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「ファンタジーの再検討」研究会第1-2回報告

2009.08.16 └ファンタジーの再検討, 中尾麻伊香, 宇野瑞木

UTCP短期教育プログラム「ファンタジーの再検討」の第1回および第2回の研究会の報告を掲載しておきます。

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6月30日 第1回
宇野瑞木(UTCP)「「幻想文学」研究の見取り図――「ファンタジー」研究の前提として」

宇野はジャン=リュック・スタインメッツ著、中島さおり訳『幻想文学』(クセジュ文庫、白水社、1993年;Jean-Luc Steinmetz, La littérature fantastique, PUF)およびツヴェタン・トドロフ著、三好郁朗訳『幻想文学論序説』(創元ライブラリ、1999年;Tzvetan Todorov, Introduction à la littérature fantastique, Editions du Seuil, 1970)を中心的に参照しながら、「幻想文学」の研究史とその見取り図を確認した。

1960年代以降、文学研究において「幻想文学」というジャンルが注目を集めたが、その画期となったトドロフを含めたフランス系の理論家たちは、近代以降の合理化された現実世界に超現実的なものが進入して亀裂が生じ、合理・非合理の葛藤を通じて生じる決定不可能性(ためらい、不確実さ、多義性)を「幻想」(fantastique)の主要な機能とみなした。いわば「ポストモダン的メタフィクション」を幻想文学の主流と考える傾向が強く、その典型に据えられるのはホフマンやポーであった。これに対して、英米の理論家たちは、トールキンのような現実とは異質のファンタジー世界を想像することを幻想文学の主流と考える傾向にあるといえる(この場合は、「fantasy」)。このように、「幻想文学」の作品の系譜的把握も含めて欧米におけるジャンル研究を俯瞰的にマッピングした上で、「幻想」の語源、さらには日本語における訳語の問題を扱った。日本語の「幻想」は、明治から大正にかけて「fantasy」に類する外国語の訳語として出現したのではないかとも言われている。日本では1960年代後半に「幻想文学」という呼称が登場し、70年代半ばまでに定着をみることになるが、当時「幻想文学」としてアンソロジー等に採択された作品の多くは、それまで一部の好事家のものであった伝綺や怪異譚であった。その後、ジャンルの規定や概念の把握が試みられたものの、統一見解は未だなく、フランスの「幻想文学」に比べてかなり緩やかなものになっている。

討議においては、以上を踏まえて、今「ファンタジー」にいかなる概念的規定を設けることが有効かという点が中心的に議論された。その際、「フィクション」と「ファンタジー」の違い、中国古代の志怪・伝奇小説、さらには『荘子』に代表されるような逸話・寓話の系譜の古さをどのように理解するべきか、といった問題が提起された。
(以上、文責:宇野瑞木)


7月28日 第2回
この日はサイエンス・フィクションとファンタジーの境界について中尾麻伊香が、ファンタジーの語源について星野太がそれぞれ報告を行った。

中尾麻伊香(UTCP)は、ジャック・サドゥール、エリック・ラブキン、ダルコ・スーヴィン、巽孝之、笠井潔らを参照しながら、SFの歴史と定義、ファンタジーとの境界を検討した。ジャンルとしてのSFは1926年に創刊された『アメージング・ストーリーズ』誌とともに立ち上がる。ハイ・カルチャーに対するロー・カルチャーとしてスタートしたSFは、20世紀という時代の大きな潮流と連動して発展・変遷しながら、批判的言説を紡ぎだしてきた。たとえば世界恐慌後の1930年代にはSF作品のなかで労働者の搾取などへの告発がなされる。原爆投下と冷戦の幕開け、核戦争の恐怖が現実のものとなった1939年から1949年にかけてSFは黄金期を迎える。1950年代になるとSF雑誌はマッカーシー主義の時期において表現の自由を尊重する数少ないメディアとして機能した。1960年代から70年代にかけて世界的に広がっていた反体制運動はSFに大きな転換を迫った。SF(サイエンス・フィクション)からSF(スペキュラティブ・フィクション)への転換が提唱されたように、SFの科学離れが起こる(「ニュー・ウェーブ運動」)。

SFとファンタジーのあいだに明確な境界線をひくことは難しいが、ここでSFが転換をせまられた同時期に、ファンタジーがブームを迎えるという大きな流れが確認された。SFとファンタジーをめぐっては、SFが実現可能な(合理的説明の及ぶ)世界を描くことに対してファンタジーは現実世界の秩序を踏襲していない世界を描くという見解があるが、笠井潔によれば1970年代に爆発的な人気を呼んだファンタジーは「妖精物語」に対して自立した異質の世界をワンセットそのままに想像する「ハイ・ファンタジー」であった。ハイ・ファンタジーは近代以降の幻想と現実との分裂を「幻想の現実化」によって解決したという。発表においてはこのように、SFとファンタジーを歴史的文脈から検討した。

討議においては、ハイ・ファンタジーの評価をめぐる問題から、科学技術の進展とSFの主題の変遷、日本のアニメやマンガの特有性に至るまで、さまざまな議論がなされた。なかでもSFともファンタジーとも言い切れない「サイエンス・ファンタジー」というべき領域が改めて注目され、映画や文学作品のなかで「近代科学」の溶解するポイント、あるいは「魔法」と「科学」の境界を検討することの意義が確認された。(以上、文責:中尾麻伊香)

星野太(東京大学博士課程)は「ファンタジーの源流――パンタシアーからイマギナツィオへ」と題し、fantasyという概念の起源を主にギリシア語、ラテン語の文献に即しつつ概説した。本発表ではまず、プラトン、アリストテレス、初期ストア派におけるphantasiaという概念の用法を検討した上で、その語源が精神に対する何らかの像の「現われ」であるという点を強調した。その後、ラテン語におけるimaginatioという訳語や、中世のキリスト教思想における「表象像」の理論を経由しつつ、近代においてこれらの用語がたどった変遷の概略を提示した。たとえば15世紀以降のイギリスでは、fantasy (fancy)とimaginationという二つの概念はそれぞれ異なる意味合いをもつ用語として区別されるようになる。さらに本発表は、近代フランスにおけるfantaisie(英語のfantasyに相当)という用語が、imaginationに比べて議論されることが相対的に少なかったという事実を踏まえながら、近年のフランスにおいてphantasia概念の再検討を試みる二、三の例を示すことによって論を閉じた。

本発表は、上記のような西洋諸言語における「ファンタジー」の語源を確認することをその主眼としていたが、それを踏まえた後の議論においては、主に次の二点が問題となった。まず、日本語における「空想」と「幻想」の相違をいかに規定するか、という問題。この両者は、ある部分において重なる言葉ではあるものの、それが個人的なものか集団的なものか、狂気の自覚があるか否か、などのいくつかの次元において相違もまた存在する。これらの言葉の成立、ひいては西洋諸言語におけるhallucination、illusionといった言葉についても、その語源を確認しておく必要があるのではないか、という意見も提出された。討議において指摘された第二の問題とは、ギリシア語のphantasiaがもつ中動的な性格である。元々「現れる」という動詞の名詞形として用いられはじめたphantasiaは、本来的に能動的でも受動的でもない、あるいはそのどちらとも解釈しうる言葉である。つまり、ある時にはそれは意志的な表象像となり、またある時には非意志的な心像の出現となる。Phantasiaが本来的にもつこの中動的な性格に着目することで、fictionなどとは異なるfantasyの独自性を打ち出すことができるのではないか、という点が第二の論点であった。(以上、文責:星野太)

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