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【報告】“Historical Trauma, Tenko and Subjective Coherence: Yoshimoto Takaaki’s ‘1945 Complex’” リッキー・カーステン氏講演会

2010.05.10 阿部尚史, セミナー・講演会

2010年4月28日(水曜日)、東京大学駒場キャンパスで、オーストラリア国立大学のリッキー・カーステン教授(日本政治思想史)をお招きして、 “Historical Trauma, Tenko (Apostasy) and Subjective Coherence: Yoshimoto Takaaki’s ‘1945 Complex’”(「歴史的トラウマ、転向と主体性: 吉本隆明の1945年問題」と題するご講演をいただいた。

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カーステン教授は近現代の日本の政治思想史がご専門で、これまでにも丸山真男に関する御著作がある(Democracy in Postwar Japan: Maruyama Masao and the Search for Autonomy. London: Routledge, 1996)。今回は、日本学術振興会の助成をうけ、東大法学部に在外研究として御滞在であり、実は帰国を二日後に控えた時期のご講演であった。

本講演では、主として吉本隆明による、戦後の知識人の「転向」を巡る議論と論争を考察した。カーステン教授は、まず1945年の敗戦が日本の近現代を考える上での断絶となっている点を確認し、吉本隆明の考えを例に、1945年の敗戦と、戦後の知識人の活動をどのように解釈するか、全体を通じて論じた。

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まず戦争は戦後の日本人にとって、重大なトラウマであった。その上で、教授は、昭和の知識人を戦前派、戦中派、戦後派と三分類することの意義を示す。そして、1945年敗戦の「断絶」が、戦後日本を正当化する根拠となっている点を指摘し、戦前、戦中に活躍していた知識人達の、戦後の「転向」にかかわる問題を、主として吉本隆明と視点から論じた。吉本は終戦時、工場労働に動員されており、彼自身が戦前戦中の言論界に関係を持たなかった点が重要であり、彼のこの立場が、高村光太郎、花田清輝ら、戦前派、戦中派知識人に対する戦争責任論を繰り広げる背景となったのは確かであるという。吉本の批判は転向派だけでなく、日本共産党のような非転向派にも及んだ。

カーステン教授によれば、吉本が敗戦を理解するにあたって、戦前戦後を連続性から捉えることはあるいみ不可欠であったとする。つまり、彼は戦争のトラウマを乗り越えるのでなく、自己の中に一体化したのである。ここに主体性の問題がかかわる。そして、敗戦というのは、日本の連続性を考慮するなら、一つの「過程」ともいえるのであったと締めくくった。

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質疑においては、戦前戦後の連続性が強調される一方で、敗戦の断絶も重視されているこの奇妙な両立をどのように捉えるべきかより丁寧な議論が必要ではないかといった提案がなされ、また主体性の捉え方や、吉本の「知識人」像を問うなど、議論は発展し、大変実りのあるものであった。

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今年は戦後65年を迎える。しかし、現在、沖縄の基地が問題となっているように、太平洋戦争を完全に過去のものとすることも出来ない。こうした中で、知識人と戦争、そして戦後の転向という極めて普遍性のあるテーマでの貴重なお話しであった。カーステン教授のお話しは明快であったが、そこに潜む議論の難しさは、そのまま戦争と知識人の関係という問題の難しさを反映しているようにも思えた。

文責:阿部尚史 (UTCP特任研究員)

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