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「脳カフェ」の試み——人文学にとって現場とは何か

2009.08.02 └こまば脳カフェ, └こまば脳カフェ報告, 中澤栄輔, 中尾麻伊香, 西山雄二, 科学技術と社会

脳科学の知見を社会に開放し、自由に議論できる場を設けようと、本年4月から「脳カフェ」が開始され、すでに3回を数えている。発起人であるUTCP研究員の中尾麻伊香さんに「脳カフェ」の成果と可能性をうかがった。

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科学の専門的知識を社会のなかで議論する場として、すでに「サイエンス・カフェ」が各地で試みられている。また、哲学思想系の「哲学カフェ」も草の根的に実施されている。一見、「脳カフェ」という命名は、「脳科学」という特定の専門分野に対象を限定しているかのように聞こえる。しかし、中尾さんが目指すのは、逆に、脳科学を中心とするカフェを開催することで、「サイエンス」と「哲学」を、つまり、知の実証性と思弁性を架橋する地点(例えば、脳神経倫理など)を幅広く開くことである。

「脳カフェ」では、大学の教室やセミナー室とは異なる場所で、飲食しながら気軽に議論できる場づくりが重視される。これまでの3回では、場所や状況を変えながら、「脳科学を議論するための現場をいかにしてつくり出せばよいのか」が模索されてきたし、今後も試行錯誤されることだろう。

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[第1回@初年次活動センター]

第1回目「しなやかな脳、柔軟な社会」は初年次活動センターで実施され、45名ほどが集まった。狭い部屋だったので、独特の親密感のなかで議論が交わされた。第2回目「記憶を取り戻す!? 食べて治す認知症」は、学内の軽食レストラン「イタリアン・トマト」で実施され、30名ほどが集った。実際のカフェでたしかにおこなわれたわけだが、しかし、プロジェクターやマイクを準備することで、逆説的にも、カフェが教室化してしまうという逆効果も生じたようだ。実は「本物のカフェ」がそのままで「公共的なカフェ」であるわけではなく、そこで知的交流を成立させるためには適切な工夫が必要なのである。

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[第2回@イタリアントマト]

第3回目「道徳って何?―脳科学が明らかにする道徳的認知のメカニズム」は、18号館4階の多目的オープン・スペースで実施され、40名ほどが参加した。たしかにこのスペースはセミナー室の一角にあって、一般の人間がふらっと立ち寄るような場所にはないので、クローズドな雰囲気だった。しかし、机と椅子を自由に配置することで、リラックスした議論のできる空間設営に成功した。

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[第3回@18号館4階オープン・スペース]

こうした現場づくりには数々の工夫が凝らされている——マイクを使用すると発言者の特権性が生まれてしまうので、地声で誰もが好きな時に発言できるようにすること。それゆえ、マイクなしで声が届くような小さな空間を用意し、場の一体感が損なわれないようにすること。大学院生が特権的な司会ではなく、ファシリテーター(促進者)として運営・進行を務めることで、院生各人の参加意識を向上させ、現場経験を豊かにしてもらうこと。「知識のある専門家」と「一般の非専門家」という非対称的な二分法ではなく、「すべての人が何らかの専門家である」という前提で相互的な知的対話を重視すること。それゆえ、専門家に「先生」として噛み砕いた話をしてもらうのではなく、各人の立場から気軽に議論できる場づくりを心掛けること。これまでは大学内の施設でカフェを臨時につくってきたけれども、今後は街中のカフェで実施してみること……等々。

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「脳カフェ」の試みにおいては、「カフェ」という場の規定性を前面に出すことで、従来のセミナーや講演会のスタイルとは異なる知の公共性が目指される。しかし、そもそも、日本において「カフェ」とは何だろうか。

17世紀半ば以来、イギリスではコーヒーハウスが、フランスではカフェが人々に自由な交流と談話の機会を与えた。クラブやサロンが同じ階級の閉鎖的な空間であるのに対して、コーヒーハウスやカフェでは安価な値段で身分の異なる人々が言葉を交わした。世論を形成する「私設議会」ともなったコーヒーハウスは謀略とデマの危険な温床であるとされ、17世紀にはイギリス政府がコーヒーハウスを閉鎖したこともあった。コーヒーハウスやカフェがもたらした市民的公共性は、ときに過激な政治談議を許容し市民革命の源泉となり、文人や芸術家の交流を促して新たな文化を生み出す力となったのだった(スティーヴ・ブラッドショー『カフェの文化史』、臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』など参照)。

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〔1868年創業のウィーンの老舗「カフェ・ツェントラル(Café Central)」。高い天井と壮美な円柱がベル・エポックの雰囲気を伝える印象的なカフェ。フロイト、ホフマンスタール、シュニッツラー、クリムト、シーレ、トロツキーなど、作家、詩人、画家、思想家、革命家たちの知的故郷。亡命したトロツキーはこのカフェでオーストリアの社会主義者たちと交流しており、革命はこのカフェから着火されたとさえ言われている。〕

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〔1885年創業のパリのカフェ「レ・ドゥ・マゴ(Les Deux Magots)」。ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメが利用し、ピカソ、ヘミングウェイ、サルトルやボーヴォワールらが交流した伝説的なカフェ。シュルレアリズムと実存主義の興隆を促進した文化的な磁場であり、1933年には「レ・ドゥ・マゴ文学賞」も設立しているほど。〕

歴史的にみて、ヨーロッパのように、文士や芸術家が集い、談論風発する公共空間として現在の日本のカフェが機能しているだろうか。むしろ居酒屋において、あるいは、鍋料理を囲むことで、真摯な内容にしろ取りとめのない内容にしろ、議論が円滑に交わされるのではないだろうか。そして、そうした自由な議論の場と大学のアカデミズムの場はいかなる関係にあるのだろうか。ただたんに「飲食できるから自由で気軽」というわけではないだろう。

「大学を社会に開く」「アカデミズムの成果を一般の人々に還元する」「専門的な知識を人々に伝達する」——大学と社会、アカデミズムと在野、専門と非専門といった区別を前提として議論するだけでなく、さらに重要なことは、両者のあいだを結ぶ交渉の場をいかに構想し実践するのか、である。

(文責:西山雄二 取材協力:中澤栄輔)

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