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【報告】講演会「ベトナム漢文の近代ー科挙から雑誌へ」

2010.11.24 └レポート, 齋藤希史, 裴寛紋, 守田貴弘, 近代東アジアのエクリチュールと思考

2010年10月18日(月)、「ベトナム漢文の近代――科挙から雑誌へ」と題するPham Van Khoai先生(ベトナム国家大学ハノイ校人文社会科学大学准教授)の講演会が駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2にて開かれました。

Pham Van Khoai先生には7月9日(金)にもUTCPとEALAIの共催イベントとして「ベトナム最後の科挙 1919年:20世紀初頭におけるベトナムの漢文=科挙教育」という題で講演していただき、今回はその延長線で、科挙廃止後のベトナム漢文の実態についてお話を伺いました。

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具体的には取り上げたのは、1917年7月に創刊(1934年12月の第210号で終刊)された『南風雑誌』です。同誌はローマ字ベトナム語(クォックグ―)版・漢文版・フランス語版(1919年8月の第26号より附録として追加)からなり、当時の漢文がローマ字ベトナム語に変化していく様子を知る格好の素材となっています。従来、この雑誌は植民地体制に協力的な人物たちが発行していたという性格のため,同誌の研究は基本的に関心も評価も低く、とくにその漢文版に対してはほとんど注目されていませんでした。そこでKhoai先生は、自ら作成した漢文版の総目録に基づき、号別記事分類及び記事数に占める同時代漢文(新漢文)と歴史的漢文(旧漢文)の割合に関する詳細なデータを提供されました。

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分析の結果、創刊当時には同時代に書かれた新漢文の使用が圧倒的に多かったのに対し、次第にその割合が減少し、前時代に書かれた古い文献の転載が増加していく様相が明らかになりました。それは記事の分類からみれば、読者投稿欄の「文苑」が最後まで残っていた事実とも連動しています。当時のベトナムにおいて,漢文はもはや同時代の情報伝達を目的とする書きことばとしての機能を失っていたといえます。

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Khoai先生の結論をうけ、司会の齋藤先生は、『南風雑誌』の漢文版は近代ベトナムにおける“漢文の化石化”の急速な進行を端的にあらわす事例であるとまとめました。
質疑においては、まず印刷スタイルについての質問がありました.Khoai先生からは,同誌の印刷は当時の中国新聞の影響の下にあり、活字も中国輸入のものであったという答えがありました。また,同時代漢文の文体についても質問があったのだが,それは中国の近代語に近いもの、すなわち、文法は古いものの、語彙や術語は新しい要素が混じり合った極めて複雑な文であったようです。

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月曜日の催しで参加者は多くなかったにもかかわらず、相次ぐ質問に対するKhoai先生の熱心な返答、そして通訳の岩月先生の親切な敷衍により、予定時間を遥かに超えることになりました。なかなか伺う機会のない貴重な講演であったことを改めて実感させられました。

(裴寛紋, 守田貴弘)

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