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「世俗化・宗教・国家」セッション4

2009.06.03 羽田正, 世俗化・宗教・国家

6月1日、「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」第4回セミナーが行われた。

今回は、ヨーロッパ班の水林窓花(総合文化研究科修士課程)と小田頼子(教育学研究科修士課程)が担当し、以下の文献を紹介し、検討した。
・工藤庸子『宗教v.s. 国家—フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書1874(東京:講談社, 2007年).(同書は昨年度も取り上げられた)
・レジス・ドゥブレ「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」(水林章訳)樋口陽一他編『思想としての〈共和国〉:日本のデモクラシーのために』(東京: みすず書房, 2006)

工藤の作品は、著者の得意とする文学を積極的に用いて、啓蒙主義知識人の信仰と教会との乖離を論じ、その後、修道会が教育の場から排除されたことを中心に述べ、19-20世紀のフランスにおける政教分離の過程を説明しようとする刺激的な作品である。
報告担当の水林は、本書の狙いを、1. カトリックを国教としていた国が、宗教から解放されていくときに何が生じるかを描き出すこと、2. カトリック教会と共和主義の戦いから次第に姿を現す「市民的な価値」とはどのようなものであったか再構成すること、と概括した。そのうえで、本演習の趣旨と関連させて、以下の点に注目し、本書を論じた。
1.第三共和制以前に既に、教会権力と世俗の国家権力の力関係が徐々に逆転し、国家が教会を管理するようになった、という意味での「世俗化」が存在する。
2.一方、第三共和制以降、法的な枠組みの中で捉えられていた「ライシテ」はどのようなもので、それ以前の「世俗化」とは何が違っていたのか。
 水林の考えでは、宗教を巡って分裂してきた国家にとって最大の課題は、国民の「不可分性」であり、そのため国家から管理された、共通の教育を受けた国民の育成が必要とされた。フランスはこの「不可分性」をライシテの思想によって支え、国家を定義づけた、という。
議論を消化した上で、水林は、本書の述べる「共和主義」の思想とは何か、「市民」とは何か、という根本的な論点が曖昧であると指摘した。

 参加者からは、本書に限らず、フランスの政教分離・ライシテを論じる際に、分離・攻撃の対象とされたカトリック教会・修道院側の事情や対応の分析が抜け落ちているのではないか、という意見がだされた。カトリック教会側は19世紀以降の政教分離の時代を受難の時代と見なしているという。この件に対して、他の参加者からは、自身のアイデンティティの対象を国家とするか、宗教とするかによって、歴史の見方が大きく変わる可能性があるのではないかと指摘があった。
 さらに、本書において前半は文学作品を積極的に用いるのに対して、後半部分はそうした傾向が少ないことに違和感を覚える点が指摘された。これと関連して、文学作品を歴史資料として用いることの可能性や問題点についても議論がなされた。
 また水林も既に指摘した、共和主義や市民といった、重要な術語が、十分説明されないことは、本書に留まらず、他の研究においても多々見られる問題点ではないだろうか、という指摘もなされた。

 続いて小田が取り上げたドゥブレの研究は、「共和国」「共和制」とはなにか、という疑問にある程度明確な回答を与える論説であった。ドゥブレの論説「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」は、厳密な意味での学術的な論文ではないが、力強く、(フランスの)共和国、共和制という概念を、デモクラシー・デモクラット(本論説の訳注によれば、デモクラシーは通常「民主主義」と訳されるのだが、通常「民主主義」の対義は「専制」「全体主義」であり、そのまま民主主義と訳しては、ドゥブレの意図が見えにくいため、本論説ではデモクラシー=経済的自由主義とあえてカタカナ表記するという)との対比の中で、描いている。
 ドゥブレ自身は、論旨を整理して述べていないのだが、小田は、本演習との関連も踏まえて、彼の論説を以下の3つの論点にまとめて論じた。
1. フランスは例外的国家である。
2. フランスの共和主義が、デモクラシーの広がりとともに相対的に弱体化しつつある。
3. 宗教的な権力・権威と消費的欲望への誘惑という、この二つの外的な力に屈しない、それが共和国である。
小田によれば、著者は、アメリカの影響を大きく受けた経済体制と、民主主義体制の広がりから、(フランス)共和国の弱体化に警鐘を鳴らすことを意図しているという。また著者ドゥブレはデモクラシーとの比較を主に経済面から捉えているため、彼が述べる「宗教」はキリスト教に絞っているが、一方で、本論説でも問題視されているフランスにおけるスカーフ事件は、イスラームにかかわる問題である。従って、宗教をひとまとまりにして捉える著者の議論に、問題があるという意見を述べた。その上で、小田は、20世紀初頭の時点をもとに政教分離を説くのでなく、現在より複雑化、多様化した宗教の枠組みを整理するべきではないか、と提案した。
 
 報告の後の議論では、この論説で述べられている「共和国」「共和制」がフランスのみにしか当てはまらない特有のものなのか、という疑問が提出され、フランス以外に「共和国」を自称している国々との違いについて我々は本論説をもとにより考察を深めるべきであるのではないか、という意見も出された。
 その上で、日本で一般的に「ヨーロッパ」とひとくくりされる国々はあまりに多様であり、こうした多様性を丹念に汲み上げる作業が、今後重要になるのではないか、という指摘もなされた。
 今回、ライシテ・政教分離を最も追究している国家であるフランスを集中的に取り上げ、その歴史と「共和国」「共和制」の概念を丁寧に把握したことにより、本演習における議論の土台が固まり、今後の一層深化することが期待できる、という実感を受けた。

(文責:阿部尚史)

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