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【報告】UTCPレクチャー「ミニマリズムの記憶に――アン・トゥルーイットと20世紀中葉のアメリカ美術における記憶の問題」

2010.07.10 近藤学, イメージ研究の再構築, セミナー・講演会

2010年6月23日、若手美術史家ミゲル・ディバーカさんによるレクチャーが行われた。

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ディバーカさんは09年、ミニマリズムの彫刻家アン・トゥルーイット(1921–2004)を主題とする論文でハーヴァード大学より博士号を取得され、現在はイリノイ州レイクフォレスト・カレッジで教鞭を執りながら、同論文を公刊に向けて改訂中である。実はこのトゥルーイット、60年代半ばの3年間をジャーナリストの夫に付き随って東京で過ごしており、南画廊(戦後日本美術史上きわめて重要な役割を果たした)で2度にわたって個展を開催してもいる。トゥルーイットをめぐってはここ10年ほどのあいだで研究が一挙に活性化し、09年末から久方ぶりの回顧展が開かれるなど再評価の機運著しい。とはいえトゥルーイットの日本時代の作品は、のちに本人がすべてを破棄してしまったという事情もあって、これまでいささか等閑に付されてきた。これに対しディバーカさんはあえてこの時期に注目し、トゥルーイットが異国の地で何を見たのか、その体験が後の作品にどのような効果を及ぼしたかを、新たな眼で検討しようとしている。今回の来日はそのような再検討作業の一環として、資料調査やインタビューを行うことを目的としていた。

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UTCPでのレクチャーもまた、執筆中の著書から出発する内容だった。周知のように、抽象表現主義からポップ、ミニマリズムに至る戦後のアメリカ美術および批評言説においては、超越的な意味づけを可能なかぎり排除し、〈今・ここ〉での経験を作品の唯一の意味として顕揚する傾向が圧倒的だった。いっぽうトゥルーイットは早い時期から記憶の問題に強い興味をいだき、生涯にわたって作品の根本モチーフとした。ディバーカさんは最初期の作品――その名も《First》(1961)――を取り上げ、彼女の生まれ故郷に典型的な建築様式などのコンテクストを参照しながら、この作品に作者自身の記憶、そして20世紀前半アメリカの集合的記憶が深い影を落としていることを明らかにする。60年代のアメリカ美術はひたすら現在に取り憑かれただけの時代ではなく、そこでは過去への眼差しも無視できない役割を果たしていたのではないか。トゥルーイットの特異な事例から出発して、このような新視点を立てることも可能だろうとディバーカさんは述べる。

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レクチャーに引き続いて質疑応答が行われ、ディバーカさんの文字どおり当意即妙の受け答えを得て、いつにもまして親密かつ活発な議論が展開した。過剰な一般化のそしりをおそれずに言えば、これはやはり北米の、若手の研究者ならではのものだったと思う。内容にかかわらずあらゆる質問に適切な応対ができるというのは、アメリカの学界では当然の能力とされているからだ(もちろんこれはディバーカさん個人がとりわけすぐれた資質の持ち主であるということを否定するものではいささかもない)。いずれにしても、すでに功成り名遂げた斯界の権威の御説をただ拝聴するばかりではなく、同世代の学究と対等な意見交換を、というのがUTCPの大きな方針の一つであるわけで、その意味でまずは成功といってよい会だった。多忙なスケジュールを縫ってレクチャーを引き受けてくださったディバーカさん、また熱心に耳を傾け、積極的にディスカッションに貢献してくださった来場者の皆さんにあらためてお礼申し上げたい。
(近藤学)

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