Blog / ブログ

 

【報告】国際ワークショップ「批評と歴史──東アジア伝統の探索・省察」

2010.10.18 小林康夫, 裴寛紋, 呉世宗, 大橋完太郎

2010年9月6日(月)、韓国延世大学の国学研究院との国際ワークショップ「批評と歴史──東アジア批評の伝統の探索・省察」が駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1にて開かれました。

基調講演

100906_Yonsei_01.jpg

白永瑞(ペク・ヨンソ 延世大学国学研究院長)「共感と批評の歴史学──東アジアの歴史和解のための提言」
白永瑞先生の提起する「公共性の歴史学」という構想の第一の特徴は、「同一視(identification)の歴史」である。読者が歴史と自己を同一視する、すなわち歴史を共感できるようにするという意味である。今年、韓日併合100周年を迎え、韓国において最も熱い歴史学的懸案になっている韓日両国間の歴史和解の問題に対し、白先生はこのような「共感(empathy)の歴史学」を強調した。そしてその具体的事例として、加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009)を取り上げ、日本のみならず、多くの韓国の読者がそれに共感していることを指摘した。ただし、共感が単純な感情移入に止まらず、真の歴史和解を成し遂げるためには、批評が必要である。「批評としての歴史学」は史評という東アジア歴史批評の伝統を創造的に受け入れることであり、歴史研究者と一般人とが共感訓練を受けて共同主体として遂行する実践方案でもある。

セッション1「伝統と解釈」

100906_Yonsei_02.jpg

裴寛紋(ベ・カンムン UTCP)「近代日本と宣長問題──『古事記伝』の「皇国」から」
裴寛紋の発表は、いわゆる宣長問題とされる近代日本における宣長言説を問い直すものであった。村岡典嗣『本居宣長』(警醒社、1911)により、本居宣長は近代的な実証的文献学者でありながら信仰的な皇国主義者であるという矛盾が問いかけられ、以後の研究はこの矛盾の解決に悩まされてきた。具体的には村岡が日本思想史の方法論を宣長学に発見している点に着目し、同じく宣長学の方法にならっている丸山真男の宣長論との比較を試みた。宣長学に矛盾を見る彼らの宣長評価は両面性をもっているが、にもかかわらず、彼らは「日本的なもの」を想定する思考の枠組みにおいて宣長に大きく依存せざるを得なかった。

朴榮道(パク・ヨンド 延世大学国学研究院研究教授)「朱熹の中和論弁と境界の思惟」
朴榮道さんは、「省察的批判」のための「境界の思惟」(世界の中で世界の統一性を記述すること)を提示した。この境界の思惟という観点により、朱熹の中和論弁を再構成することで、東アジアの伝統的思考法の可能性を探るものであった。従来、朱熹の中和旧説と中和新説との関係は、思想の発達史として理解されてきたが、これこそが新儒家における境界の思惟の二分化、すなわち内部の思惟と外部の思惟との循環が先鋭化してあらわれる局面に他ならない。新儒家的な啓蒙の弁証法を乗り越え、性・心・情の三元構造を表記・無記の構図の中に陥没させないためには、超越・内在的表記・無記の三項関係に復元すべきである。

セッション1の討論は、基調講演から続く二つの発表が、いずれも批評(批判的思考)が必要であると唱えている意味で通じるという点に注意された。個別発表に対する質疑としては、宣長学と徂徠学との批評的関係が中心となり、中和論弁においては鉄と木の船の比喩をめぐって議論が盛り上がった。

セッション2「実存と理論」

100906_Yonsei_03.jpg

大橋完太郎(UTCP)「ロマン主義の国内飼育 domestication は可能か?──北村透谷における恋愛と生命」
大橋さんは、北村透谷の評論『厭世詩家と女性』(1892)から『内部生命論』(1893)に貫いているロマン主義を検討した。すなわち、透谷の見出した撞着的な恋愛の原理は、自己否定をしつつ新たな自己を肯定する生の原理にも共通する。透谷は、人間の生命に最も近い倫理道徳の基盤は徳川時代の儒教道徳が変貌したものと考えていた。しかし、実際のところ、透谷のいう「爰」とは「恋愛」ではあったかも知れないが、「ラブ」とは異なる。透谷が「爰」の原理を方法的に転用したとき、ある種の独断主義に陥ったのであり、そこに江戸の身体と西洋文学の観念との間の埋めがたさを露呈してしまったといえる。

羅鍾奭(ナ・ジョンソク 延世大学国学研究院研究教授)「1950年代の韓国における実存主義論争と社会批評の可能性」
羅鍾奭さんの発表は、1950年代、朝鮮戦争以降の韓国社会において最も流行っていた実存主義の意味を再考するものであった。具体例としては、当時、民族文学論の立場から実存主義を批判した崔一秀の文学批評を取り上げ、その批評精神の特徴が普遍と特殊を媒介にした試みであり、それが21世紀の社会批評の方向を定位するのに重要な理論的土台を与えてくれると指摘した。とくに現代社会で実存主義的な「真正性」の倫理に根づいた社会参与(アンガ-ジュマン)の意識は、資本主義の新自由主義的な世界化の流れとともに新たに意味づけられる。

セッション2の討論は、「ラブ」をめぐる「楽しめなさ」(「同調的快さ」を「否定もしくは苦悩すべきもの」として読み替える課程)について、また、西洋哲学を韓国(あるいは日本)に適用する問題などについて議論が重なった。

セッション3「政治と文学」

100906_Yonsei_04.jpg

続くセッション3「政治と文学」では、まず呉世宗(UTCP)が「「暗黒期」の〈日本語文学〉を再考する──金素雲訳編『乳色の雲』を中心に」と題する報告を行った。
呉は、韓国において文学史的に「暗黒期」と言われる1940年代に書かれた日本語による文学作品を、日本語/朝鮮語、抵抗/協力といった短絡的な枠組みを問題視しつつも、多くの日本語文学が植民地体制擁護的な側面を帯びた事実も看過することのない視座を提示する必要があると述べた。呉はそのような問題意識のもと、日本初の朝鮮近代詩のアンソロジーである金素雲訳『乳色の雲』(1940)を取り上げ、翻訳という観点から「暗黒期」の〈日本語文学〉の姿の一部を検討した。
『乳色の雲』が韓国では親日文学として黙殺され続け、反対に日本では高く評価されてきた原因を、呉は金素雲が「こころの翻訳」と呼んだ翻訳態度に求め、その態度を原詩と翻訳を比較しつつ規定した。またそのもう一方で、金素雲の翻訳には彼が回避したとされる植民地支配への抵抗の寓意も色濃く滲んでおり、その現われも原詩と翻訳の比較を通じて明らかにした。結論的に「暗黒期」の文学作品を検討する際には、歴史的背景を踏まえる必要があること、また文学作品の〈自立性〉とは何かを問題にする必要があると述べた。

続いて金杭(高麗大学民族文化研究院研究教授)が「「リアルなもの」の政治性──韓国における1960年代のリアリズム論争」と題する報告を行った。
 金によれば1960年代末のリアリズム論は、韓国語による文学批評が「歴史‐批評」となった原初の地殻変動だった。というのもこの時期の議論によって、「韓国語文学」の歴史的な存立根拠、文学的主体と社会性、そして言語そのものに対する批評等の「批評の自己意識」を獲得するからである。
金は、以上の問題設定のもと、主に金ヒョンと白楽天の二人の批評家を取り上げて論じた。金ヒョンについては、彼が「韓国語の発見」が1950年代の文学においてあったと指摘したこと、それが50年代の韓国語文学においては、思考と表現の乖離によって、現実を概念によっても又理想によっても方向付けることができない欠陥となったこと、それに対して金ヒョンは、「4・19世代」として、言葉に言葉を突きつけることで世界を構築する批評を切り開こうとしたと整理した。また白楽天については、文学とは社会/政治の領域が存立するために必要不可欠な構成的要素であること、ゆえに文学は純粋であればあるほど社会的で政治的なものになるという立場であったこと、それゆえ大衆の啓蒙による「市民文学論」が提唱されたのだと指摘した。以上の金ヒョンと白楽天のリアリズムは、今後の「韓国語批評」のマトリックスとなるであろうと締めくくった。

セッション4「歴史への視線」

100906_Yonsei_05.jpg

続くセッション4「歴史への視線」では、月脚達彦(東京大学)が「「植民地近代性」批判としての申采浩思想の可能性」と題する報告を行った。
月脚はまず、朝鮮のナショナリズム形成は、中華世界からの離脱に伴う「国民国家」の創出という第一段階(=「大韓帝国的ナショナリズム」)と、1905年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結後の時期という二つの段階を踏むと整理した。
以上のナショナリズムの主要な担い手は「立憲改革派」の「克日型ナショナリズム」と「改新儒教派」の「道義型ナショナリズム」であったが、月脚は、それらとは異なって日本に対する徹底的抵抗を主張する「抗日ナショナリズム」、その代表的人物である申采浩に着目して議論を展開した。月脚によれば、申は「国家主義」を超えるいかなる「仁義道徳」も批判し、さらに「国民」には「国家的精神」や「自国精神」があればよく、日本の支配下で推進される「文明化」そのものを峻拒したために、「道徳的オプティミズム」に起因する「潜在的植民地主義」の陥穽を免れたと指摘した。そして申采浩の思想を「植民地近代性」論とつき合わせつつ、その思想が「植民地近代」批判の理論としての意義を持つものだと述べた。

続いて金基鳳(京畿大学校人文学部教授)が「「生に対する批評(Criticism of Life)」としての歴史」と題する報告を行った。
金は、近代歴史学は、一つの過去に対する真実はただ一つの歴史を通じてこそ再現されることができるとした一方で、脱近代の歴史言説は、一つの過去の実在に対する意味の解釈を様々な歴史で語ることを志向した。前者から後者への移行は歴史の脱科学化を通した再文学化の道を開いて歴史批評の再活性化を産んだが、その結果、歴史批評の上昇と歴史学の下降という現象が起きている、と指摘する。
そのような矛盾の原因を金は、今日の歴史学者が過去の事例に対する批評を通じて現在の問題を批評するという、一種のメタ批評家としての機能を失った点に求めた。そのためメタ批評家として歴史家の本来の役割を回復することが今日の歴史学の危機を克服し、歴史を再び人生の羅針盤とする近道であろうと述べた。

100906_Yonsei_06.jpg

以上の基調講演、第1~4セッションの議論を受けて、小林康夫から閉会の講演がなされた。
小林は冒頭で、2010年が日韓併合100年であることの意識に関して、韓国側と日本側において大きな落差があることに注意を喚起した。「歴史と批評」と題する国際ワークショップにおいて基礎的な事実に対するこの落差は、まだまだ両国の関係において、政治や経済だけでなく、学術的な交流においても深い溝があることを示唆したように思われる。
また呉世宗の報告を取り上げて、言葉が別の身体へ変化するとはどういうことか、金素雲訳の日本語の身体との密着性の意味は何か、という疑問が出された。これはつまるところ、呉が論じた金素雲の「こころの翻訳」の「こころ」とは何かに繋がる問題であったと思われる。そしてこの疑問は明らかに、基調講演において白永瑞のタイトル「共感と批評の歴史学」における「共感」と「批評」の問題に接続している。というのも「共感」する/される「こころ」とは何であり、それのみならずその「こころ」が──例えば植民地化の影響によって──自然的なものではないとすれば、そこに「批評」が介在する必要があるからである。
国際ワークショップは、濃密な報告と活発な議論によって大盛況のうちに終了した。また長時間にわたって通訳してくださった安天氏(東京大学)に感謝する。

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】国際ワークショップ「批評と歴史──東アジア伝統の探索・省察」
↑ページの先頭へ