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UTCP新規プログラム「精神分析と欲望のエステティクス」

2010.04.09 原和之, └イベント, 柵瀨宏平, 精神分析と欲望のエステティクス

 今年度より新中期教育プログラム「精神分析と欲望のエステティクス」(事業担当推進者・原和之准教授)が発足するにあたり、同プログラムではそのキックオフイベントとして、ブラジル・サンパウロ大学のウラジミール・サファトル准教授に二回にわたって講演していただいた。今回はその第二回目、「非人間的なものの政治的力について」と題されたこの講演会においてサファトル氏は、ラカンが『アンティゴネ』読解を通じて展開した人間主義の精神分析的批判について詳細な分析を行った。

 氏はまず、1960年代のフランス思想にあって、デリダやドゥルーズ、フーコーといった論者たちが展開した人間主義批判の重要性を強調し、そこから出発して主体の理論を考え直す必要があると論じる。こうした人間主義批判は、しばしば指摘されるように、破壊的暴力や破局につながるものではない。むしろそれは、既存の人間のイメージから解き放たれた人間性の存在を示唆することで、政治や道徳を再編成する可能性をもたらすものなのだ。それでは、既存の人間のイメージとはいかなるものなのだろうか。
 サファトル氏は、近代哲学において人間の人間性を規定してきたのは、自律性(l’autonomie)、真正性(l’authenticité)、統一性 (l’unité)という三つの属性であったと指摘する。ところでこれら三者はみな、キリスト教的文脈において神的存在の属性とされてきたものだった。つまり、人間主義とはつねに「他の手段による神学の継続」だったのである。

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 しかしそのように言うだけでは、近代における人間主義の特性を十分に規定したことにはならないと氏は述べる。そこで氏が提示するのが、思考の体制としての人間とは、すぐれて治療的な企図であるという仮説である。ここで言う治療とは、生にある種の正常性を課し、その規範から逸脱させうるあらゆるものに抗して生を強化することを試みる手続きの総体を意味する。氏はヘーゲルを援用しながら、人間の人間性という公準は、自己を解体へと導くような非規定性に対する治療の約束として登場したのだと主張するのである。
しかしこうした人間性の公準は、われわれの経験の可能性を著しく狭めるとともに、そうした基準を満たさないものに対する暴力を引き起こすという可能性をも孕んでいるのではないだろうか。そこでサファトル氏が積極的に評価するのが、非人間的なもの(l’inhumain)である。人間に内在する限界である非人間的なものは、人間性を規定する三つの属性を解体するものなのだ。非人間的なものは、人間的なものの規定された形態を侵食する力であるかぎりにおいて、主体がもはや人間という規範的な形態の奴隷とならないための条件をなしているのだ。

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 こうした論点をより具体的に論証するためにサファトル氏は、ラカンによる『アンティゴネ』読解の分析に着手する。なぜならラカンは、この悲劇を読解するにあたり、非人間的なものと対峙という問題を中心に据えることで、先鋭な人間主義批判を展開していたからである。氏はまず、ヘーゲルが『精神現象学』において提示した『アンティゴネ』読解を紹介し、ヘーゲルによる読解がラカンの『アンティゴネ』解釈に強い影響を及ぼしていることを指摘する。それではラカンによる読解の特性とは何だろうか。そこで氏が提示するのが、ラカンはアンティゴネを通じて、対象との病理的な紐帯という他律性が、効力を持つ普遍的要請を表現しうるような、合理的熟慮のモデルを考えようとしたのだという解釈である。この悲劇を通じてアンティゴネは、兄であるポリュネイケスの埋葬に執着するのだが、まさにこうした単独的な対象との病理的な紐帯ゆえに、彼女は普遍的なものを実効化させたのだ。こうしたアンティゴネを、ラカンが非人間的な存在として位置づけていたことに注意しよう。非人間的なものを放逐することにより自らを維持するクレオンの掟に抗して、アンティゴネは非人間的なものという境涯へと追いやられた兄との紐帯を執拗に維持することで、既存の人間性という規範を揺るがせ、非人間的なものを実現する主体となるのだ。
 ところでわれわれはこうしたアンティゴネの非人間性が、ある新たな人間性の形象を示唆しているということに注意を払わなければならない。つまり、もはや人間のイメージに訴えない人間性の形象である。こうした形象は、われわれ自身の生の形態を支える秩序を問いに付す非規範性に対して常に開かれたものである。来るべき人間性の約束としてのアンティゴネは、人間が非人間的なもののうちに新たな承認の可能性を見出すという、すぐれて政治的な空間を開示するのだ。

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 以上のような議論が提示されたあと、質疑応答となった。司会を務めた原和之准教授からは、人間性という公準は、ラカン的な意味における「想像的なもの」だとはいえないか、またサファトル氏が提起した治療的な企図しての人間というアイデアを、恐怖症的なメカニズムと関連づけて理解することはできないかという指摘がなされた。この指摘に対してサファトル氏は賛意を示したのだが、回答の過程で、氏が規範性と非規範性という問題を考察するにあたり、ジョルジュ・カンギレムに大きく依拠していることが明かされたことが印象的だった。非規範性の重要性を強調しつつも、規範性の創造的な価値を積極的に評価するカンギレムの思索に対してサファトル氏がいかに切り結ぶのか、今後大いに注目していきたい。
 今回の講演会は、講演、質疑応答含め、基本的にフランス語で行われたにもかかわらず、多くの聴衆を得て、活発な議論が交わされた。とりわけ、会場からも多くの示唆に富む質問、コメントがなされたことを付記しておきたい。本プログラムでは4月以降、精神分析家、精神科医をはじめとする臨床家をお招きし、哲学とプシュケーをめぐる諸科学を架橋することを企図している。みなさまには引き続き積極的な参加をお願いしたい。
(文責:柵瀬宏平)

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