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【UTCP Juventus】裴寛紋

2010.09.22 裴寛紋, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2010年度の第22回はRA研究員の裴寛紋(近世思想)が担当します。

ただいま博論の執筆中です。今回はそのベースになる話を紹介することにします。

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これは本居宣長『古事記伝』十七の附巻として付けられている『三大考』のうち、図の一部です(『全集』九巻所収より転載)。

「三大」とは天(日)・地・泉(月)のこと。『三大考』はその「三代」の生成と在りようを、『古事記』『日本書紀』の記述と十枚の図をあげながら説いています。

第一図は虚空における三神の出現、第二図は「一物」の出現、そして第三図に天の分化が起こり、第四図に地と泉の分化が進みます。以後の関心事は天・地・泉の動向になります。第五図に地の上での海水と国土の分離、第六図から第九図まで神々による地の整備がなされると同時に、日・地・月が次第に遠ざかる過程が描かれています。最後に天孫降臨を期に「三大」は完全に分離され、それぞれ旋回を始め、現在に至っている、というのが第十図。つまり、『三大考』は「天地の初の事」を「今の現の事」と考え合わせ納得しようとしたものです。

とくに第五図をみると、「皇国」はちょうど天と向かい合っている場所に置かれています。解説部に「皇国の在処は、図の如く、大地の頂上也」とある通りです。「皇国」と諸「外国」との優劣関係を図の上で視覚的に明示するのです。

『三大考』序文によると、その執筆を促したのは、天地創世を語る「外国」の諸説の偽りでした。もちろん実際意識されたのは、大体「理」をもって天地の始まりを説く儒学の抽象的な宇宙論です。面白いのは、そこに「西国」の天文学をもち込んでいる点です。「彼漢国の旧き説ども」と違い、「皇国の古伝説」は西洋人の経験的な証明による地球説にも適合する。ただし西洋の説にも限界がある。今ある世界の「測算」はともあれ、この世界の成り立ちについては知りようがない。天地の始まりの物語は、唯一「皇国」のみに正しく伝わっているのだから。という論理で、地球説に共鳴する一方で、世界の起源から今に至る過程を十段階の図により明らかにしようとしたのです。

さて、『三大考』を著したのは宣長の弟子服部中庸です。中庸は「すべての事は、古事記伝に依れり」と断ったものの、実際、『三大考』の内容は『古事記伝』とは異なっており、当初からも『古事記伝』との齟齬が問題となりました。しかし、現在では『三大考』の草稿などに宣長の書き込みによる指示や修正などが確認され、『三大考』は宣長の積極的関与のもとに製作されたことが判明されています。それは『古事記伝』の内包していた世界像としての読みの可能性を、より徹底したものとして理解されます。

世界を図解する試みは宣長にもあり、それが次の『天地図』です(『全集』十四巻、一部)。
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『古事記』から読み取った天地生成神話を一つの世界像として示そうとした図です。宇宙を表す大楕円に、「皇国」「常世国」「黄泉国」の三つの円(上記写真)と、地を表す方形の囲みがあり、その周囲を日月神がめぐり、天頂には別天神の座所を描いています。『天地図』は、『三大考』の草案として知られる『天地初発考』の成る前年に宣長から中庸に貸与され、従来から『三大考』への影響関係が指摘されたりもしています。

一七九六(寛政八)年、『古事記伝』十七巻(神代までの注釈)刊行の際、宣長は自ら寄せた跋文とともに、『三大考』を附けて出版しました。以後の約百年間、宣長の門下をはじめ、多くの近世知識人を巻き込んで、『三大考』をめぐる一大論争が引き起こされることになります。批判と再批判が繰り返されるなかで、彼らは新しくもたらされた地球的世界像のなかで、それを納得し得る説明の根拠を「皇国」の神話に求めたのです。

『古事記伝』は『古事記』の物語から、天地の始まり、この世のあらゆる事物の始まり、続いて国土の生成など、すなわち世界が形作られていく壮大な宇宙論を読み取ろうとします。宣長が世界の物語として『古事記』を読む方法的意識を明確にしている以上、『古事記伝』をそういったテクストとして分析する、ということが私の研究課題です。いうまでもなく『古事記伝』は『古事記』注釈書ですが、それ自体を、古典注釈を通して新たな神話を成り立たせたテクストとして捉える立場です。

裴寛紋

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