Blog / ブログ

 

【UTCP Juventus】小泉順也

2010.08.20 小泉順也, イメージ研究の再構築, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2010年度の第9回目は特任研究員の小泉順也(フランス近代美術)が担当します。


中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」に所属している小泉です。ポール・ゴーガン(1848-1903)に加えて、ナビ派やポン=タヴェン派の画家たちを中心としたフランス近代美術を研究しています。今回は私自身の関心のありようもお伝えしながら、現在の研究の一端をご紹介します。

現在はゴーガンの没後に焦点をあてて、この芸術家が本国においてどのように受け入れられてきたのか、その歴史的変遷を美術史学と芸術社会学の立場から研究しています。大きな枠組みで考えるのであれば、20世紀を通して形成されてきたモダン・アートの歴史の再検討であるといえるでしょう。

しかしながら同じく興味深いのは、当人が没して不在になると、ときに無遠慮ともいえるやり方で人々の思惑がうごめき始めるということです。ひとまず考察対象を没後に限定しているのは、こうした泥臭くも生き生きとした人間模様が浮かび上がってくるからに他なりません。画家、コレクター、画商、美術批評家のみならず、学芸員や美術館といった制度、さらには大臣や国家といったレベルまで巻き込みながら、取捨選択を経た一握りの芸術家が顕彰されていく過程は非常にスリリングなものなのです。

19世紀という時代が精緻に歴史化されていこうとする過程の中で、作家研究とともに受容研究もまた、徐々に重要性が高まってきています。今年5月のUTCPレクチャーでお招きしたシルヴィ・パトリ氏(オルセー美術館学芸員)が、「ナビ派の再発見-美術史の趣味と変遷」と題して、コレクションを中心としたナビ派の受容史を詳しく論じられたのは、こうした研究状況を反映しているといえるでしょう。

ところで話が横に逸れますが、日本の研究者にとって、ゴーガンとゴーギャンのどちらの表記を選ぶのかというのは悩ましい問題です。おそらく日本語では後者の方が優勢でしょう。原語であるフランス語の発音はゴーガンに近いと思いますが、こちらの一派は苦戦を強いられています。私も論文ではゴーガンを用いているものの、翻訳ではゴーギャンに修正せざるを得ません。表記の変遷をたどる余裕はありませんが、「ゴーギャン」という発音が一般的に好まれているのは、その強く濁った音の響きが、この芸術家につきまとう粗野なイメージと呼応するからだと考えています。

瑣末とも思える表記の問題に言及したのは、モダン・アートを代表する芸術家たちには、ある種の紋切り型が付きまとっていることを改めて指摘したかったからです。しかしながら、野生や放浪といったキーワードで語られることの多いゴーガンですが、その書簡を繙くと、別居中の子供への細やかな気遣いに驚かされることがあります。破天荒な人生といったイメージは、芸術家による自己演出と相まって、歴史的に形成されてきたものです。しかしながら、21世紀に入ってもまったく同様の見方が踏襲され続ける保証はなく、何かのきっかけに針が大きく振れる可能性はあるのです。

ここでは私がたびたび調査に訪れている、ブルターニュ地方のポン=タヴェンという小さな村を取り上げましょう。ゴーガンはこの地方に1886年から1894年にかけて、断続的に計2年半ほど滞在を繰り返しました。そして、画業の変化を決定付ける《説教のあとの幻影(天使とヤコブの闘い)》(1888、スコットランド国立美術館)を制作するのです。しかしながら、20世紀に入っても宿屋に置かれていた数点の作品を除けば、ポン=タヴェンにはゴーガンが滞在したという記憶の痕跡は何も残されていませんでした。

さらにゴーガンやその周辺の画家たちは、ブルターニュという土地とは無縁の余所者として冷遇されてきたのです。例えば、1933年に教会建築や磔刑像を網羅的に研究した『ブルターニュ美術』を上梓したアンリ・ヴァケ(フィニステール県立公文書館司書)は、序文のなかで「ブルターニュには絵画の革新などなかった」と明言しています。自他を明確に区別しようとする意識のなかで、同地の出身者でない彼らは長らく埒外に置かれてきました。

pont-aven-2.JPG
【記念プレートが設置されたかつての宿屋、現在は本屋と美術学校】

しかしながら、歴史は少しずつ転回していきます。1939年に芸術家たちが逗留先にしていたかつての宿屋のファサードにプレートが設置され、公的な空間に初めて記念碑が姿を現しました。そして時代はくだりますが、郷土史研究の高まりと観光化という経済的論理の必要性の中で、1985年のポン=タヴェン美術館の開館を迎えたのです。現在では、ゴーガンの絵画をあしらった土産物が村中にあふれているような状況にあります。

Pont-Aven-3.JPG
【現在のポン=タヴェン美術館】

その結果、ポン=タヴェンは多くの観光客が立ち寄る場所に生まれ変わりました。地域振興という目的の中で、ゴーガンは観光資源として活用されているといって良いでしょう。それ以前のことを知らない者としては、変化の功罪について述べることはできません。ただ、ゴーガン評価の変遷の中で、関係する土地もしたたかに変貌を遂げていることは確かです。

振り返ると、芸術は20世紀のある時点から宗教の代替物のような機能を果たすようになりました。このような心性の変化が芽生えたとき、出生地や制作地や終焉地を訪れるという巡礼の旅が始まったのです。セザンヌのエクス=アン=プロヴァンス、ファン・ゴッホのオーヴェール=シュル=オワーズ、モネのジヴェルニー、ルノワールのカーニュ…。

各地に「聖地」が誕生して、人々が詰め掛けるようになりました。いうなれば作品の創造や生成の現場と同様に、受容や享受の現場もまた考察すべき対象なのです。受容研究とは単に画家の評価の変遷をたどるということだけでなく、人々の暮らしぶりも変えてしまうアクチュアルな問題であるという意識を持って、研究を進めて行きたいと考えています。


(小泉順也)

Recent Entries


↑ページの先頭へ