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【報告】シンポジウム「建築保存の現在」

2010.11.20 田中純, 小澤京子, イメージ研究の再構築

2010年11月11日、シンポジウム「建築保存の現在」が開催された。

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【シンポジウム登壇者】

この催しは、リサーチ・アシスタントの自主的な立案・実行によるものである。近年の日本で盛んとなりつつある建築の「保存」(ないし再現・再生・転用・一部保存など)に着目し、その政治的・社会的・文化的な意味を、「今、眼の前にある事例」に即しつつ思考し、議論してみよう――本シンポジウムは、このような意図の下に企画された。このような問いを立てる契機となったのが、三菱一号館再現という特殊な事例であり、また友人たちとこのテーマを話し合う中で浮上した、原爆ドームのケースである。これらの建築物において保存ないし再現されようとしている記憶とは、一体どのようなものなのか。そもそも記憶や歴史を、建築空間の中に保存し、あるいは再生することは、いかなる性質の営為なのか――このシンポジウムの根底にあったのは、このような問題意識であった。

シンポジウムは、中谷礼仁氏による幾分ポレミカルな提題――「保存とは何か――建築における生と死とを考える」――から始まった。大河直躬による「保存」概念を援用しつつ、中谷氏は「生と死」という擬人化されたメタファーで、建築の存続のあり方を捉える。すなわち、「保存事業」が要請されるようになるのは、建築が「生」から、「死」へと、シフトする時だというのである。しかし氏は、「生きている」建築に要請される「無意識的保存」としての維持・保全にも、「死んでいる」――この比喩は、決してネガティヴな含意を持たない――状態としての「意識的保存」(=復元・復原・再現・凍結保存)にも回収されない第三のカテゴリーとして、「形見としての保存」を打ち出す。引き続き生命体のメタファーを援用するならば、死せる状態での建築保存は、キメラ(生きているのに死んでいる=保存されている、三菱一号館再現はここに位置付けられる)と、ミイラ(=死んでいるが、しかし生きている=価値を持ち続ける)に分けられると氏は言う。「形見としての保存」はこの「ミイラ」なる概念と重なるものであり、例えば原爆ドームはこの「ミイラ=形見」類型に位置付けられる。また、生き長らえる建築の一つのあり方を示す例として、自身の主催する「瀝青会」による、民家の「保存」をめぐる調査結果を紹介する。
中谷氏の主張は、第三の項目である「形見」としての保存に、豊饒な意義を見出すものである。象徴的なこの保存形態のうちに、国家によって担保されるのではない共同体が立ち上がるのだと、氏は言う。このような「形見」性(=モニュメントX)と通ずるものとして、氏は次のような諸例を挙げてみせる。すなわち、コーリン・ロウの言う「類推(アナロジー)による都市の安全」であり、ベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』で言及する、死んだ女性の子宮が生命を保っていたという逸話であり、今回のパネリストでもある内田祥士氏が著作『東照宮の近代』で説く「霊廟としての東京」観であり、またポンペイ噴火で残ってしまった屍体の孔である。

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【中谷礼仁氏】

続く頴原澄子氏の発表「『原爆ドーム』をまもってきたもの」は、原爆ドーム「保存」の道のりを、当時の新聞報道や書簡などドキュメントを丹念に辿りつつ示したものであった。原爆ドームは他の保存建築とは異なり、住民の民意や地方公共団体の首長、建築家らの決断によって「保存」の意志が決定し、これをサポートする法制度(世界遺産条約の批准、文化財保護法の要件改正など)は、常に事後的かつアドホックに(いわばパッチワーク的に)整備されてきたという経緯を持つ。原爆ドームの「敷地」についても、「重文」や「名勝」への指定に際して、その範囲は時代毎に大幅に変遷してきた。
さらに頴原氏は、原爆ドームを巡る未解決問題を指摘する。一つは「広島平和記念公園」と「広島原爆死者追悼平和祈念館」の英訳(ともにPeace Memorial)にまつわる問題だ。未だ訪れていない「平和」をmemorizeすることは不可能なのではないか、と氏は疑問を投げ掛ける。次に、日米の「和解」の不達成――原爆投下国との二重国籍保有者、イサム・ノグチによる慰霊碑案の却下に象徴される――である。
最後に氏は、「戦争のメモリアル」に関して、興味深い例を二つ挙げる。一つは、丹下健三による未完の公園構想が、その後の様々な建築計画の介入にも関わらず、結果的には実現されるような軸線構造が出来していること。もう一つは、聖別されたメモリアルである原爆ドームに対するオルタナティヴとしての、市民の日常生活と融和したイギリスの戦争遺跡の例である。

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【頴原澄子氏】

内田祥士氏は、「キメラ的保存」の一例である三菱一号館について、その解体と再現の経緯・背景を語る(「三菱一号館――その解体と再現の背景を考える――」)。自身の著作である『東照宮の近代』を導入としつつ、氏は二つの視点を提示する。一つは建築の「維持(メンテナンス)」という問題であり、これは「超高層ビル(増床の限界)」と「墓(無縁化を恐れる)」という二つの象徴的建築物の間に位置付けられる。もう一つは、東照宮陽明門に代表される、「全体」と「部分」が特殊な関係性を有するケース(例えば東京という都市)である。
次いで旧一號館の、保存要請を受けつつも強行的に取り壊された経緯が述べられる。すなわち、当時の三菱グループが抱えていた土地利用問題――丸の内の旧一號館保存問題(文化的課題)と皇居周辺における「美観論争」(政治的課題)、霞ヶ関での日本初の超高層ビル竣工――というバックグラウンドと、週末3日間で行われた突貫的な解体工事の時系列である。その後、約40年の歳月を経て一号館が再現された背景として、内田氏は建築保存に関する法環境の整備と、保存技術の確立を挙げる。本来ならば文化財保存に適用されるべき手法が、「新築」である一号館において、未曾有の高水準で達成されている、と氏は評価する。一方で、シンポジウム企画者(=報告者)が提示した問い――忠実なレプリカに歴史性は宿りうるか――に対しては、内田氏は「否」と答える。再現は、ある種の「歴史性」の回復を意味していることも多いであろうが、しかし、「建築の歴史性」は保存・修復の実務に対応する基準(古材残存率、修理の継続性)で計られるべき、というのが、氏の立場である。そして、「背景を隠したら新旧の区別がつかない」レベルで厳密に再現された一号館が、実は当初の敷地より1mずれた場所に建てられていること――「場所性」までは担保されていないこと――に注意を喚起して、発表を締めくくる。

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【内田祥士氏】

3名によるプレゼンテーションに続いて、登壇者間での討議が行われた。
まず、提題者である中谷氏が、2名の発表に対するコメントを寄せた。氏が冒頭で提起した「ミイラ的建築」とは「死んでいるのに生きている」建築のことである。そこでは、「共同性」の認識は残っている。頴原氏の挙げるイギリスの戦跡廃墟(コヴェントリー)は、その端的な例であるが、コヴェントリーの「活用」のされ方には、ミイラの持つ聖性が宿っていない。提題でエピソード的に示された、「現存の確認された、かつて今和次郎が調査した民家」は、歴史化されない建築の例である。しかし、ここでの人の意識されない建築への意識は、見えない共同性という回路を通して、原爆ドームの「背後にあるもの」と通底していると氏は説く。そして頴原氏の発表は、この「背後にあるもの」を浮上させたと氏は評価する。他方で三菱一号館は、近代化にあたってポトラッチのように家の「墓」を壊し、そして再生したのではないか。いわば自らが率先して自分の形見を壊し、周辺のビル街に墓壊しの呪いを解いた。そのような大家(おおや)としての岩崎家にとってのむしろ公的なファミリーロマンスだったのではないか、というのが中谷氏の指摘である。
次いで田中純氏から、個々の議論を横断する視点が提示された。
氏はまず、「歴史」「記憶」「ポトラッチ(文化人類学の用語)」、そして「建築=生命の自然史」という、本シンポジウムを包括するテーマ系を抜き出してみせる。そして、「象徴性」や「形見」を、アルド・ロッシに倣って、建築の「骨」に準える。また、象徴的な「モニュメントX」たる諸例(ポンペイの孔、死んだ女性の子宮、納骨堂としての原爆ドーム)の中に、「ヴォイドの象徴性」を見出す。象徴的ヴォイドを孕んだ別の一例が、ダニエル・リベスキントによるベルリンのユダヤ博物館である。
ベルリンには、もう一つ「再現」の示唆的な例がある。ベルリン宮殿再現案(2014年より再建工事に着手予定)である。この宮殿の戦禍による廃墟は東ドイツによって破壊され、跡地には別の建築物(東独による共和国宮殿)が建てられていた。ベルリンの壁崩壊後よりかつての宮殿の再建が議論され始め、最近決議採択がなされた。この背景にあるのは政治的な葛藤であり、東ドイツ時代の記憶を隠蔽するために、その一つ前の過去が暴力的に可視化されようとしている、と田中氏は指摘する。旧一號館を突貫工事で取り壊した三菱は、むしろこの破壊という暴力(=ポトラッチ)によってこそ、東京を近代化する「権威」を得たのではないか、というのが、氏の考察である。「保存」によって保たれるべきは、読み解かれるべき過去のインデックスとしての、「ヴォイド」の不可視性である、と氏は言う。

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【田中純氏】

討議を会場に開いた際には、真っ先に鈴木博之氏から発言がなされた。鈴木氏が指摘するのは、法律・経済的利益・企業の意思(アイデンティティの再確認など)のマトリックスの中で丸の内再建計画が進んでいること、そのような実務的な面に目を向けることの重要性である。
再提題とも言うべき鈴木氏によるコメントを受けて、登壇者の側からは、自らの建築保存に対する「立場」を明確にする応答がなされた。
内田氏にとっては、三菱一号館を眺める視点は「外側から」のものであり続けている。建築の実務家としても活躍している氏にとって一号館は、他にもいくつかある「入れない」建築物のうちの一つだと言うのである。
次いで頴原氏からは、「建築家ならではの感覚」を、私たちは皆持つべきなのではないか、という提言がなされた。建築物にまつわる「過去」が不可視化され、判別不能になってしまうことがいちばん恐ろしいのであり(例えば、内田氏が発表で示した金閣寺の再建が、日本語のガイドブックには記載されていない傾向)、提示されている「所与のもの」に対する疑いの目をもつことが重要であると氏は説く。
中谷氏は、 鈴木氏による提言を重く受け止めた上で、思弁を思弁のまま実践的な問題に置き換える必要性を説く。すなわち、「生」「死」「ミイラ」というメタファーの、具体例への置換の必要性である。同時に氏は、小林秀雄の『無常といふこと』の一節(人間とは人間になりつつあるものに過ぎず、つまり死してはじめて人間となる)を想起しつつ、「建築は死してはじめて建築となるのではないか」と問う。その置換とは、端的に言えば建築自身が法として君臨する可能性である。アドルフ・ロースは「建築の原型は墓」と言ったが、死せる建築とは一種の超法規的な存在なのではないだろうか。三菱一號館再現は、いかにそれが見事であろうとも生きている。その結果現状の法規に従わざるを得ない。このように、生きている建築は法規を超えられないが、死んだ建築は法規を造り出してしまう――その端的な例が、原爆ドーム保存をめぐる事後的な法整備である――と、氏は指摘する。
工学系のディシプリンを身に着けた上記3名の登壇者に対し、田中氏は、「語ることの力」を説く。すなわち、語ることによって(のみ)保存される建築もありえるはずだというのである。

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【会場風景】

「いま建築を語らせたらいちばん面白い論者を集める」という目論見の下に進めた本企画であるが、当日の議論は予想以上に白熱し、企画者の意図をはるかに超えた地点まで到達した。個々の事例に即した議論と、ユニークかつ挑発的ながら、的確に概略を捉えたフレームの提示とが巧く噛み合ったのも良かったと思う。
時間的な都合から、「これから」というところで討議を終了することとなってしまったが、その後の懇親会でも、建築と記憶を巡って、あるいは都市とそのネットワークを巡って、活発な議論が交わされた。90名近い来場者に、若い学生が多かったのも今回のシンポジウムの特徴である。さらなる討議と意見交換の場が、近いうちに設けられることを願っている。ご多忙の折に快く登壇を引き受けて下さった先生方、そして本シンポジウムの実現を、様々な面からサポートしてくれたUTCPスタッフの面々に、心から感謝したい。

小澤京子(UTCP)

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