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【UTCP Juventus】津守陽

2010.08.18 津守陽, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開など を自由に綴っていきます。2010年度の第8回目は特任研究員の津守陽(近現代中国文学)が担当します。

 私の専門分野は近現代中国文学です。中国に関しては中国語にも「近代」「現代」さらに「当代」という言葉があり、日本語のそれとは時期的にも意味的にもずれがあるのでややこしいのですが、ここでは日本語で「きんげんだい」と読んでください。時代としては大体20世紀の中国文学を対象にしています。

 2009年の12月に『沈従文における〈郷土〉の表象——近代文学による「原=中国」像の構築』と題した博士論文を提出、今年3月に学位を取得したところですので、現在の研究と思索はまだほぼこの範囲内にあります。博士論文のあとがきにも書いたのですが、研究の出発点となったのは、「ふるさと」或いは「田舎」という場所にまつわる一種の固定的言説に対して感じる、漠然とした違和感でした。そしてその違和感は、中国の「ふるさと」「田舎」言説に面するとき、より複雑な様相を呈しながら膨らみ、或いはその形を変えました。これが「近代文学を通して如何に「ふるさと」像や「田舎」像、そして中国にとっての原風景像が形成されたか」というテーマで研究を行うきっかけとなりました。以下、対象としてきた沈従文という作家について簡単に紹介しつつ、出発点としての自身の問題意識をご紹介したいと思います。

(1)沈従文の作品世界とその「原=中国」としての受容
 沈従文(しんじゅうぶん/シェン・ツォンウェン、1902–1988)という作家は1920年代~40年代に活躍した作家です。日本では武田泰淳が「仲間の誰もが好きなのは沈従文だった」と述べるように、泰淳を含む中国文学研究会のメンバーによって同時代文学として好意的に紹介されましたが、今や日本での知名度は高いとは言えないでしょう*。しかし中国語圏においては、20世紀中国の小説を網羅した最近の人気ランキングで彼の代表作「辺城〔辺境のまち〕」(1934)が魯迅の『吶喊』に次ぐ第2位につけるなど、特に知識層に高い人気を誇ります。あと少し長く生きていれば中国最初のノーベル文学賞をとるはずであった、と伝えられたりもしますが、実は新中国成立直後に強い批判を受けてからは完全に筆を折って博物館員となり、その作品は長らく禁書扱いの状態に置かれたため、80年代に名誉回復するまでの長い間忘れられていた作家でもありました。
 では彼の作品の何が現在の高い人気を獲得しているのでしょうか。作家としての沈従文を最も特徴付けるのは故郷の湘西地方を舞台に描いた作品群です。ここは漢族と少数民族の混住する山間地帯で、沈従文自身も漢族・土家族・苗族という三民族の血を引いて生まれています。そして彼の生まれた鳳凰県は、漢族による苗族鎮圧のための拠点として築かれた城塞都市の一つでした。山肌に抱かれたこの小さな辺境の町は、今も残る煉瓦造りの城門に無残な民族抗争の名残を残しつつ、その澄み切った山水と現地独特の「吊り二階」の街並みによって、現在は「歴史文化名城」に指定されて国内外の観光客を惹きつけ始めています。
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〔2004年の鳳凰県城。まだ観光客が増え始める前の姿です。〕

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〔現地独特の「吊脚楼」。京都の川床のように川にせり出した二階が特徴です。〕

 しかしもし沈従文という作家を輩出していなければ、鳳凰県がこれほど注目を集めることはなかったでしょう。彼は14歳まで少年兵として中国西南部を転戦していた経験を生かし、一念発起して北京へ上京してからは、辺境の地に暮らす人々の姿を「天才的」と称された独特の筆遣いで次々と描き出しました。そこに描かれた野性的でありながらあくまでも純朴な人々の姿は、都市に生活する文化人たちの心を打ち、「牧歌的」「愛すべき人物」「静謐な太古の世界」「文明人の郷愁を誘う」「古き良き中国の世界」と高い評価を受けます。もちろんその一方で、左翼文芸が強い勢力を占める近代以降の中国文壇において、「現実の農村に存在する問題点を無視している」といった批判を受けてもいます。
 さて私が疑問を呈したのは、後者の批判ではなくむしろ前者の高評価の言説です。80年代の名誉回復後に沈従文の文学が一種のブームを引き起こしたのも、都市を厭い田舎を抒情的に賛美した彼の文学の側面を、一種の近代文明批判としてとらえる眼差しによるものでした。こうした評価は日本やアメリカにおける沈従文評価にも共通しています。このタイプの言説には繰り返し「本物の中国の土の匂い」「悠久不変の太古の郷愁」といった言葉遣いが現れます。しかし華北や江南の農村とは大きく異なる中国西南の山間部について、苗族の風習をエキゾチックに織り込みながら描いた沈従文の作品が、なぜすんなりと「本当の中国の農村」を表現したものとして受け取られるのでしょうか。そもそも「本当の中国の農村」なるものは、受容者の胸の内にどのような姿をとって存在しているのでしょうか。

(2)〈郷土〉という問題系
 この問題を考えるためには、近代中国で形成された〈郷土(シャントゥ)〉概念をめぐる意識のメカニズムについて知る必要があります。〈郷土〉は日本語の「きょうど」同様、そもそもは「ふるさと」や「ある地方」を指す言葉ですが、近現代の中国ではそのほかにも「農村」「田舎」などを含んで非常に包括的に用いられ、時には「西洋近代文明に侵食される前の伝統的中国文化」を体現する世界として捉えられることすらあります。これらの言説に特徴的なのは、「田舎」「農村」「地方」「故郷」といった全く異なる属性の概念をひとくくりに〈郷土〉のもとに包括し、そこにこそ「中国本来の姿」、すなわち「原=中国」像が存在するのだと自らが考えていることについて、たいへん無自覚であることです。
 これを一種の均質的かつ近代的〈郷土〉意識と呼ぶとすれば、中国の強い〈郷土〉意識を形成した一因と考えられるのは、おそらく1910年代を皮切りに続々と登場したいわゆる〈郷土文学〉と呼ばれる文学作品群です。このカテゴライズ自身、近代の均質的〈郷土〉意識の延長線上にあるものとして私自身は問題視していますが、ともあれ、〈郷土文学〉というカテゴライズは中国の学界で広く公認され、沈従文も基本的にその文脈で文学史上に位置付けられています。郷土的世界が近代に入って再発見され、主に文学作品によってそのイメージが盛んに生産されるという現象は、中国に限らず日本やドイツ・フランスなど世界的に共通するものですが、その影響力が現在まで何らかの形で続いているという点において、中国の〈郷土〉意識の強さは抜きんでています。
 この現状を踏まえて近代中国の強固な〈郷土〉意識に疑義を呈するため、私は〈郷土文学〉と称される作品群を総体としてとらえる前に、一人の作家や一つの作品が〈郷土〉的世界を表象する、その瞬間に立ち戻ろうと試みました。博士論文で試みたのは、沈従文の湘西作品群に見える〈郷土〉の表象を丹念に掘り起こし、何らかの視点に即してその変遷や矛盾を洗い出すことでした。ただし湘西という舞台をどのように描いたか、という漠然とした視点によるだけでは、結局先行研究によって形成された「抒情的に郷土的世界を賛美した作家」という沈従文像の再演になりかねません。そこで私が着目したのは、一見郷土像とは何の関係も持たないと考えられる作品の細部——少女の日焼けした肌の色や人物呼称、ふとした副詞の使い方など——でした。そして作業のあとに見えてきたのは、沈従文が描き出したとされる理想的な郷土像が、実際にはかなりの取捨選択と変遷を経て立ち上がってきたものだということ、そして純粋無垢な郷土像のかげに多くの異質かつ不可解な郷土像が隠れていたことでした。
 各視点に基づいた具体的な分析については、9月以降のUTCPレクチャーで一部をご紹介できるかと思います。また目下最も気になっている問題は、作品の細部から浮かび上がってきた彼の不可解な郷土像をいかに評価し位置づけるかという点です。UTCPで開催する予定のワークショップや交流を通して、この問題を考えるための視野を獲得したいと思っています。

ちなみに、奇峰の立ち並ぶ湘西の美しい山水は、映画「山の郵便配達」で目にすることができます。
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〔映画冒頭のシーンで使われた場所を訪れました。足のすくむような断崖に一つ一つ石道を築く住人の胆力に感服します。〕

*現在手に入りやすい邦訳としては、松枝茂夫によるもの(『現代中国文学全集・沈従文篇』河出書房、1954/『現代中国文学・丁玲・沈従文』河出書房新社、1970)があります。

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