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【報告】第3回こまば脳カフェ

2009.08.05 └こまば脳カフェ, └こまば脳カフェ報告, 朴嵩哲, 脳科学と倫理, 科学技術と社会

第3回の脳カフェは道徳的感情などの研究をしている高橋英彦さん (放射線医学総合研究所)をゲストに迎えて行われた。高橋さんは、研究のきっかけから始め、さらに具体的な研究内容についてデータと面白いエピソードを織り交ぜて話をされた。

以下に、高橋さんの話、ディスカッション、私の感想の順に書いていきたい。

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高橋さんの話
〈研究のきっかけ〉
まず道徳的感情を研究し始めたのは、前頭側頭型アルツハイマーの患者さんを見て衝撃を受けたことがきっかけだった。その患者さんはもともと紳士的で冷静だったのに、非常に粗暴になってしまった。前頭側頭型アルツハイマーは、記憶力などの知性は正常に保たれるが、罪責感や羞恥心などの道徳的感情を欠如するため、この患者さんのように粗暴になることや、万引きのような犯罪行為に及ぶこともあるという。

〈道徳的に善い行動を見たときの感情〉
道徳の欠如の研究がたくさん行われてきた一方で、「賞賛」などの道徳的卓越についての研究はあまりなされてこなかった。マザーテレサのような道徳的に優れた行動を見ると賞賛の気持ちを抱くが、そのとき前頭葉の特に眼窩前頭野が賦活する。この部位は美しいものを見たときにも活動するため、「道徳的善さ」と「美」は類似したメカニズムによって認識されていると考えられる。

〈ねたみ〉
ねたみは慎むのは洋の東西を問わない。哲学者のラッセルは、ねたむことは最も不幸なことだと述べている。自分の持っているものから喜びを引き出すのではなく、他人の持っているものから苦痛を引き出すからである。
ねたみは、自分とよく似たものとの比較によって生み出される。自分自身と相手が、性別、職業や専攻などの属性が重なり合う場合、関心のある領域で優れた人を見るとねたみを感じやすいということが確かめられている。

〈シャーデンフロイデ〉
「他人の不幸は蜜の味」というように、ねたみの対象となるような優れた人が失敗したときに、「気の毒」と「ざまみろ」の両方の感情を抱くが、それをドイツ語ではシャーデンフロイデと呼ぶ。日本語や英語で対応する単語が無いのは、慎むべき感情だからかもしれない。

〈ねたみは犯罪を引き起こす可能性がある〉
元理容師が男性の背広を切り裂いた事件があったが、これは理容師だからこそファッションに執着しており、いい服を着ていた人に対してねたみを感じていたと説明できる。また、秋葉原の無差別殺人事件の犯人は、他者との接点が少なく、関係のある人を重み付けして選択することがなかったので、全ての人に向けてねたみを抱いてしまい、無差別殺人に至ったのかもしれない。
このように、自分の関心とどれだけ重なるかということが、ねたみを抱くかどうかの重要な基準となっている。

〈f-MRIによる研究〉
f-MRI(機能的磁気共鳴画像)による研究によると、被験者がねたみを感じているとき、前部帯状回が活動することが分かった。これは身体的な痛みの際に反応する部位として知られている部位である。他方、被験者が「ざまみろ」と感じているときは、線条体が活動した。線条体は報酬系として知られ、うれしいときに活動する部位である。「他人の不幸は蜜の味」という古い言い回しを確かめる結果となった。

〈ねたみを減らすには〉
ねたみは悪いことばかりではない。ねたみを減らすように適切に努力することができる。
一つのやり方として相手との差を縮める方法がある。ここで、ねたみを相手の足を引っ張るのではなく、自分の能力を高めるモチベーションとして利用できるだろう。
ねたみを減らす別のやり方として、相手との活動や関心の重なりをなくしていく方法もある。ねたみは新しい活動の可能性を切り開いていくモチベーションにもなる。


ディスカッション
さまざまな議論がなされた。いくつかを紹介しよう。(これが議論の全てではないし、議論の順序や内容は再構成されていることに注意されたい)

〈概念的問題〉
「ねたましい」と「うらやましい」、「すごいな」の違いは何だろうか?
「あいつはすごい」と感じるときは、自分と相手が重ならない場合である。しかし、重なるかどうかだけでは、「ねたみ」と「うらやみ」は区別できないだろう。この二つは現象的にも区別することが難しい。また、jealousy(やきもち)とenvy(ねたみ)は、三者関係か二者関係かで区別できる。

〈司法による脳科学的診断の利用の可能性〉
脳の器質的特徴と犯罪傾向とのつながりが明らかになるとしたら、脳を計測することで犯罪傾向の高い人を特定し、免責するべきか?しかし、器質的特徴が犯罪に必ず結びつくとは言い切れず、また、病気だから裁判を免除するというのも差別かもしれないので、脳による診断は司法の場で利用されないだろう。

〈犯罪者の矯正の可能性〉
脳の器質的特徴により犯罪傾向のある人の矯正の可能性はあるのだろうか?精神科リハビリテーションでは、精神科的介入によってじっさい脳と行動に変化があることが知られている。ただ、モラル認知に関しての(実際の犯罪者を被験者とした)矯正の可能性についての研究はやりにくく、ほとんどなされていない。犯罪者の人権・倫理の問題があるためである。

〈ねたみをコントロールするには?〉
ねたみを生じるのは、ある意味で仕方が無いことである。問題は、生じたねたみをいかにしてコントロールするかである。たとえば、疼痛性障害(薬ではどうにもならない強い痛み)を自分の前部帯状回の活動を見ながら試行錯誤すると制御できるようになる。同様に、自分の脳の活動をモニターしながら試行錯誤することを通じてねたみをコントロールできるようになるかもしれない。また、感情をコントロールする前頭前野を教育することによって、こういう場合はこう振舞うべきだというルールへと従うことができるようになる。

〈道徳的判断のモデル〉
道徳的判断のモデルについて神経科学者は二通りの考え方をしている。
(1) 感情が先にあり、後付けで合理的考えて正当化を行う。
(2) 合理的に考え、感情はそれに付随する。
一つのモデルでは説明しきれないが、最近では、道徳的判断のさいに情動に関係する脳部位が中心に活動するので、理詰めでない①の方式で善悪を判断しているのだと考える学者が増えている。

〈ねたみの男女差〉
脳科学的なデータがほとんど無く、まだわからない。ただ、心理学における先行研究によれば男性のほうがねたみやすく処罰感情も強いのだという。

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朴の感想
高橋さん自身も(おそらく謙遜を込めて)述べているが、高橋さんが紹介された研究は、「ねたみ」や「ざまみろ」といった感情は、「他者との比較によって生じる」という、私たちの古くからある直観を確認する結果となっている。質的記述の面では、確かにそのとおりだろう。しかし、量的記述、すなわち「どの程度の差でどの程度のねたみを生じるか」といった問題や、そうした感情の脳における基盤が、脳科学的な研究によってはじめて明らかになるため、決して当たり前の知識の再確認ではない。じっさい、今回議論になったように、そうした脳についての情報が、犯罪者や一般の人々の行動の制御に利用される可能性がある。脳についての情報は、「ねたみ」をコントロールして犯罪を抑止することを可能にするという良い結果を生み出すかもしれないが、誤解や悪用の可能性もある。また個々には善意で利用していても、結果的に大きな社会悪を生み出す可能性がある。脳についての情報が大量に生み出されつつある今、科学者と一般市民がその情報をできるだけ共有し、その利用をめぐって議論することがとても重要になるだろう。

朴嵩哲 (UTCP若手研究員)

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