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【発足】 短期教育プログラム 「ファンタジーの再検討」

2009.08.16 └ファンタジーの再検討, 千葉雅也, 中尾麻伊香, 宇野瑞木, 短期教育プログラム

UTCP短期教育プログラム 「ファンタジーの再検討」(主催:千葉雅也、中尾麻伊香、宇野瑞木)が発足しました。趣旨説明文を掲載しておきます。

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UTCP短期教育プログラム 「ファンタジーの再検討」
(主催:千葉雅也、中尾麻伊香、宇野瑞木)

「ファンタジー」――そこから想起されるのは、想像力、空想、夢といった未だ定義し尽くせない領域と関わる何かである。従来、文学ジャンルの研究においては、まったき「外」の世界を仮設する想像力とその産物そのものを指すFantasy(英)やPhantasie(独)、あるいは近代以降の合理化された日常世界に超自然的存在が亀裂や揺らぎを生じさせるような機能を特徴とするFantastique(仏)などの諸定義がなれてきた。

その一方で、哲学的言説においても、ファンタジー的な何かは、論理的合理的文脈とは別の仕方で一種の哲学的次元を貫く力として機能してきたとは言えないだろうか。この場合、ファンタジーはジャンルではなく方法の一種である。今、私たちは「胡蝶の夢」(荘子)から「電気羊の夢」(フィリップ・K・ディック)へと至る、人間という夢の朧なる消息の途上にある。この夢を真摯に迷いなおすためには、リアリティに対峙して批判の距離を生み出す「虚構」(fiction)とも、リアリティの基底を溶かし脱構築する「不気味さ」(unheimlich)の「幻想」とも違う「ファンタジー」の概念をあらたに磨きあげなければならない。

本プログラムでは、ツヴェタン・トドロフらの幻想文学論から出発しつつ、西洋近代性に捕縛された狭義のファンタジーを相対化した上で、カトリーヌ・マラブーによる「ファンタスティックな存在論」などを導きとしたファンタジーとしての哲学を問う。そして、東アジア的ファンタジーの古き水脈と、ポストモダンおよびポストヒューマンの想像力とを通底させる超域的各論へと向かっていく予定である。

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