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【学会参加報告】2010年度科学基礎論学会

2010.07.25 筒井晴香

 2010年6月12日‐13日の二日間、専修大学生田キャンパスにおいて、科学基礎論学会2010年度総会が開催された。筆者は一日目のワークショップ「脳神経科学リテラシーとは何か」において「『男脳・女脳』言説の中の『脳』」と題した発表を行った。以下、発表の概要と成果について報告する。

 今回のワークショップは、平成18年12月~平成21年11月にかけて行われた科学技術振興機構社会技術研究開発センターの研究領域「科学技術と人間」研究開発プログラム「21世紀の科学技術リテラシー」における研究開発プロジェクト「文理横断的教科書を活用した神経科学リテラシーの向上」(研究代表者・信原幸弘)を受けて行われたものである。脳神経科学の発展と、その産業利用の活発化が目覚ましい近年、一般市民が脳神経科学に関するリテラシーを持つことの重要性は高まってきている。このような現状を受け、上記プロジェクトにおいては、望ましい脳神経科学リテラシーのあり方に関する理論的考察、脳神経科学リテラシー教育プログラムの開発・実践と効果測定などが行われた。

 筆者はこのプロジェクトに直接的な形で関わってはいない。今回のワークショップに参加したのは、昨年度より取り組んでいるテーマ「性差の脳神経倫理学」のもとで行ってきた、脳の性差に関する一般向け言説の分析が、脳神経科学リテラシーについて論じる上で一定の示唆をもたらしうると考えたためである。今回の発表での筆者の狙いは、脳の性差をめぐる一般向け言説に対し、脳や脳科学のイメージという観点から注目することで、広く一般に受け入れられている「脳」「脳科学」のイメージを明らかにし、そこから脳神経科学リテラシー教育の望ましいあり方について考えるための手掛かりを得ることにあった。

 発表の概要は次の通りである。近年、一般向け書籍やTV番組等において脳の性差に関する言説が人気を集めている。そのような言説の中には、様々な点で問題含みのものが散見される(詳しくは以下の論文を参照されたい:筒井晴香、2010、「通俗的『男脳・女脳』言説がはらむ問題――性差をめぐる脳科学と社会の中の性別」『脳科学時代の倫理と社会(UTCP Booklet 15)』)。

 一連の言説においては、「男女は脳が違う」「脳に性差がある」といった主張が、男女の違いを決定づけるものとして現れる。ここでは、脳の性差が人間の間に本質的な差異をもたらすものとして捉えられている。しかし、脳神経科学研究の現状に照らせば、脳の性差と一口に言っても、部位によって差のあり方や解明の進み具合は様々である。また、脳の性差は必ずしも常に能力や行動等の性差として現れるわけではない。脳の性差がそのまま全人格的な差異であるかのような捉え方は、脳神経科学研究を正しく反映したものとは言い難い。

 上で述べたような一般向け言説において見て取れる脳のイメージを、「人間の人格・本質に当たる、単一の実体」と表すことができる(これを本質主義的「脳」イメージとする)。脳神経科学リテラシー教育によって人々の間の本質主義的「脳」イメージを改めることは、脳神経科学に対する誤解や過剰な期待が広まるのを防ぐために重要であると言える。

 だが他方で、本質主義的「脳」イメージは、既に多くの人々にとって、ある種の生活上の実感を語るのにしっくりくる語彙となっており、「脳科学に関する言説」という枠を超えた広い文脈で用いられている。人の性格類型としての「○○脳」(「理系脳」「恋愛脳」…)、あるいは「脳が身体を支配する」といった表現は、前反省的な衝動や気質を効果的に表す比喩として一定の説得力・魅力を持つ。仮に、これらの表現はまともな科学研究と一切関係がないと分かったとしても、なお、人々はこのような「脳」という表現にそれなりの説得力・魅力を感じるのではないか 。

 本質主義的「脳」イメージが用いられる広範な文脈を全てひとくくりにして、「似非脳科学」と称することはできるのだろうか。また、脳神経科学リテラシー教育はそれら全てを根本的に変えようという試みなのだろうか。そもそも、そのようなことが可能なのだろうか。以上のような問題提起を持って本発表の締めくくりとした。

 この問題に関し、コメントを通して得られた示唆は次のようなことである。脳をめぐる言説がもたらしうる問題を考えるに当たっては、個々の言説そのものについて科学/似非科学の区別を行おうとするよりも、言説とそれが置かれた文脈や背景との関係に注目することが求められるのではないか。現在の脳神経科学研究において、それなりに受け入れられている一方で異論も少なくないような一つの学説があるとしよう。それを現在の研究の最先端として紹介する、政策決定において参照する、日常生活における判断のヒントとする、文学的インスピレーションを得る素材とする、等々、それぞれの場面に即して是非や、不適切な取り扱い方、留意すべき事柄が異なってくるであろう。脳をめぐる言説は、今日の社会の中で、多様な場面において登場する。望ましい脳神経科学リテラシーのうちには、場面ごとに相応しい仕方で知識を吟味・活用できる能力も含まれるのではないか。

筒井晴香

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