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【イマージュに魅せられて 4】 生成のプロセスを研究すること

2010.11.28 三浦篤, イメージ研究の再構築

*UTCP事業推進担当者の三浦篤さんによる不定期連載第4回です。


スリジー=ラ=サール Cerisy-la-Salle といえば、かつてデリダを囲むシンポジウムで有名になった、知る人ぞ知るノルマンディーの人里離れた17世紀のお城。緑豊かな岡に囲まれ、鳥の声しか聞こえない静かな環境の中、夜は満天のクリアな星空に圧倒される、といった場所である。

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数十人規模の学術シンポジウムを開催できるように改築され、参加者に修道院のような生活(例えば、食事時間は鐘の音とともに知らされる)を提供することで、朝から晩まで発表と議論を繰り返すことを可能にする不思議な館に、私が到着したのは9月4日であった。現在では毎年夏を中心に二十幾つもの国際的なシンポジウムが開催され、大学とはひと味違う刺激的な学術のメッカとなった感がある。9月のこの週も二つのシンポジウムが併走していた。

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私が参加したシンポジウム「テクストと形態の生成論、プロセスとしての作品 La génétique des textes et des formes : l’œuvre comme processus」(2010年9月2–9日)を組織したのは、パリのフランス近現代テキスト&手稿研究所 (ITEM) で、文学における草稿研究の中心として雑誌 Genesis を刊行している。Pierre-Marc de Biasi (ITEM所長)とAnne-Hercheberg Pierot(パリ第8大学)が組織者となった今回のシンポが示しているように、近年になってITEMの活動は文学から建築、映画、写真など多様な文化事象へと研究対象を広げており、3, 4年前からは美術史の生成論を研究するグループも立ち上がっていた。そのグループの中心がパリ西大学のセゴレーヌ・ル・メン教授で、昨年秋にUTCPで「絵画の生成論」シンポジウムを行ったときに駒場にお招きしたご縁で、今年は私が本シンポジウムの美術史セクションに参加する成り行きとなった。本来は7日間の長丁場だが、時間の制約とストライキの影響で4日間だけおつきあいした。

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La génétique という発想は、できあがった作品自体よりも、作品の生成プロセスそのものへ目を向けるところにポイントがある。ただし、文学の草稿研究と並行する形で、例えば絵画の準備デッサンや下絵に関していえば、今までの美術史の研究とどこが違うのかという話になる。私見では、デッサンや下絵を完成作品に向かうための単なる前段階として取り上げるのではなく、そもそも唯一の完成という概念を宙づりにして、イメージ生成の多様な段階のひとつとして取り扱うことが重要ではないかと思う。画家が作品の構想を得る段階もあれば、取りあえずそれを具体化したり、試行錯誤してみたりする段階もあって、デッサンや下絵はそこと関係している。さらに取りあえずの「完成」と画家が見なす段階もあれば、受容された段階を作品の新たな生成と見なすこともできるだろう。さらに、複製され流通するとまた違った意味を帯びるかもしれない。要するに、作品の生成には終わりはないとも言えて、さまざまな段階の調査と考察を通して、生成のプロセスそのものを探ろうとするのが、ジェネティックの基本的な立場であろう。このような方法は古典的な意味における「完成」に執着しない近現代の文化事象を研究する際に、とりわけ有効な考え方ではないか。美術作品を研究する際にも、新しい見方として意識してみたい。

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ところで、私の発表だが、ゴッホがパリ時代に描いた2点の日本趣味の油彩画(1887年)の生成論的な再検討を行った。通常、広重の名所江戸百景シリーズの「亀戸梅屋敷」と「大橋安宅夕立」の模写と目されている作品だが、単なる模写ではまったくない。イメージと文字(漢字の挿入)の特異な結合であり、また対作品とも見なされうる2点の本質が実は異なっていることを、西洋と日本の絵画史におけるイメージと文字の分離と共鳴という大きな枠組みを踏まえて主張した。理解はしてもらえたと思うし、興味のある方はいずれ刊行される予定の報告書を読んでいただきたい。特に日本関係のテーマにしたかったわけではないのだが、現在の自分の関心や ITEM の研究者たちに漢字文化圏のことを少しは知ってもらいたくて、ゴッホがらみでジャポニスムの主題を取り上げてみた。期待以上の反応はあったが、内容からもフランス語としても答えるのに慣れていない日本関係の質問(書のことなど)が続いたのには、いささか困ってしまった。日本文化への自らの理解の浅さ、外国語で説明する困難を改めて知らされた発表でもあった。私の発表のせいか知らないが、その晩の映画の上映会はモーリス・ピアラの『ヴァン・ゴッホ』(1991)で、フランス色の強いゴッホ解釈が印象に残った。

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 私は普段、美術史関係の学会しかほとんど出席しないので、文学を始めとする他領域の研究発表が聞けるのは、なかなか刺激的な体験であった。美術史セクション(他にタイトル論と挿絵論があった)以外の発表も、可能な限り聞くように努めた4日間であったが、心地よくも相当の疲れを感じたのも事実。ともあれ、まずは Genesis を駒場の図書館に入れなくてはならない。美術史と文学研究を架橋するような方向を目指していくのは、駒場の学問風土にも合っているのだから。

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