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【滞在報告】2009年夏イラン滞在雑感

2009.09.29 阿部尚史

この夏期休暇、8月3日から9月9日(10日成田着)まで、富士ゼロックス小林フェローシップの助成を受けて、資料調査を目的として、イランのテヘラン市、タブリーズ市に滞在しました。帰国後既に20日ほど経過しましたが、この滞在に中に体験した、また見聞きしたイランの現況について、簡単な報告を行いたいと思います。

 イランといえば、6月12日に行われた大統領選挙後の混乱が、一時期日本でも伝えられたことを記憶されている方もいるかと思います。ただ、日本ではこの問題についての報道は現在ほとんど聞かなくなり、過去のことになりつつありますが、イランではまだまだ現在も継続している問題です。

1:イラン渡航前
 まず、今回のイランに向かうに際して、なかなかヴィザが下りない、という問題に直面しました。イランで調査を行うためには、入国ヴィザが必要です。ヴィザ発行には、イランにある大学等の研究機関に受け入れてもらい、招待状を発行してもらい、それを科学技術省におくり、同省からヴィザ発行要請の書類を発行して貰い、それを外務省に送ってもらい、同省で許可が下りたのち、在京大使館に命令が下り、入国ヴィザが発行されるという手続きを要します。今回は5月に既に申請をしておりましたが、6月になってもヴィザが発給されず、イランにいる友人に問い合わせて貰ったら外務省で書類が紛失したことが判明しました。今回の件には、6月の大統領選挙の影響を感じざるを得ません。結局色々手を回し、在京大使館の担当官の配慮の結果ようやくヴィザは発行され、無事にイランに向かうことが出来ました。

2:テヘランに到着して
 首都テヘラン自体は、既に抗議運動は鎮圧され、一見すると平穏な通常の生活が戻っていました。ただ、よく見ると、街の中心部には常に警官が配置され、特に礼拝のある金曜日には、私が留学中には見たことのないほどの大量の警官が配置されていました(写真を撮りたかったのですが、こうした行動が見つかったら途端に逮捕されるのが目に見えているのであきらめました)。

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(写真1)一見平穏なテヘラン。テヘラン大学の前にて。


3:「改革派新聞」発禁事件など
新聞では毎日、選挙後の混乱関係の話題が載せられていました。8月はじめイランに向かったときに話題になっていたのは、今回の混乱を煽動したとして逮捕されていた政治犯の公開裁判です。アフマディーネジャード大統領に批判的な政治家や思想家、文化人が、混乱の乗じて大量に逮捕されました。見せしめのように行われていたこの公開裁判の模様が新聞をにぎわせていました。
イランでは政府よりの新聞を「保守派新聞」と政府に対して批判的な新聞を「改革派新聞」と呼びます。この改革派か保守派によって、新聞の記事に大きな違いがあります。
 私が滞在中も、改革派の新聞の中でも特に政府に対して批判的であった「国民信頼」という新聞が発禁になりました。発禁直前の数日同新聞を購読していましたが、例えばトップの記事は「アフマディーネジャード大統領に従うことは神に従うことである」という刺激的なタイトルでした。この言葉は、保守派の重鎮が講演に際して発言したことに基づくものです。ただし、「国民信頼」紙が、これを「異常な発言」として喧伝する意図が明確でした。
 こうした連日の政府批判が原因となり、国民信頼紙は突然発禁に追い込まれました。
また帰国直前に話題になっていたのは、シャフィー=キャトキャニーというイランを代表するペルシャ文学研究者・テヘラン大学教授がアメリカに渡航することでした。シャフィー教授の出国がアメリカに帰化することが目的なのか(つまり、現政権批判を目的としてアメリカに亡命したのか)、それとも単なる在外研究なのか、「改革派新聞」は競って記事にしていました。

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(写真2):現在発禁になった「国民信頼」紙より。「アフマディーネジャード大統領に従うことは神に従うこと」という見出しとその横に、「アフマディーネジャードは400万票しか獲得しなかった」という見出し(公式には約2460万票獲得したことになっています)


4:図書館・公文書館「工事」
今回の滞在でもっとも困ったのは、図書館、公文書館が工事を名目として十分利用が出来なかったことです。テヘラン大学は貴重な写本資料を多数保有していることで知られています。私がテヘランに到着し、早速翌日テヘラン大学を訪問したのですが、図書館が工事中なのには驚きました。イランに滞在する他の留学生の話では、6月12日の選挙後、イランでは国立大学の試験期間を秋に回して、速やかに夏休みとしました。さらに、この夏期休暇を口実に、テヘラン大は図書館の修繕工事を始めました。近年の政府批判活動の発火点は、多くの場合大学でした。10年前にもテヘラン大で反政府的な学生運動が起こったことからもそのことが知ることが出来ます。従って、当局は、大学図書館を事実上閉鎖し、学生が大学に集まる口実をなくしたことはほぼ間違いないでしょう。
 また私が8月上旬公文書館を訪問した際、閲覧室は改装工事を行っており、9月はじめまで、実際の利用は出来ませんでした。ここでも研究者や学生が利用できる環境をなくすことが疑われました。こうした一連の当局の措置で、困ったことに私の調査も思った以上に影響を受けました。
 何でも政治に結びつけるのはイラン人の悪い癖ですが、今回の研究機関の閉鎖は、どうしても政治状況の影響を疑わざるを得ないタイミングでした。

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(写真3)改装前の国立公文書館の閲覧室


5:今回の混乱に対するイラン人の感想・体験談
イラン滞在中、知人に会うとみな、口をそろえてこの問題を話題にする、ということは必ずしもありませんでした。イラン人は基本的に保守的で慎重なところがあります。ある知人は、この件について人と話さない方が良いとさえ言いました。むろん、個人宅や個人事務所などでは、抗議運動を撮った動画など喜んで見せてくれましたが。
 驚くほど多くの知人が、抗議運動に参加していました。私が知っている限り政治運動に熱心でもなく、また政府機関で働いている人でさえ、積極的に参加していたのには驚きました。
選挙後の混乱について、大学院生の友人と話した際、非常に印象的だったのは、一連の抗議運動に、国民の多くが参加し、今まで政治から距離を取ることの多かった者まで一種の高揚感を共有し、同胞意識を強く持ったと言うことでした。またこの友人の話では、アフマディーネジャード大統領支持かムーサヴィー元首相(今回の選挙での対立候補)支持かで、友人、家族親族関係にまで亀裂が入った例が数多くあるとのことで、現在も深刻な傷跡を残しているそうです。
私の接する人間はごく一部に過ぎませんし、数人から聞いた話で全体像を語ることも出来ませんが、一見平和に見えたテヘランでもまだまだ火種がくすぶっているのは肌で感じられました。実際、私が帰国したあと、「エルサレムの日」とイランで名づけられたラマダーン月最終金曜日9月18日に、イラン各地で大規模なデモが起こったそうです。

6:友人の友人ならぬ、先生の姪
数ヶ月前、日本在住のイラン人女性シリン・ネザマフィ(現地音により近く発音するとシーリーン・ネザームマーフィー)さんが、文学界新人賞を受賞したことを覚えている方もいるかも知れません(8月に文芸春秋社から単行本が刊行されたようです。シリン・ネザマフィ『白い神/サラム』)。
ちなみに私の先生はマンスーレ・エッテハーディーエ(ネザームマーフィー)という、私が研究するカージャール朝時代の王家出身の研究者で、ご本人は19世紀後半テヘランの社会史・女性史の専門家です。シーリーンさんの経歴を新聞で見たとき、間違いなく私のイランでの先生の姪に違いないと確信しました。私がテヘラン留学中に、先生の姪御さんが日本に留学し、電子工学を勉強して、日本に就職したことを聞いていたからです。今回のテヘラン滞在でも先生に会い、このことを持ち出すと、大変嬉しそうに話してくれました。現在シーリーンさんは日本を離れ、ドバイのパナソニック支社に勤務しているそうです。

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(写真4)エッテハーディーエ=ネザームマーフィー教授とその孫達


最後に
ここ数日も、イランを巡って、新しい核開発施設の問題やミサイル発射実験など、国際社会を緊迫させることが相次いでいます。今後もまだまだイラン情勢は内外ともに落ち着かない日々が続きそうです。

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(写真5)イランを代表する世界遺産、エスファハーンの「エマームのモスク」。以前の滞在時に撮った写真です。(決して、今回は遊びに行ったわけではありません!)

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