(Interntaional Society of Psychoanalysis and Philosophy、以下ISPPと略記)の第3回大会「臨床的概念の機能と領野」が開かれた。UTCPからは、中期教育プログラム「精神分析と欲望のエステティクス」を主催する原和之・事業推進担当者と、同プログラム所属の研究員3名が参加した。
サンパウロ大学構内
2回の準備大会を経て2008年に本格的に発足したISPPは、創設以来、年1回のペースで大会を開催してきており、その様子については、早い時期から学会の活動にかかわってきた原がUTCPのブログなどでほぼ同時進行的に報告している(こちらをご覧ください:準備大会、第1回、第2回大会)。今回の大会は、プログラムの一部に(ポスト・)グラデュエート・カンファレンスとしての意味を盛り込んでいたこともあって、発表者の数と所属機関という点で前2回よりも拡大したとみられ、手元の資料でひかえめに見積もったところでも、36以上の大学から(あるいは、それぞれの大学の拠点を基準にして数えるならば、世界6大州のうちアフリカを除く5地域の10カ国17都市以上から)参加があったようである。また、壇上や会場では、事前に使用言語として指定されていた英語とフランス語の二つがほぼ半々に、あるいはもしかするとフランス語がやや多く発されていたように思う。
会期中のどの日も朝9時から夜8時過ぎまでという長時間のスケジュールで進行したが、その二つの軸のうちの一つをなしていたのは、全体会場で朝夕2本ずつ行われた、各国の一線で活躍する研究者による1時間半の講演(うちディスカッション30分)であった。総計15本あった講演のうち、三者三様の切り口をみせながら、しかしいずれも今大会のテーマに対して正面からの応答を試みていた、初日に行われたISPPの執行部メンバー三名(他一名は今大会を欠席)による講演をここでは簡単に紹介しよう。
Monique David-Ménard氏
大会冒頭を飾ったのは、理論的テクストの読解と臨床的経験の両方を足がかりにしたアプローチでテーマに取り組んだMonique David-Ménard氏(Paris VII大学)の講演である。「性関係はない(il n’y a pas de rapport sexuel)」というラカンの定式(そして2010年出版の共著でB. CassinとA. Badiouが呈示したこの定式の注釈)の批判的参照、そして言表と言説をめぐるフーコーの思索の肯定的な評価。氏はその二方向においてご自身の分析家としての経験を分節化し、ついで実践と理論に関するより一般的な議論へと展開した。氏の目からすると、ラカン理論は、治療における言表的可能性の探索の場をランガージュと性関係の非存在のあいだに限定しようとするかぎりにおいて、分析家の非−知に根ざした治療の言表的条件という問題の深化から遠ざかるばかりである。それに対して、フーコーのうちにはその問題の深化に向けて途を拓くための道具が揃っているのであって、転移、そしてそこにおいて発される言表とともに問われるべき言説(つまり分析的言説)とは、その言表の出来事性に由来する歴史性によって根本的に規定されていると同時に、その言表が到来しうるための条件として事後的に自らを呈示するものとしての言説なのである。
Philippe van Haute氏
Philippe van Haute氏(Radbound University)の講演が導きの糸としたのは、エディプス・コンプレクスは「フロイトの夢」であるというラカンの言辞――人文諸科学がそれをフロイト理論の最大の遺産の一つとしばしば目していることを考えるならばけっして穏やかならぬというべき言辞――である。1969-1970年のセミネール『精神分析の裏側(L’envers de la psychanalyse)』で発されたその言葉の周囲には、(フロイトによる症例研究の一つとして有名な)ドラ症例の再解釈がヒステリー者のディスクールと主人のディスクールという問いの定式化に、ひいては4つのディスクールという理論装置の錬成に通じるまでの文脈が広がっている。氏は、そのことを平明な注釈によって示し、ついでより長期的なスパンで捉えなおして、1950年代から1970年代にかけて進行したラカンによるヒステリーのプロブレマティクの再定式化が、エディプス的な理論構成に由来するもろもろの規範的な結果の超克(そしてそのかぎりにおいて「脱エディプス化」と呼びうるもの)をともなっていたという結論を呈示した。
Vladimir Safatle氏
Vladimir Safatle氏(São Paulo大学)は「パラノイア」をとりあげ、政治的・美学的問題への関心に深く標しづけられたアプローチにおいて、疾病分類に代表される概念的作業と臨床的介入のあいだの相互規定的な関係を論じた。「パラノイア」はギリシア語に起源をもち、文学においてはとくに近代小説において描写され(『ドン・キホーテ』にはじまり、以降『ボヴァリー夫人』など)、精神医学においては19世紀以降、疾患単位としての地位に関して種々に議論されてきた(クラフト–エビング、クレペリンから現代のDSM IVまで)。シュレーバ―症例についての著作にみられるように、フロイトは病態の記述よりも発生的次元の考察を重視しており、その発生的観点は、ラカン(とくに『精神病』のセミネール)において、明示的に、患者個人の生活史の参照に留まらないものとして、つまり「象徴界」についての理論に基づくべきものとして呈示される。妄想といった表れが、「平衡」「調和」といった価値からの差異においてときに捉えられているとして、分析的観点は、妄想が何に対する防衛として生じているのかと問い、そしておそらく、不安定さのなかで生が営まれるための根本的な条件として、傷つきやすさ(vulnérabilité)の承認を見出すのである(これに関して氏は、パラノイア的精神病と人格は同じものだとする、セミネール23巻のラカンの言葉を喚起した)。
会期中に行われた講演すべての内容に触れる余裕は、残念ながらここではないため――とはいえ、報告者の自由を利用してひとつだけ言及するとすれば、フロイトのいわゆる自然主義をめぐる議論のなかでメルロ=ポンティを参照しながら「自然」概念そのものを問題化したという点で個人的にとりわけ興味深く思われたSimanke教授の講演をとりあげるだろうことを述べたうえで――、講演者と講演タイトルのみ一覧の形で最後に紹介しよう。また、原による講演については、場をあらためて報告することにしたい。
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3rd Annual Meeting of International Society of Psychoanalysis and Philosophy
(11月22-25日、サンパウロ大学)
22日午前
Monique David-Ménard (Université Paris VII), S’ils prennent acte du transfert, les concepts, en psychanalyse, son des a priori historiques ou des conditions de possibilité a posteriori. Sur deux façons de nier : « Ceci n’est pas une pipe » (Magritte/Foucault) et « Il n’y a pas de rapport sexuel » (Lacan).
Philippe van Haute (Radboud University), Freud's dream. Lacan's critique of the Oedipus complex in his seminar on The Other Side of Psychoanalysis.
22日午後
Vladimir Safatle (Université de São Paulo), Paranoia comme catastrophe sociale : sur la genèse d’une catégorie clinique
Russell Grigg (Deakin University), Semblants.
23日午前
Marcus Coelen (Université Ludwig-Maximilian), L’écran poétique de la psychanalyse.
Jeffrey Bloechl (Boston College), The Phenomenology of Repression. Reading Freud with and against Michel Henry.
23日午後
Juan Manuel Rodriguez (Université Autônoma do México), Histoire et éternité : horizons cliniques de la psychose.
Richard Theisen Simanke (Université fédérale de São Carlos), Depth and space in Freud’s theory of the mental apparatus.
24日午前
Christian Dunker (Université de São Paulo), Malaise, suffering and symptom.
Lorenzo Chiesa (Kent University), The subject of unconscious as subject of science: Lacan, Milner, Meillassoux.
24日午後
Zeljko Loparic (Unicamp, PUC-SP), The Winnicotian paradigm illustrated by clinical cases.
Kazuyuki Hara (Université de Tokyo), La notion de symptôme dans la psychanalyse et sa portée philosophique.
25日午前
Rodrigo de la Fabian (Diego Portales University), Asking for desire in the context of the consumer society.
Richard Boothby (Loyola University), The lost cause of mourning.
25日午後
Michel Petersen (Université de Montréal), Le travail de la torture. Entame.
(文責・佐藤朋子)